27話 九島さんとるるさんとえみさんと。
「――うん、そういうことだから。うん、落ち着いたら顔見せるよ……いや、いらない。かわいい服とか、いらないから本当に……やめて買わないで」
僕は、男。
だから、口では女の人に敵わない。
ましてやその相手が母親なら、なおのことに。
「絶対買わないで。分かった? ……だから送ってこないで、やめて。か、買われても絶対着ないからね? ……ちょ、母さん!?」
――ぴっ。
「ふぅ……」
あぁ、終わった……。
いや、特になにがあったわけじゃないけども――僕が母さんのおもちゃになるってのが確定したって意味で。
ああ……こうなると思ったから、母さんたちへは知らせなかったんだよなぁ……もう。
これが父さんだけなら、せいぜいお風呂に一緒に入りたがる程度だろうからへっちゃらだけども、母さんはこれだからなぁ……。
僕の中身は男だから、父さんだけなら楽なんだけどなぁ……母さんが出てくるとなぁ……。
ああ、疲れた。
僕は疲れたんだ。
「はぁ……」
鏡に映る金髪幼女は、実にすすけている。
幼女でもすすけることってあるんだね。僕、初めて知ったよ。
――僕がTS金髪幼女ってものになってから1年ものあいだ、隠れ通して。
『息子たる僕の体が変わった』っていう重大イベントを家族に知らせなかったというその選択が正しかったことを、いまさらながらに実感している。
僕は正しかったんだ。
それはまちがっていない。
黙ってごまかしていたのが正解だったんだ。
だけども、これからは……いや、今はもういいや……だって疲れたもん。
「電話、終わったみたいですね。ハルさん、お疲れ様です」
「あ、九島さん。はい、たった今」
今日もポニーテールがまぶしい九島さん。
ちょっと前に「なんでポニーテールにしてるんですか」って聞いたら「医療関係者ですから」ってものすごく常識的な答えが返ってきたっけ。
髪の毛は伸ばしたいけども、急に呼ばれることもあって、だからまとめとくのが楽なんだとか。
いいよね、まじめな子って。
なによりも、僕のことを「かわいい」って子供扱いしてこないしさ。
「ご両親とは、ちゃんとお話しできましたか?」
「うん、ようやく。これまでは適当にごましてましたから」
父さんと母さん。
ある日突然に幼女の声が『息子の息子がなくなって娘になったんだけど』――なんて言っても、まず信じない。
だって息子だって主張してるのが幼女だもん。
だからどうしよっかなって思ってたところで、この前の呼び出しだ。
あのおじいさんかおじさんの部下の人がなんかいい感じに説明してくれたらしく、拍子抜けなくらいにあっさりと僕が幼女ってことを納得してたみたい。
……でも、ちょっとは疑ってほしかったっていうのが、息子としてのささいな抵抗。
だって男だん。
一応、十数年間自宅で育てた息子が幼女になったんだよ?
