68話 始原会議Ⅳ
「ま、ハルちゃんはちょっとおかしいからな」
「ちょっとおかしいから何でもあり」
「左様」
「でも、もうみんなにバレちゃった。みんな、ハルちゃんを欲しがってる」
「それは分かりますけど……」
ぱちっと誰かの指が鳴らされると、えみたちが入って来たのとは別の扉が開く。
「――それゆえ、今回の奇貨が鍵となるのだよ」
「……こんにちは。おじゃま、します」
おずおずと入って来たのは長い銀髪に蒼い瞳の――。
「あ、リリちゃん」
「ハルちゃんにあんなに抱きつかれてずるいぞー!」
「代わって欲しかったんだけどー、あんな役得ー!」
……入って来た彼女へ、早速ヤジが飛ぶ。
『えっ……えっ……』
ハルのダンジョン配信で、うっかり映ってしまった少女。
長い銀髪に紅い目、すらりと伸びた手脚にどことなく醸し出される高貴な雰囲気は、「始原」の空気に圧倒されていた。
「あー、ひとまずは英語で頼む。機密の関係上翻訳機は使えないし、彼女はまだコミュニケーションが難しくてね」
「……海外の始原の方……確か、語学を習得してから来ると、前に」
「こっそり来ちゃってたらしいね。ま、協定違反については後でじっくり絞るから、今は置いといてあげて?」
この場に居る8人からの視線。
それらが自分に向けられており、しかも「先ほどの幸せな時間」で疲れ切っている彼女――「リリ」。
彼女は周りを見渡し……どう見ても何かとてつもなく怪しげな光景にさらにびびる様子だったが、マザーが手招きすると唇を結びながら近づいてくる。
「ってことはこの子も始原なの? ……ぷはっ」
「うむ。儂ら始原の海外勢、その1人じゃ」
「コードネームは?」
「『プリンセス』さね」
――「プリンセス」。
えみは、リリという彼女の立ち振る舞いや首元のアクセサリーなどからなんとなくその意味が理解できてしまい――「まぁでもハルさんのことだから」と思考を放棄した。
『……改めて、ごめんなさい、私、約束を……』
『まずは英語で、ゆっくりと簡単な表現を使ってください。 それなら多分高校生の彼女でも理解できます。そうですよね? 三日月さん』
「え、あ、はい……といいますか英語だと本当にそのコードネーム全く意味が……」
「もろクレセントだもんねー、あははっ」
「うぅ……」
――コードネームとやらがこんなに恥ずかしいものだなんて。
せめて、私自身に付けさせてほしかったわ、こんなの……!
「あー! この時代に自動通訳使えないのムカつくー!」
「まーアレ、オンラインじゃからな……機密は無理じゃて」
何かあるたびにドン引きしたり恥ずかしい思いをするえみを置いて、話は進む。
「はー……けどなんか前そんなこと言ってたわね。外国出身の始原が2人居るって」
結構酔いが回っているようで、もはやどっしりと構えすぎている「姉御」。
幼女以外については常識人過ぎるえみの縮こまりようとは対称的だ。
「彼女はその1人です。名前は……もう配信で出てしまいましたし、なによりハルちゃんに伝わりましたのでリリさんとでも」
『はい。リリ……そう呼んでください、私の愛しい友人たち』
「まー、万が一があるから『プリンセス』でよろ」
「はーい」
「え、ええ……」
◇
『じゃ、手短に。――ハルちゃんに助けられたのは』
『誓って、偶然です。私がこの国のダンジョンを体験したいと頼んだ方々が、あちらのダンジョンをと手配してくださいました。場所が決まりましたのは、今朝のことです。お手伝いの方々とのやりとりが証拠になるかと』
『始原として嘘はつかないだろう。信じよう』
『ということは、「呪い様」とやらもまた偶然で?』
『最初からハルちゃんを狙っていたのなら、似たような場面で同じようなことをしていたかもね』
『となると、ハルちゃんが助けそうな相手なら誰でも……という訳か』
「プリンセス」――リリがあのダンジョンの最下層で動けなくなったのは、偶然という。
なにしろ彼女のそれではなく、同行者のリストバンドが壊れたのだから。
そして彼女と同行者たちで話し合った結果、単純に生き延びる確率が最も高い――レベルも非常に高い彼女が残るとなった。
雇い主である彼女が残るというのも人の命が掛かっていたら不自然ではないし――なにより始原の結束だ、嘘はつかないだろう。
『でもさ、リストバンドが壊れるなんてこと』
『そうそうないさね……あれはミサイルでも破壊不可能オブジェクトなんだよ』
