急襲
朝焼けの光が差し込む部屋の中、オフィーリアはベッドに寝転がりながらなんとなく子守唄をハミングしてみるが、途中で嫌になってやめた。
つくづくわたしは音痴すぎる、とオフィーリアはぼやきたくなった。
昔から歌は苦手だ。頭では正しい音程はわかっているのに歌うことはできないのだ。とてもじゃないが人に聴かせられるようなものではない。学生時代は散々からかわれたし、苦労もさせられた。
ミシェルは歌が上手かった。囁くように歌った子守唄でも、聴く者を惹きつける魅力があった。母親のお腹の中にいるときに、自分から歌の才能を全部持っていってしまったのかも、なんてことを考えて少しだけ笑った。
自分とミシェルの立場が逆だったらどうだろう――オフィーリアは想像した。
まず、真冬のゴミ箱に捨てられて生き残れるとは思えない。ミシェルのように奇跡的に助かったとしても、孤児院で誰にも引き取られることもなく、出所し野垂れ死ぬ未来しか見えなかった。
ミシェルはオフィーリアはたったひとりの家族と言った。
自らを捨てた実母が除外されるのは理解できるが、それでもミシェルには養父母がいるはずだ。
(あんまり⋯⋯家族関係、良くないのかな)
リリーはオフィーリアの髪と目の色も、捻くれた性格もすべて受け入れ、惜しみない愛情を注いでくれたが、ミシェルはそうではなかったのだろう。養父母は跡取りとして、ミシェルに将来性を感じて引き取ったのだから。立場が違いすぎるのも一因か。
唯一の血縁者のオフィーリアに固執するミシェルを見ていると、幼少期に無償の愛情を注がれない運命を辿った、もうひとりの自分の姿のようで暗澹たる気持ちになった。
君が納得できるまで待つよ、とミシェルは微笑んだ。――ただし、そんなに時間はあげられないけれど、と付け加えて。待つとは言っていたが、それでも断られはしないだろうと確信しているような口ぶりだった。
ミシェルについて行けば、もう命の危機に晒されながら戦わずに済むし、好きなだけファゴットを吹いていられる。安穏とした生活を送れる。もしかしたら軍楽隊に入隊できる可能性もある。
それでも煮え切らないのは、バニラが気がかりだからだ。
オフィーリアはもう一度バニラに会いたかった。
アリアたちを殺したことを責めたり、どうして助けてくれたのか問いただしたりしたいのではない。
ただ、バニラは今、寂しがっているんじゃないか、とオフィーリアは思っていた。
きっとバニラ自身でさえ気づいていない。「さよなら」と告げたバニラは、無表情を装いながらも瞳には寂しさの色を映していた。
あの瞳を思い出すたび、オフィーリアはえもいわれぬ苦しさに襲われた。とにかくバニラに会いたくなった。
思いのままにあの小さな身体をぎゅっと抱きしめてもいいし、黙って隣に座っているだけでもいい。バニラが望むなら、いくらでもファゴットを吹いてあげたい。
ここを離れればバニラに会える可能性はおそらくゼロになる。だからといって留まることをミシェルは良しとしないだろう。
――僕をひとりにしないで――ミシェルの声が呪いのように耳にこびりついている。
痛ましい声だった。必死にオフィーリアを求めるその声は、ファゴットに焦がれていたかつての自分の姿をオフィーリアに想起させた。
何かを欲するということは希望を見出すことに繋がるが、同時に苦しみをもたらすことを、オフィーリアは身を以て知っていた。だからこそミシェルの願いを簡単に切り捨てられない。板挟みだ。
突然、室内に設置されているスピーカーからけたたましいサイレンが流れ、思考が中断される。
オフィーリアは驚いてベッドから飛び起きた。
「? あれ、止まった⋯⋯」
サイレンは数秒ほど鳴ったのち、ぶつんと途切れる。何かの間違いだろうか、とオフィーリアは首を傾げた。
⋯⋯不思議と胸騒ぎがする。外の様子も見てこようと思い、椅子にかけていた上着に袖を通し、ファゴットに手を伸ばした瞬間、遠くから轟音が聴こえた。
「なっ、何!?」
オフィーリアはあわてて外へ飛び出した。
通路には誰もいなかった。だが、こちらへ向かって走ってくる複数の足音に怖気がつく。
「⋯⋯え?」
オフィーリアはぎょっとした。
通路の角から姿を現したのは三人。全員ヘルメットを被り、ゴーグルのようなもので目元を覆い、全身もきっちり武装していた。
一瞬、訓練か何かかと思ったが、彼らはオフィーリアの姿を捉えた途端、アサルトライフルを構えた。
(違う⋯⋯これ、訓練なんかじゃない)
