第19話 新学期
高校三年生で、公立高校から中高一貫校に編入なんて、普通はありえない。
校長は無理だと言ったらしいが、早希子に寄付金をちらつかされて、編入試験だけでもと受けさせたら、相当成績がよかったらしい。
新学期が始まって、毎日、祖父のフードクレストマークの付いた黒のベンツで学校へ通い、「行ってきます、おじい様。」と車を降りて、待っていた諒輔と一緒に教室へ入る。
あの藤沢諒輔の従姉なんだって、という噂が回って、すっかりお姫様扱いである。
美人だし、賢いし、性格もよい。少しも偉そうな所がない。やや引っ込み思案に見えるが、転校してきたばかりなら仕方ない。
諒輔がかまいまくるので、諒輔の彼女がブチ切れた以外は、まずまずの学校生活である。
帰りは和登が迎えに来る。時間が合わないときだけ、黒のベンツが迎えに来る。諒輔についていって、諒輔の家から和登に送ってもらうこともある。
「佐藤翔子は藤沢先輩の彼女」という噂が立って、和登はご満悦である。
「でも、和登さん、彼女いたでしょ?」
翔子が聞くと
「だからさ、前の話だよ。S大って、中高はレベル高いんだけど大学はそうでもないんだ。彼女は内部進学したんだけど、俺は外に出ちゃったってわけ。それっきり。」
それって意外にひどいのでは。翔子は思うが、意見するほどの仲でもないかと思い直す。
少し前までゴリゴリに削られていた感情が、お嬢さんとして大切にされる生活で、少しずつ戻ってきている。
少し考えて、翔子は言った。
「私だったら、同じ学校行こうよ、って言ってほしいです。」
「言ったよ?でも彼女は努力しなかった。」
ちょっと、もやっとする。
違う学校でも、続けようと思えば続けられるのでは。それに
「振るならきちんと振ってあげた方が、気持ちが切り換えやすいのでは。」
「そういうの、ちょっと嫌なんだよね。なんかさー。嫌われて終わるの、寂しいじゃん。」
うわ。意外に駄目かも、この人。
ほぼ毎日家まで送ってもらっていてなんだが、それはずるい。自分は好きじゃなくなっても、相手からは好きでいてほしいって事なんだ。
翔子は通学カバンに目を落とす。
「恋人として続くかどうかと、その人が嫌いかどうかはまた別な気がします。」
「そりゃね。でもグレーなままにしておけば、ずっと俺の事考えてくれるでしょ。」
車は、翔子の家の前に停まった。
車庫のシャッターを上げて、車を入れる。
正門は電動なのに、車庫のシャッターは手動なのが不思議だと思っていたら、そもそも電動は電動らしい。以前に故障して手動に切り替えたら、意外にそれで面倒がなかったので、放ってあるということだった。
「おかえりなさい、翔子さん。」
家政婦さんが出迎えてくれる。
今日は祖母もいた。
「毎日ご苦労様ね、和登。無理しなくても宮本さんにお願いしてもいいのよ?」
祖父の車を運転する専属の運転手さんだが、一応藤沢商事の嘱託社員の扱いなので、本当は登校時に寄り道してもらうのも、厳密にいえばアウトだ。
「無理な時はそう言ってるから、大丈夫。」
ダイニングルームにおやつが用意してある。
それをいただきながら和登は、映画館のサイトをスマホで示した。
「明日、一緒に映画でもどう? 先週は模試だったし、慰労会でさ。」
今日のおやつは、生クリームたっぷりのシフォンケーキ。文句なしにおいしい。
ただ、最近いつも思うことだが、コーヒーはいまいちだ。
まずい訳ではない。むしろたぶん、いい豆を使っていると思う。だけど、なんだろう、飲むたびに、何とも言えない、もったいない感じがある。
「あー。あの、私、この前早希子さんと行った喫茶店に、もう一回行ってみたいんですけど。」
翔子はためらいながら言った。
「え、あの、前住んでたところの?」
和登は、内心嫌だなーと思いながら、確認する。
「何か気になる?」
「時計が。は、鳩なのか、カッコウなのか気になって。」
「鳩・・・か、カッコウか?」
和登はしばし絶句する。
「気になる?」
「すごく。」
翔子はぎゅっと力を入れて、和登を見つめた。
「すごく、気になるんです。あの鳥が、もう一回時計から出てくるのを見たいんです。」
「何だか分からないけど、行ってらっしゃいよ。何か思い出せるかもしれないでしょ。」
祖母にまでそう言われて、和登はしぶしぶうなずいた。
「まあ、そんなに行きたいならいいよ。帰りに映画館に寄るってことで。」
「ありがとう!」
ぱっと輝くような笑顔を見せられて、和登はノックアウトされる。
いや、ほんとに可愛いよ。
この前、アウトレットに行ったのを、友人に見られていたらしく、
「新しい彼女?」
と聞かれて、めちゃめちゃ嬉しかった。
見た目ももちろん可愛いが、中身も挙措もかわいい。
前の彼女は、財布なんか出したこと一度もなかったし、もちろんこちらが払って当然という態度だったけど、翔子はいちいち申し訳なさそうな表情になる。新鮮で、すごくいい。
喫茶店のお兄さんに、うっかり渡してしまわないように気を付けないと。
その喫茶店のお兄さんは、夏休み以来、いまいち元気が出ない。
とりあえず、和登に負けないように車の免許を取ろうと思って、近くの教習所に行ったが、今は混んでいるので、もう少し時期をずらした方がいいとアドバイスされた。
髪も伸ばしっぱなしで、後ろでくくれるぐらいになっているのが気になる。
和登みたいに、ちょっとカラーを入れてパーマかけておしゃれにした方がいいのかも、とか考えている。
しかし近くの美容室の看板に、カラーいちまんえんとか書いてあるのを見ると、どうせ伸びて切るものに、一万円かぁと腰が引ける。
まあ、そこをいっちゃうのがおしゃれってもんなんだろう。
マスターは初めて見る「息子がおしゃれについて逡巡する姿」に、おかしくて仕方ない。
頑張れよ、と内心では思うが、まあ勝てないだろうな、とも思っている。
きらきら度が全然違う。
男でも女でも、大抵きらきらしたものに弱い。
中身で勝負なんて言ってたって、いざ本物のキラキラを前にしたら、そんな建前は飛んでしまうものだ。
それに中身で勝負したかったら、中身を見せられる機会がなくっちゃどうしようもない。
そんな機会が、こいつにあるかなぁ。
ランチタイム前のぽっかりと暇な時間。
早めに昼を食って来いよ、と壮太に言いかけたマスターの耳に、カランコロンとドアが開く音がした。
きらきらな二人が入ってきたのを見て、意外にこいつ、持ってるのかもしれないな、と考えた。