『ダンジョン産じゃからの。まぁ耐久は物によるから定期的に見んとあかんが』
『1年に1回強制的な点検がありますし……やはり』
『偶然という可能性も……あるは、ある。年に何回かそういう事故あるしな』
『でも、プリンセス……じゃなくても、誰かしらをあの場にくぎ付けにし』
『救助要請にハルちゃんが反応するって前提で――ってことか』
しんとなる部屋。
ふざけているようでいて、ここに居る全員がハルのことしか考えていない。
そんな中。
『――ふへへぇ……』
「!!!!!」
「!!!!!」
「!!!!!」
「!!!!!」
「!!!!!」
「!!!!!」
「!!!!!」
「!!!!!」
『!!!!!』
そこへ響いた「彼」のほぐれきった笑い声がスピーカーで反響し、9人全員が振り向いて、映像にくぎ付けになり。
いい大人たちも少年少女たちも、もちろんえみも姉御もひとしきり悶えた。
無駄に豪華な造りの地下にある会議室……本当に無駄でしかない装飾がこれでもかとあるのは、きっとまた悪ノリなのだろう。
いい大人たちが無駄すぎるくらいに豪華な円卓を囲み、バカでかいスクリーンを眺めている。
その中心には。
『んぅ……』
スクリーンの中で眠そうに目を擦っている、彼らの「推し」の姿。
つまりは薄着の金髪幼女が眠そうにしているのをだらしない顔をして見上げている、変態たちが集まっていたのだった。
その点において、今この瞬間――三日月えみはごく普通の少女だった。
『……ああ、いい』
『あどけない……』
『あれで中身が……』
『さらに良いだろう?』
『うむ』
『もちろん』
『あれは完全にショタ……文学青年してたから精神年齢は実は低いパターンなのよ、ハルきゅん。物はたくさん知っているし冷静だけど、本人の経験が少ないからこそ普段の言動で意識してない部分は小学生中学生な男の子になるの』
『く……詳しいんですね、姉御さん……』
『クレセントちゃんはロリ推しなんでしょ?』
『えっ』
『まぁまぁ仲良くしましょ。ここでは仲間を否定しないんだからさ』
『えっ……あ、はい……』
勝手に同族認定されたえみ。
――否定したい……けど、ハルさんに踏まれてあんな声を出してしまった私がそれを言ったら……!
『では、プリンセスが潔白だとした上で話を戻すとですね』
ハルの、眠いときや疲れているときに発する甘い声が収まった途端、画面に目を注ぎつつも声のトーンは先ほどまでに戻る。
『ハルちゃんは狙われる立場なのですよ。こんなにかわいいハルちゃんが……こんなにかわいいハルちゃんだからこそ、異常な力を持っているからこそ』
『だよねー。どうする? 今以上の腕利きを雇って、一般人に違和感持たれるの承知の上で警護する?』
『それは最終手段にしたい……しかし万が一があってはな……』
『ハルちゃん自身にも違和感を持たれたら死んじゃう』
『あ、それはダメだな』
『駄目だねぇ』
『プリンセスの手勢はどうよ? 少ないとはいえ、ちゃんと警護付けてるんでしょ?』
『ええ、先ほど追加の護衛の方々が、母国から到着したと。警護対象が私と数人でしたら数と質では私のところで充分――ですが、強硬手段を取られますと。特に、配信をしながらの一般人を使われたら外交問題にもなりかねないかと……』
『あー。「ただの外国から着てる正体不明なリリちゃん」ってことになってるけど、ほんとはねぇ……』
ダンジョンに限らず、現代は配信社会。
普通に歩いている学生だろうと誰だろうと、しゃべり続けていようと黙っていようとカメラをONにして配信しているのは不思議ではなく――それをひとりひとり咎めるのは物理的に不可能。
それに、ダンジョンの中はマナーとして相手の許可なしに顔を映さなかったりするが、一般人にそんなものは通用しない。
『だからどうするかって考えてたんだけど――プリンセスさん?』
『ええ。ですから、存在が配信で公になった私が引きつけます』
『どーせ見てた人たちは名前とだいたいの容姿は知ってるもんねー』
『はい。恐らく、私の立場を知る方たち……のごく一部も気が付いたはず』
『「プリンセス」としての立場を使うってこと?』
『ええ。さすがに影武者だとは思われているでしょうけれど。でも、狙う連中からしたらそれでも面倒だとは思ってくれるでしょうし……外交問題になると思えば、強硬手段も取りづらくなるでしょうから』
『半分バレた上でか……大変だろうけど、まぁハルちゃんとあんなに戯れた罰としては』