オフィーリアの背筋に冷たいものが走る。逃げようにも足が動いてくれなかった。反射的にこれから襲いかかるであろう苦痛に耐えるよう目を閉じ、身構えた。
銃声が何度か鳴り響く。だがいつまで経っても痛みはやってこない。オフィーリアはおそるおそる目を開けた。
「く、クロードさん⋯⋯」
クロードは硝煙が薄く昇る小銃を構えた腕を下ろした。
足元には大量の血を流し倒れる人間が転がっていて、全身が粟立つ。クロードはそれらを冷静に一瞥した後、オフィーリアの元へ駆け寄った。
「オフィーリア!」
クロードはオフィーリアを押し倒す勢いで抱きしめた。
オフィーリアはびっくりして反射的に押し返そうとしたが、密着した身体から伝わる心音は激しく、呼吸は乱れていることから、急いで助けにきてくれたのだと察した。
「よかった、無事でよかった⋯⋯ほんとうによかった⋯⋯」
繰り返し表情を崩して囁くクロードは冷静だったのではなく、緊張で強張っていただけなのだと気づく。
「あ、あの、いったい何が起きてるんですか? あの人たちは」
「ローゼンクランツだ」
クロードは苛立たしげに吐き捨てた。
その言葉を聞いた瞬間、オフィーリアはすぐに退役すべきと言ったバニラの顔を思い浮かべた。
クロードは真っ先にレプリカントの格納庫が襲われたのだと早口で言った。抗戦しているが、このままでは占拠されるのも時間の問題だとも。
「こ、これからどうしたらいいんでしょう、わたしたち」
そう訊ねたとき、オフィーリアの聴覚が、足音を殺しつつ、迅速に移動している複数の響きを捉えた。
「どうした?」
「あ、足音が聴こえて⋯⋯複数人分の。こっちに近づいてきてるみたいです」
「っ、とにかく走って!」
クロードはオフィーリアの腕を強く掴んで駆け出した。
ファゴットを置き去りにしてしまった後悔が頭をよぎるが、これ以上クロードの足を引っ張りたくなかった。オフィーリアはクロードに引っ張られるまま、転ばないよう必死で足を動かした。
クロードが進む経路は、オフィーリアがこれまでに何度も通った場所だった。
「もしかしてっ、お、オデットのところに、行くんです、かっ?」
オフィーリアは息を切らしながら訊ねた。
「ああ」
クロードはといえば走り続けているにもかかわらず呼吸は乱れていない。
「オフィーリアの機体だけはおれたちと違って別の格納庫に置いてあるから、きっと無事なはずだ」
「そっか、そうですね!」
オフィーリアはぱっと顔を明るくした。
部屋から遠くて不便だと思っていたが、オデットだけが古びた格納庫に収容されていることが幸いしたことに喜びを感じた。
だが、そんなことすぐに頭から吹き飛んだ。
「ひっ」
オフィーリアの喉から引きつった声が漏れた。
「あっ、あの! こっちに誰か来ます。この足音は、おそらく2人です」
クロードは冷静にホルスターから銃を取り出す。
「何があっても決して立ち止まらないで。たとえひとりになったとしても、オデットの元へ走るんだ」
オフィーリアが頷くよりも早く、クロードは上半身を捻り後ろへ銃口を向けた。
曲がり角から現れたのは、やはり先ほどと同じローゼンクランツの人間だ。目が追いつかないほどのスピードで急所を正確に撃ち抜くクロードに、オフィーリアはぽかんとするばかりだった。
あまりに鮮やかすぎて、人が死んだというのに現実味がない。映画か何かを観ているような気分だった。
オフィーリアは敵の静かな足音や息遣い、装備品が揺れる音を捉えるたびクロードに伝えた。やけに耳が冴えているのは命の危機に瀕しているからか。
クロードはそれを受けて精緻な射撃で射殺する。
オフィーリアは自分も、と思い銃を取り出したが、足手まといになるだけだと取り上げられてしまった。全くもってその通りだった。
でも、たとえ身を守るためだとしても、クロードにだけ人殺しをさせている状況が苦しい。
早くオデットのところにたどり着きたい――そして今度は自分がクロードを守りたい――そんな思いがオフィーリアを焦らせた。
だから、格納庫にたどり着いてドアのロックを解除し、一歩足を踏み入れたとき、ずっと張り巡らせていた気が緩んだ。
オデットに会える安心感がオフィーリアを油断させた。
「――オフィーリア!」
クロードの叫び声に振り返った瞬間、視界がめまぐるしいスピードで移り変わった。
閉鎖されるドア。その隙間から見えた銃口を向けるローゼンクランツの軍人。
クロードの胸から飛び散る鮮血。