ちょっとは『ありえない!』って抵抗してほしかった……。
僕は悲しい。
だって男だもん。
「そのうちご自宅……ご実家へ帰られますか……?」
「え? いや別に、元々会社のためにひとり暮らしでしたし」
「でも今は会社へは……」
「あー」
「でも、ご実家となると、警備の都合が……」
「……とりあえずはここでいいかな……その、いろいろあるし……?」
今の僕の身分はニート――じゃなくてフリーター――でもなく、一応はフリーランスな個人事業主。
しかも特別な枠の職業として認められてるらしい。
まぁダンジョン関係だし。
なんでも1年以上の期間、ダンジョンに定期的に潜ってるといろいろお得なんだとか。
まぁ稼ぐお金のケタがケタだからね。
隠されるよりはお得にしたげようっていうクレバーな作戦だね。
「あの、上司から『ハルさんのカバーストーリーを』と言われていまして」
「カバーストーリー?」
なにか悪いことしてる印象だけど、僕、なにも悪いことしてないから大丈夫だよね。
でもこういうときってなぜかどきどきしちゃう。
なんでだろうね。
「……配信でハルさんが話してしまった内容から、ハルさんは……その、父親だけの家庭で、その父親のために潜っているとみなさんが思い込んでいまして……」
「あー、そうなっちゃってるんでしたっけ……母さん勝手に殺しちゃった?」
母さんごめんね。
でもどうせ家に帰ったらいろいろされるの目に見えてるから、やっぱいいや。
「あ、いえ、明言していませんので、ここは『父親は病弱で、母親はさらに体が優れず入院しているため、適性のあったダンジョンへ潜っている』ということにするとよろしいかと」
「ほー」
「万が一、どこかからハルさんが『元は男性』と漏れても、家族構成の情報が違っていれば、ハルさん――征矢春海さん本人にたどり着くのは、ほぼ不可能かと思われますので」
「おー」
さすがはプロの人、さくっとそれらしいの考えるね。
「あ、でもハルさんが今後『軽くほのめかせば』充分だそうで。嘘をつくことになりますし、ご自分から明言する必要はないとのことです。あくまで『そういうプロフィール設定』を私たちで共有するというだけで」
「そっか、ありがと。嘘つくのはなんかヤですし。今後の配信も、たぶん、親も見るでしょうし」
今日の僕は、シャツにズボンっていうラフな格好。
……ほんとはシャツ1枚が良いんだけどね……すっかり慣れたし……けども一応は女の子もいるんだ、汚い男の体なんか見せたら目が汚れる。
あー違う違う、今の僕は幼女だった……なら目は神聖なまま保たれる。
けどもヘンタイさんをその気にさせても――僕は嬉しいけどもえみさんの今後の人生が大変なことになる、自重しよう。
残念な気もするけども、本物の女の子の人生を台無しにしたらかわいそうだからね。
……おあずけなのと、どっちがかわいそうなのかは……うーん。
まぁ、そこはえみさん次第ってことで……?
「るるさんとえみさんは?」
「今日は配信……るるさんがご無事なことの報告ついでの雑談配信だそうです」
「あー、そういやそっか。有名人って、何回も『大丈夫ですよアピール』しなきゃいけないから大変ですよねー」
「……………………………………」
「?」
「……いえ」
九島さん。
マジメさんだからか、ときどき僕のいい加減な態度が気になるらしい。
なんかジト目してくる。
すっごくジトってしてくる。
あれだ……中学くらいまでの学級委員長的な女子みたいな。
『ちょっとそこの男子! シャツの裾! ボタンは首元まで!』的な?
僕は模範的で地味で目立たない眼鏡男子だったし、校則遵守してたからなんにも言われなかったけども。
「……九島さんって、るるさんたちほど派手じゃないけど、いつも顔、きれいにしてますよね」
「えっ」
そういえばずっと見てたけども、言ったことないなぁって気がするから言ってみる。
「そのポニーテールもさ、ほつれとかないし、いつもリボン変えてるし」
「え……えっ」
急に慌てだした九島さん。
なんか新鮮で、なんだか楽しい。
「えみさんみたいな派手さじゃないにしても……アイシャドウ?的なやつ着けてますし。高校生ですけど働いてますし、お化粧ってするんですね」
「……ハ、ハルさん、お化粧とか……だって、男性で……」
おててとお口と目元がうろうろしてる九島さん。
新鮮でおもしろい。
「え、だって毎日近くで見てたら分かりますよ? 男でも。だって多分僕がいちばん見てる女の子ですし、九島さんって」
「い、いちばん……」
「あと、こうして普通に話せるから居心地いいですし」
「……~~~~っ!?」
女の子との接点が皆無だった僕にとっては、事務的で静かで常識的な九島さんが魅力的。
「九島さんなら、近くにいても抱きついたりしてこないから気が楽ですし」
「え、あ、あの……」
あ、珍しく九島さんが照れてる……「ちほさん」って呼ぶときみたい。
「いつも二人とも違う香水着けてますし。落ち着く匂いですし。――『ちほさん』って呼んだりしても――」
