8話 その日のうちの乱入
急行も停まらない、ある地方の駅から徒歩30分。
そして騒ぎのあったダンジョンからも同じくらい。
そんな場所にある、あるアパートのインターホンが何回か鳴らされる。
「すみませーん、ダンジョンの協会の者です! 緊急のお話があってお邪魔しています!」
「……出ないねぇ、えみちゃん」
「留守かしらね?」
「征矢」と書かれたドアの前にはるるとえみ、そして先ほどの救護班の少女。
「……征矢さん、彼が当時あの場にいたかは不明です。ですが万が一はあり得ます」
「うん、だってハルちゃんは金髪の女の子だったもん!」
「だからるるの見間違えの可能性が……いえ、今は置いておきましょう」
ダンジョンへ潜るというのは、安全がかなり確保されているとは言ってもそれなりの危険があるもの。
それなり――普通の、これまで通りの仕事などに比べると“モンスター”という不確定要素に不意を突かれてのケガや死亡のリスクが、どの職業よりも圧倒的に高くなるもの。
ダンジョンの研究により開発されたリストバンド型の脱出装置のおかげで、体力の可視化や脳波がモニタリングされるようになり、危険水域へと落ちる前にほぼ強制的に離脱させられるため、これでも相当落ち着いたほうだという。
しかし、ダンジョンやその周辺で起きる事象はやはり不確定なことが多い。
ために、特に今回のような事件の場合には救護班のひとりひとりにでさえ特別な権力が与えられる。
さらには、2人と同じく高校生らしい救護班の彼女は――説明によると、緊急の場合にはほぼ全てを自己判断で処理する許可を得ているらしい。
そんなポニーテールの少女、九島ちほ。
彼女が「上司」から伝えられた「要救助者」いう可能性のある「男性」の登録先住所のアパート――そこは、かなり古いものの結構ゆったりとした造りの2階建てのもの。
「……今のところ『征矢春海』さんのバンドからは救助サインは出ていません。けれども今回は非常時ということで、彼の安全を確認する命令も出ました」
「命令……ですか。彼はるるの救助要請の前にダンジョンを後にした、その可能性は高いのですが……でも、よりにもよってあの階層、しかも」
「うん、ハルちゃんのリスナーさんがね、ハルちゃん、そのカードキーが落ちてた辺りにいたって……」
「ですから征矢春海とハルさんとが同一人物、とまではいかなくとも……まぁ成人男性と子供ですからね……保護者とかパーティーメンバーとして一緒に潜っていた可能性も考慮しまして来たわけですが……」
「そやさん、いないねぇ……そやさーん。はるみ……はるさーん。ん? はるさん? ハルちゃん?」
「るる、年上の男性のことをちゃん付けだなんて――待って、『ハルちゃん』……?」
地方のダンジョン、それもそこまでの危険度はないとあって人手不足から出入りはカードキー式の簡易的なもの、守衛はいるが民間人の立ち入りを見張る程度。
『征矢春海という20代の男性』が今朝早く入ったのは記録に残っていたが、出た記録はなし。
ダンジョンには、間違っての侵入を防ぐセキュリティはあっても出るときには何もないのが普通だから、それ自体は不思議ではない。
「でも、まだダンジョンの中に……ってのは」
「深谷さんの件のあと、全階層をサーチしましたが……」
「いなかったそうですね。ということは緊急脱出装置で」
「……ってとこはやっぱり私を助けてくれたのは!?」
「落ち着きなさい、るる。それは別件で、単にあなたの巻き添えで命からがら脱出って可能性もあるわ」
「あぅ」
「ただカードを落としたのに気が付かず、深谷さんの件の前に出て普通の生活……買い物などをしているだけかもしれません。ですが……」
えみと頷き合った救護班が電話を掛ける。
るるはずっと「はるさん? ハルちゃん?」と奇妙な偶然を唱えている。
「もしもし、九島です。はい、今、征矢春海さんのお家の前に来ました……はい、メーターは回っていますが応答はなし。彼が崩落に巻き込まれて怪我をし、意識混濁の中、普段通りに帰ってきた可能性を……はい、はい」
「ど、どうするのえみちゃん……ドア、鍵がかかって」
