第12話
「あっついなー。」
和登はペットボトル片手に、恨めし気に空を見やった。
雲一つない晴天。容赦のない真夏の日差しが照り付ける。天気予報では今日は猛暑日だそうだ。
「焦げそう。」
途中から合流した諒輔が笑う。
「水着持ってきたらよかった。」
プールも併設されていて、そちらから楽しそうな水音も聞こえてくる。
子供向けのアトラクションも多く、子供連れがあふれている。その中で、とりあえず王道の観覧車とメリーゴーランドと急流すべりに乗った。
「次、何乗りたい?」
「絶叫系は苦手?」
苦手も何も、そんなに乗ったことがない。そう白状したら、じゃあ物は試しだとジェットコースターに連れていかれた。
まあまあの行列だったが、ファストパスっぽいのを提示して、するすると通される。
乗ってがたがた動き出すと、めちゃめちゃ高いところまで連れていかれる。
わあ。だめかも。
そうでなくても寝不足だった。昨日、あんな変な話を聞いて、ほとんど寝られなかった。
だめかも。あああ、落ちる。
気が付くと、ベッドに寝かされていた。
部屋の中が全体に白っぽい。遠くで何となく人のざわめきが聞こえる。それからエアコンの音。
部屋には他に誰もいない。
ええと。どうしたんだっけ。何が起こったんだっけ。
思い出そうとしていると、部屋の外から人の声がした。
「大したことなかったからよかったけど、次からは帽子ぐらいかぶりなさいよ。」
「はーい。」
「でもさー、熱中症にはホント気を付けてたって。」
ドアが横に開いた。
あ、病院だ。
入ってきた人物を見て、ホッとする。
「ママ。ねえ、なんで私こんなとこにいるの?」
病室は静かになった。
早希子は軽くのけぞった。
「ママじゃないわよ。早希子の方よ。なに?頭でも打った?」
和登は俊と顔を見合わせた。
「いや、車までは自分で乗ったし、病院の入り口からは車いすだったから、ひどくぶつけたりなんかはしなかったよ。」
「そうそう。」
翔子はびっくりして、ベッドの上で固まっている。
「ええと。ええと。じゃあ、あのー。うちのママは?」
もう一度病室が静かになった。
ややあって早希子が宣言した。
「もう一度ちゃんと検査した方がよさそうね。」
午後、病院でいろんな検査をされた後、外科的にも内科的にも異常なし、おそらく一時的な譫妄であろうと診断されて、翔子は退院することになった。
検査待ちの間に、翔子は何故病院にいるのか、早希子が何者で、この自分と同年代の男子たちが何者なのかを教えてもらった。
「それで、うちのママは?」
「家に着いたら教えるから。」
早希子の車に乗ったが、運転が荒くてちょっと怖い。
イケメンな従兄弟たちは、和登の車で帰らされてしまった。
山の手の大きな家の、自動で開閉する門扉を感心してみていると、
「こっちよ。来なさい。」
とうながされて、家の中に入った。
渡り廊下から一つ角を曲がった茶室のふすまを開ける。
「あ、私の机。」
使い慣れた自分の机を見つけて、翔子はホッとする。と同時に不安になる。どうして机だけがここに。
「さてと。」
早希子は畳にきちんと座って、翔子にも座るように促した。
「お医者様が、落ち着いたらそのうち治るって言ってたから、あんまり難しい話をしたくはないんだけど。」
と前置きした後、書院棚の一番上に鎮座している、骨壺を指した。
「亜希子はあそこ。二か月前に、病気で死んだの。あなたは母方のおじい様の家に引き取られたのよ。」
「そんなの信じられるわけないじゃん。」
翔子が青ざめた顔で、何とか引っ張りだした言葉に、早希子はそうよね、とうなずいた。
「とりあえず今日はもう時間もないけど、なるべく早く前の家が見られるように手配するわ。いろいろあったから、脳みそがびっくりしちゃったのよね。大丈夫、しばらくしたらきっと落ち着くから。」
そのあと、ダイニングルームで夕食を早希子と一緒に食べて、早めに寝なさいと言われて、茶室に引っ込んだ。
「いいけど、狭くないの?二階に広い部屋があるでしょ。」
あるでしょ、と言われても分からない。
「まあ、使いづらいけどね。和室だもん。子供のころは、友達は大抵洋間だったから、ほんとうらやましかったわ。父さんも、自分の部屋だけさっさと洋間にリフォームしちゃうし、腹が立つったら。」
声も話し方も亜希子そっくりなので、うっかり亜希子と話しているような錯覚を起こしそうになる。
でも髪型が違う。着ている服も違う。
間違い探しをしているような、気持ち悪さ。
「あのー。」
「ん?」
「ほんとに、私、治ると思います?」
早希子は激しくまばたきした。
「治るでしょ。心配?」
「なんか・・ぽかっと自分の思い出せない部分があるみたいで、気持ち悪いです。」
「そうよね。いろいろあったものね。忘れちゃいたい気持ちもわかる。でも思い出したかったら、きっと思い出せるわよ。熱中症の後遺症みたいなもんだから、安静にしていればきっと大丈夫よ。」
いろいろあった、と言われると、余計に気になる。
部屋に戻ってから、考える。
小学校の事は覚えている。給食が楽しみで、一年の頃はタッパーに残りを詰めて、職員室の冷蔵庫に入れておいてもらって、帰りに食べて帰るという生活をしていた。それが学年が上がるにつれて、お鍋におかずが残ることが少なくなり、それと同時に嫌がらせされることも増えた。
「みんなおんなじ給食費なんだから、二回食べるのはおかしい。」
そう言われたら、反論できない。
教科書を隠されたり、上靴を隠されたり、文房具を隠されたり、最初のうちは先生に訴えたりしていたが、クラスメイトの方も狡猾で、「知らない」と言い張られたらそれ以上何もできない。
だからあきらめた。
教科書は、学年の最初に全部覚える。上靴も文房具も、なくなったら学校にあるものを借りる。ノートは持たない。
友達だと思っていると、次の日にはいじめる側に回っているから、最初から信用しない。
中学もそうやってやりすごしている。
とにかく家の中の事を全部翔子が引き受けているから、他の事に使う時間もお金もない。
不登校、という選択肢もあったが、母に心配もかけたくなかった。
ーーーがついているから大丈夫。
あれ。なんだっけ。
何か引っかかった。
引っかかったが思い出せない。
うとうとしている間に、夜が明けてきた。




