第14話
亜希子が死んだことは、いつまでたっても真実とは思えなかった。今でもまだあのアパートに住んでいるんじゃないかという気がする。お盆に納骨をすませたものの、亜希子が元気だった時の姿しか覚えていないから、それとこれとが結びつかない。
ただ当面困ってはいない。親戚みんなであれこれ世話を焼いてくれている。覚えている限りで一番、のんびりした時間を過ごしている。
夏休みの間に生活と体調を整える。休みが明ければ新しい学校。何も困らない。
「だからさ、無理に思い出さなくても大丈夫なんだって。」
買い物がてら、郊外のアウトレットに遊びに来ている。
お盆休みほどの混雑ではないが、夏休みの浮き立つような雰囲気で賑わっている。ただ暑いので、日陰で涼みがちである。
ソフトクリームを食べながら、買ったものの紙袋を見やる。
「なんか、いっぱい買ってもらったけど。」
「大して買ってないよ。万年筆とペンケースとスニーカーだけじゃん。」
二人で出歩くなんて、デートみたいで悪いなぁ、と翔子は思う。
「中学校の時の話を聞いてても、仲のいい友達の事とか出てこないだろ。きっと家の事で忙しくて、遊ぶ暇もなかったんじゃないかな。高校の時だって、きっとそうだよ。」
「そうかな。」
不安な感じはすごくある。
なんで忘れたんだろう。そこになにか大事なことはなかったんだろうか。
母の死についても、入院していた病院の医師から経緯を説明してもらっている。胃ガンであったことも分かっている。症状はあっただろうが、放っているうちに転移が広がったらしい。実感はないが、納得できた。親戚と連絡を取った経緯も、早希子が訪ねてきてからの事も、全部聞いた。
齟齬はない。きっと和登の言う通りなんだろう。
人が振り向くような美少女になりつつある翔子を見ながら、和登は思う。
生活が整えば譫妄も治ると医者は言っていたが、混濁というよりむしろ記憶喪失に近い。
本当なら、翔子がバイトしていたあの喫茶店のマスターとかに話を聞ければいいんだろうけど、あの壮太に翔子を会わせるのが嫌だ。
会わせなくてなんとかなるなら、このままでなんとかしたい。
この前アパートに行った時も、喫茶店はスルーした。
もっとも、翔子は壮太の事も喫茶店の事も丸ごと忘れている。幼馴染っぽい雰囲気だったので、すぐに「そーちゃん」の名前が出て来るかと思ったが、どうやら中学校の頃は、そんなに親しくもなかったらしい。
このまま忘れてしまえ。
昨日、新しい学校の制服が出来て、翔子はそれを取扱店へ取りに行き、ついでに学校へ新しい教科書も取りに行った。
和登が一緒に来て、学校の中を案内してくれた。彼もそこの卒業生なんだという。
新しい上靴に、鞄。体操服。校章入りのサブバッグに教科書をぎゅうぎゅうに詰めたのを、和登が持ってくれた。
こっちが三年生のフロアだよ、と和登に案内されたが、小中の学校では見たこともないおしゃれな造りでびっくりした。クラスプレートが唐草模様のアイアンで縁どられていたり、外階段が螺旋階段になっていて、その手すりが蔦模様になっていたり、廊下のところどころに飾り窓がついていて、ステンドグラスがはまっていたり。
こんなところに通うのかと思うと、気後れしそうである。
「が、学費とか。」
「心配ない。そもそも亜希子叔母様名義の株の配当金だけで、数千万円あるらしい。相続手続き中だけど、君のだから。」
「そ、そうなの?」
「学費は自分への投資だよ。有効に使わないとね。」
今までの暮らしと違い過ぎる。
あまりにも違い過ぎる。
かなり怖い。でも楽だ。楽すぎて怖い。
「事故で記憶が吹っ飛んだって訳でもないし、ただ記憶が収めてある本棚にたどり着けないだけだから。でも、そのことを気にしすぎて、今を見失うのはよくない。だろ?」
なるほど、そうかもしれない。
とにかく初めて食べる栗のソフトクリームがおいしすぎる。
「週末、早希子さんとこに行くんだって?」
あんまりにも暇なので、早希子の家の片づけを申し出たのだった。
先週の納骨の後、従兄弟たちみんなで早希子の部屋を訪れて、その乱雑ぶりにびっくりした。これでもおとといお掃除してもらったんだけど、と早希子は肩をすくめた。
そういえば亜希子も、家の事はあんまり得意ではなかったと思う。
お茶を淹れるのに、和登と誠司と峻とがあちこちをバタバタ開けて回るのをみて、つい
「あのー。私、家の事しましょうか?」
と言ってしまった。
「できるの?」
懐疑的な早希子に
「だって、散らかし方が・・ママみたいなんだもん。」
従兄弟たちは爆笑し、早希子はなるほどねぇ、とつぶやいた。
朝早くに家を出て、夜は九時近くに帰ってくる。
食事はほぼ外食。
服は全部ソファーにかけっぱなしだし、バッグも放りっぱなし。そのままシャワーへ行って、スウェットに着替えて、ベッドに直行である。
いつ見ても大体グレーのスーツなのは、好きだからというよりは、もう考えるのが面倒なので、同じようなのばかりクローゼットにある、ということらしい。
「早希子さん見て、亜希子叔母様を思い出さないの?」
「うーん。ちょっとドキッとする。でも、結構違うよ。早希子さん、髪の色も違うし。」
早希子は、甥たちに「早希子叔母様」と言われると「おばさんじゃない」と怒る。だから皆「早希子さん」と呼ぶが、逆に祖父母からは叔母様と呼ばないなんてしつけがイマイチ、と言われてしまうので、呼び方はまあまあ混乱している。
「あー。今はうっすら赤いよね。この前まで紫入ってて、ジィ様に怒られてたな。」
白髪染めの染まり具合が悪い、と言い張って、薄くピンクとかに染めたりするらしい。実際白髪はないらしいのだが。
「早希子さん、結婚しないのかな。」
「恋人はいるらしいんだけど、忙しすぎて続かないらしい。そういえば、誠司兄ぃも、インターンやり始めてから振られたって言ってた。峻兄ぃも、忙しすぎて別れたって去年のクリスマス前に言ってたな。」
「なんか・・可哀そう。」
「そう?誠司兄ぃはともかく、峻兄ぃなんて、明らかにイベント狙いじゃん。『クリスマスに私より仕事を取るなんて、彼氏としてサイテー』ってことだろ。仕事舐めてるよね。」
てか女運も悪い、と和登は笑った。
翔子は、ソフトクリームのコーンをばりばり食べて、コーンの周りについていた包み紙を、丁寧に折りたたんだ。
それをにこにこしながら和登は見ていたが
「翔子ちゃん、あのさ、従兄妹って結婚出来るって知ってた?」
「え?」
ごみ箱を目で探していた翔子は、驚いて和登を見やった。
「俺、彼氏に立候補したい。どう?考えてくれない?」