――もし、本当にるるのせいで事故に巻き込まれ、ケガをしてしまって……大きなケガほどアドレナリンが出て正常な判断ができないと言うし、そのまま帰ってきてしまっていたら。
もし、るるのせいでちっちゃい幼女のハルちゃ――こほん、るるを助けてくれた少女以外にも怪我人がいたとしたら。
「……決まっているわ。るるを助けたかもしれない人が頭を打っているかもしれないのよ。……九島さん、言われた通り開けますね。人命救助だもの」
目を閉じ、普段の彼女らしく即断即決で次の行動を口にする、えみ。
「ええ、今大家さんのほうに――え?」
救護班の連絡が終わらないうちに、えみはおもむろにアパートのドアノブを握りしめ――めこっとスライドさせた。
外開きのドアを、真横に。
「……えみちゃん、だから筋肉だるまって……」
「何か言ったかしら? 視聴者の方々を含めると数百万の人に心配を掛けたるる?」
「ア、ハイ、ナンデモアリマセン」
――こういうときのえみちゃんって怖い。
お説教の切り抜き動画が定番のメインコンテンツとして人気なるるは、本能に従って黙っていることにした。
――こういうときのえみちゃん、やっぱりお母さんだもん……と。
「道中に話し合いましたように、交通事故に遭ってケガをした人も一時的な脳の興奮で……と」
「……は、はい、応答がないので立ち入っての捜索も、本部から指示されました。工具でこじ開けると時間も騒音も……ええ、緊急事態ですから……ええ、助かります……」
高レベルの腕力を――それもアイドルという呼び方にふさわしい細さの腕と美しい指が、鋼鉄製のドアを……さほど力も込めずに蝶番からもぎ取るのを見た、腕に赤い腕章を巻いたちほは黙り込んだ。
「い、一応は不法侵入……彼が普通に過ごされている可能性もありますから、ゆっくりお願いしますね……? 救護活動のためですから空振りでも大事にはなりませんけど……」
「ええ。ではお邪魔します。……征矢さん、征矢春海さん、いらっしゃいますか」
「そやさーん、私も……あ、るるって言いまーす、入りまーす。ごめんなさーい」
……ごとっ。
何事もなかったかのようにドアを外の壁に立て掛けたえみが先頭に、男性の家に入る緊張で少しだけ腰が引けているるる、そしてドアの残骸を見ながら高レベルの筋力にドン引きしている救護班のちほ。
――『最初からこうするように指示を受けていた』けれど、三日月さんがここまでするだなんて……いえ、こちらとしては好都合なんですけどね。
ちほはそう考えつつも、蝶番と鍵だけ綺麗に壊れているドアから目が離せない。
靴を脱いで上がってから「こういうときは履いたままのほうがよかったのかしら?」と振り返るもそのまま進んでいくえみ、「あれ? 子供の靴……」と目ざといるる。
しかし直後、えみから申し訳なさそうな声が発せられる。
「――ごめんなさい、私の早とちりでした。九島さんからの説明で、彼が動けないものと思い込んでしまっていまして……」
それにつられて顔を上げたるるとちほの耳に入ったのは、水の音。
「シャワーの音……お風呂でしたか。いえ、入浴中に気を失うこともありますから」
「お、男の人のお風呂……入るの……?」
「おふたりはアイドルをされています。このことが漏れると一大事ですから、医療担当の私が入ります。大丈夫です、研修や救助活動で男性の体は見慣れていますし、意識があるのなら外から声をかけるだけですから。医療行為に羞恥心などは関係ありません」
「お、おとな――……」
「お医者さんなのよ、男とか女とか関係ないでしょう」
「それもそっか」
「征矢春海さーん、ダンジョンの医療班の九島と申しまーす。数時間前にダンジョンで大規模な崩落がありましたが――……」
彼の名前を連呼しながら風呂場に近づいていく救護班。
「あれ?」
「ちょっとるる、勝手に――」
突然に興味を別の方向に引かれたるるが、とてとてと勝手に廊下の先へと足を向ける。
「もし彼が何ともなかったら、ただの不法侵入で……いえ、率先した私が悪いのだけど」
「……これ! これこれこれこれ! これで撃ってた! あの子!! あ、このローブも見た!!」
廊下の先の部屋。
廊下からでも見える、狙撃銃に筒のようなものを付けてある武器、そしてぼろぼろになったローブをびしっと指差す、るる。