「あっ、あのっ、あのっ」
「――ねぇ、ちほさん?」
ちょっとだけ近寄って、九島さんのポニテの先っぽをすんすんすんっと嗅いでみる。
……つま先立ちしても肩まで届かないって悲しい。
だって幼女だもん。
「ブランドとかさっぱりですけど、香水、薄くていいですね」
「……!?」
「あと――――」
「……わっ、私! 必要な買い物がありましたので!」
「え? あ、そうですか?」
ぱたぱたぱたってポニーテールを揺らしながら荷物をかき集めて出る準備をしている彼女。
一応僕も、言えば好きに――まぁ警護の人はつくらしいんだけどね――出歩けるらしいけども、今日はまだ外に出たいゲージが貯まってないからいいや。
「いっ、1時間はかかりませんからー……!!」
「はーい」
九島さんは、珍しく物を取り落としたりしながら出て行った。
……普段はあんなに冷静なのに、なんか不思議な感じ。
◇
「ハルちゃん!」
「るるさん?」
「ちほちゃんとなんかあったでしょ!!」
「いえ? なんにも?」
夕方。
お昼寝したあとにぼんやりしてた僕は、唐突に揺さぶられて起きた。
「?」
なんだろ。
とにかく眠くてよくわからない。
『るるさんがるるさんだな』ってことしかわからない。
「ほんと!?」
「え、ほんとですけど」
「……むーっ……」
「???」
どしたんだろこの子。
いつも割と気分屋で、わけもなく抱きついてきたと思ったらなんかほっぺ膨らましてることあるし……まあるるさんは感情表現豊かな女の子だからそういうもんだって思ってるけども。
ほら、今だってほっぺがリスみたい。
「……………………………………」
「?」
「……ハルちゃんって、彼女とか作ったこと」
「だからないですって。そんな時間があったら本読みますし……彼女さんってめんどくさいらしいですし……」
「……だよねー、ハルちゃんなら……はぁ……」
「?」
僕に抱きつきながらずるずると脱力していって――僕が膝枕する形になる、るるさん。
この子、けっこう聞いてくるよね……彼女がどうとかって。
やっぱり女の子はそういうのが好きなんだ。
これで、なにかにつけて『男ってのは1年中女の子のことばっかり考えてる生き物なの』とか言うんだろうね?
「んー……ハルちゃん、いいにおーい……」
「股に顔うずめるのやめましょう? えみさんでも――」
「えみちゃんならするよー?」
「しますね」
絶対したいけども、がんばって本能に抗ってるだけなんだ。
「……すんすんすん……」
あ、嗅がれてる。
まぁいいや。
ちなみにえみさんなら、そのうちにする。
絶対にするのは確定。
けどなぁ……るるさん、毎回好きなタイプとか聞いてくるのはなぁ……まぁ女の子だからしょうがないけども。
女の子の会話のほとんどは恋バナとかだって言うし、こういうもんかな。
九島さんみたいに、仕事の話以外は時事ネタ話す子とか、えみさんみたいなヘンタイさんが例外なんだ。
「……ハルちゃん、男の人が好きになったりしない?」
「んー」
考えてみる。
までもなかった。
「しないですね」
「ほんと?」
「前にも言ったかもしれないですけど、さぶいぼが立ちます。悪夢を見ます。無理ですね」
「……そっか」
「少なくとも僕が僕でいる限りはありえないと思います」
「ん……」
けどなんでこの子……ああそっか。
僕たち男が、女の子同士で楽しそうにしているの見ると「百合」だって妄想するように、女の子たちだって男同士を……おぇぇ、やっぱり鳥肌と吐き気が……。
◇
「ハルたん!」
「えみさんステイ」
「わんっ!」
「うわぁ……ほんとにためらいなく……」
ヘンタイさんなえみさん。
彼女がヘンタイさんだったとしてもヘンタイさんとして尊重してあげようっていう、僕の中の男としての同情からヘンタイさんだけども、普通に接してあげている。
特に引くことは……けっこうあるけども、「もう近づかないで」とか言ったりするほどでもないし。
ヘンタイさんらしき言動になったら「気持ち悪いです」とか喜びそうなこと言ってあげるとひっくり返ってぴくぴくするだけで、特に害はないし。
だからか――すっかり調教されてる美女系JKさんがここに。
ああ、実に残念な姿だね。
「あ、えみさんえみさん、そのカッコでおいぬさんはやめた方が」
「わん?」
いや、「わん?」じゃなくて。
「僕、背が低いから……ぱんつ、見えちゃってますよ。気にしないならいいですけど」
なんか、濃い赤とか攻めてるのが。
僕は別に見せられても気にしないけどさ。
単純に男と違う場所ってだけで気になる程度だし。
「わ、…………――――ひゃあっ!?」
あ、いくらヘンタイさんでも女の子としての自覚はまだあるのね。
慌てて膝を閉じて座り込んだからか、傍目には僕に跪いてお胸を寄せてあげてる形になってる。
……これで、僕が男だったら完全に事案だね。
残念なことに今は僕が幼女で逆事案だけど。
……逆事案?