『ちょうど良いな』
『然り』
『ま、確か「リリー」って子供のころの愛称でしょ? 一般人にゃ分からないし、ちょうど良いかもね。分かる人には分かって、それ以外には「ただのリリちゃん」』
『しかも配信の機能で顔立ちも微妙に変わってたし。少なくとも国内の一般リスナーがプリンセスの正体に気が付くのはなかなかに大変そうだからな』
プリンセスとしての立場。
影武者。
――やっぱりこの人……いえ、この方って……。
『でも――』
その瞬間、えみを始めとした女性陣は気が付く。
さっきまで大勢の前でおどおどとしていたはずの彼女が、ある感情をもって優位に立っていることを。
『?』
『リ――プリンセス?』
『あの、もうコードネームの意味が……』
『それくらいして差し上げないと』
もったいぶって告げる彼女。
『――みなさまに、申し訳なくて心苦しいですから』
『? プリンセス、それはどういう――』
『ああ……ハル様のお手々も抱きかかえてくださった腕も柔らかかったお体も素晴らしい匂いも、私は今日の1日でこれ以上なく味わってしまいましたので……ふふっ』
――ぴしり。
空間に亀裂が入る。
『何もかもをこちらにいらっしゃるほとんどの方よりも先に味わってしまいましたから。ええ、ハル様から熱烈に抱きつかれるなどという至福を』
そう言いのけた彼女の顔には、明らかな優越の感情。
『……ふふっ。不可抗力とはいえ、申し訳ありません――いい思いをしてしまって』
彼女とえみ、姉御以外の全員の殺意が向く。
――そうよね、この人も私と同じ「女」。
しかも幼い頃から本物の上流階級として経験を積んできたのだから――それは、したたかよね……ええ、私もハルさんに踏まれたあの感触だけは誇らしいもの。
「お? 戦争か?」
「それが遺言でよろしいだろうか、王女よ」
「国際問題だかなんだか知ったこっちゃねぇ、今ここで謝ってもらわないとね」
「確かここじゃ全員始原として平等なんだよな?」
「ああ、しかも彼女は俺たちより高レベル。本気で掛かっても問題ない存在だ」
「せめて一太刀でも……あの顔、あの顔をちょっとでも歪ませたいの……!」
「処さないとね」
「ちったぁお仕置きしないとね。調子に乗っている小娘にな」
がたがたと席を立ち出す、良い大人たち。
「おもしれー女ってこういうのいうのねー! あー、ワインうまー」
「……姉御さんは、怒らないんですか……?」
そんな彼らに対し――完全にできあがっている姉御、そしてドン引きしているえみは、少し距離を取るようにイスをスライドさせていく。
「やー、私ショタ推しだし 短パン穿いててくれないとやる気出ないんだよねー。まぁショタっぽいしゃべり方してるからそれだけでもいけるけどさぁ」
「は、はぁ……」
えみは姉御からも距離を取り始めた。
「……いや待てよぉ……? やっぱショタハルきゅんが女装してるって思えば良いって布教したっけ……ちょっと私もしばいてくるわ。ダンジョン適性持ち、しかもめっちゃ強いっていうじゃん? それでも返り討ちでもしばきたくなったわ」
姉御はワイングラス片手に立ち上がり、たった1人の「抜け駆け」を囲んでいる集団へと突撃していく。
――始原は、「全員が」顔見知り。
それは本当だったようね……みんなまるで子供みたいにケンカしてるもの。
本来なら立場がある人たちばかりなのに。
しかも、その相手がとんでもない人――方なのに。
『あら、良いのかしら? 私がケガをしたりして、次に会う約束をしていますハル様に知られたらどうされるので? もちろん告げ口しますよ? 「始原様からいじめられました……」と泣きついて♪』
「こんの……!」
「処したい……すっごく処したいぃぃぃ……!」
「此奴は女豹……女豹じゃあ……!」
『うふふ♥ 言葉は分かりませんが、言いたいことは分かりますよ? ああ、ハル様のあの柔らかさ……!』
ぎり、と歯を食いしばる音が部屋に響く。
「まーいーや、見てる方が楽しいしー。あっははおもしれー!」
さすがに一般人とあって、殺意の咲き乱れる空間からすごすごと帰ってきた姉御は――ふと室内の隅に見つけたワインセラーを発見し、そちらへふらふらと引き寄せられていく。
――すごくどうでもいいし、早く逃げたい……でも、ハルさんと毎日会っている私に飛び火したらって思うと、注目されたくないの……!
そうして始原たちのじゃれあいを、えみと姉御は1時間ほど見せられたのだった。