「……でもあなたが見たのは女の子だって」
「うーん、男の子だったかも?」
「男の子って……登録情報によると彼はもう社会人の方よ?」
「ほ、ほら、私たちみたいに早くレベル上がると歳取りにくくなるし!」
「九島さんによると、彼が初めてダンジョンに入ったのは3年半前だそうね」
「あぅ」
「それに、顔写真も普通の男性よ。まぁ、あんな状況だったから見間違えなんていくらでも……」
「あれ? でもおかしいよえみちゃん。私もカメラも長い金髪ははっきり!」
「……そうね、確かに……」
「あと、それに!」
九島という彼女が発した「医療班として許可を得ています」「おふたりにも権限を付与しました」という言葉が頭に残っているためか、るるはワンルームの中へ。
中心には布団、周りは本がうずたかく積まれていてテーブルの上には装備などのパーツがある中へ突進して行く。
……もはや年頃の乙女が男性の家に不法侵入しているという状況を忘れているようだ。
「これ!」
「干してある服……みんな、小さい……」
「ぱんつも! ほら、ぱんつぱんつ!! かわいいぱん」
「バカ」
「あいたぁ!?」
似たようなシャツや下着――そして女性もの――女児もののそれらは、みな彼女たちよりも幼い子供の着けるもの。
「……はっ! もしや、これはお巡りさん事案!」
「妹さん、あるいは親戚の女の子。それか、背が低いけど成人している女性のもの……同居している女性のものでしょう、きっと」
「……そーだよね……あ、でも、じゃあ2人でお風呂ってこと?」
「え? ……きっとどちらかは外に出ている……わよね……?」
「もしかして大人の時間だった!?」
「兄妹同然で……という可能性もあるけれど。きちんと謝らないとね……」
正解にたどり着きかけたるるを、ばっさりと「現実的な判断」で押し返そうとするえみ。
「――ごめんなさ……え!? え、あの、私っ」
と、両手で女児用のリボン付きぱんつを持っていたるるがチョップをかまされそうになった瞬間、廊下の先で、ちほが戸惑いの声を上げる。
「? どうしたんだろ」
「……とりあえずそれを戻しなさい……」
「はーい」
会話をしているということは、シャワーをしていた征矢という男性は無事。
でも先ほど冷静だった彼女が妙に慌てている……その違和感に、女児用のぱんつがるる……の手からもぎ取ったえみによって、そっと戻される。
2人は念のためにと、あとは少女らしい好奇心とで風呂場のほうへ足を向けると、もっとうわずった声が響いてきた。
「……ひゃいっ、私九島と申しまして怪しい者では! はい、今日の14時半に起きました最寄りのダンジョンでの通報で駆け付けました救護班で……あ、あの、あなたが……え、でも女の……」
「――あー、とうとうバレちゃったかぁ……いやまぁ、これでむしろよく1年持ったって思うけど。ていうか、本当にご近所さんから通報とかないんだねぇ、今どきって」
彼女とは異なる別の人物から発せられた声は幼く。
「……ちっちゃい子の声?」
「え、ええ……そうみたいね……?」
「――で、えーっと……ダンジョン関係でなんかすごいことが起きたらどこに報告するんでしたっけ。僕、めんどくさくてしてなかったんですけど」
「え? ええっと……一応私でも受け付けられますが……」
「……あの金髪の女の子!?」
ぺた、ぺたという足音が聞こえ、その少し後に廊下に覗いたのは――。
「タッ、タオル! タオルで前隠してください!」
「えー? ここ僕の家なんだけど……」
「そ、それはそうなんですけど! 申し訳ないことにあなたの万が一を考えまして協力者の方を――」
――長い綺麗な金髪を、こともあろうかタオルで雑にごしごしと拭きながら――つまりは全裸でぺたぺたと歩いてきた幼い少女――いや、幼女。
「――未発達なロリのつるつるでぷにぷにで幼児体型で究極の美な肌ぶふぅぅっ!」
「えみちゃーん!?」
そんな破壊的すぎる姿を見たえみが、彼女のキャラを崩壊させるワードを発しながらぶっ倒れ、それをるるが慌てて介抱しようとして――。
「あ」
「あ」
幼女の眠そうな蒼い目と、るるのくるくるとした目が――ぱっちりと合った。