「……ハルさんは」
「はい」
今日で3回目の真っ赤な顔が、僕を見上げる。
「……女性になっていても、女性に……欲情、するんですか……?」
「さあ? とりあえずこの体になってしたことはないですね。なにせ幼女ですし」
なんかド直球なことを現役JKさんから言われた気がするけども、僕自身にやましいこともないし……幼女だからか女体は目の保養以上の価値がないからか、割と平気。
もし男のままだったら……こんなおっぱいおっきい美人さんに言われたら、どきってする程度じゃすまないだろうけども。
「そうですか……」
「そうですね」
なんかそのまま考え込んでるえみさん。
「……なら一緒に風呂に入っても問題は」
「お手」
「わんっ!」
たしっ。
僕の差し出した手に、彼女のお手々が丸まって収まる。
「……はっ!?」
「何回かで、すっかり条件付けされてますね……あと、お風呂は普通に問題です……」
見えない尻尾が見える気がするよ、えみさん。
◇
「――――以上が我らがハルたん、もといハルちゃん、いっそのことハル様の、今の姿じゃ」
とある地下室。
そこに、8人の老若男女が集う。
「ハルちゃんは、中身が文学青年な成人男性」
「それであの声、あの話し方……」
「それでいてあのレンジャースキル……しかも」
「★――『星』。『ゲームシステム的に』あり得ると考えられていた、人類の限界を突破したレベル、あるいは『転生』――レベルキャップを超えた数値」
「それを、恐らくは人類の計測器で、初めて体現した存在」
「で、これが――」
腰まで伸びる長い金髪。
深谷るるや三日月えみ、九島ちほという少女にグルーミングのように顔をとろかされて、「ほわぁー」と溶けている幼女。
ちらりと見える八重歯、ついでで出ている大きなあくび。
少女未満の童女や「女としての動作」を習得していないから自然になる、開いた脚。
着せられた、フリルのあるスカートからちらりとのぞく太もも。
「愛でられている姿が実に良い」
「然り」
「この、ハルちゃんのお顔よ。げに愛い――だが、中身は男だ」
老人は、衝撃の事実をかみしめるようにして、口にする。
「男……」
「ハルちゃんが……」
「去年まで……」
「――始原としての盟約により、貴殿等にはハルちゃんのかわゆい姿をご覧に入れた。さあ、ここからは貴殿等の決断を」
かつん。
老人が、杖を床に軽く叩きつけ、是非を問う。
「――つまり実質ショタ!! 私は協力します!!」
「……さすがは身バレしても貫いたその心意気。ああ、君の会社の関係先には『話を通した』から安心したまえ」
「初見の君に、第一声を先を越されるとはな……俺もだ」
「ぼ、僕も!」
「私も入ります。ハルちゃんを護る会に」
「アタイもねぇ……この歳でひ孫ができた気分さ……」
「爺さんから婆さん、兄さんから姉さん……すごい集まりだな、改めて」
「何回かオフ会したけど……まさかこうなるとはなぁ」
「この流れになるとはね」
「これで全員じゃないもんねぇ」
「海外のあの二人もなかなか濃いもんねぇ」
暗い部屋に投影された、「ハルちゃん」の様々なシーン。
それを眺めながら――談笑する時間は続いた。




