苦悩
荒廃した市街地だった。
コクピットの中はずいぶんと息苦しく、圧迫感があった。一度、操縦桿から手を離して、汗ばんだ手のひらをズボンに擦りつける。ネクタイを緩め、白いシャツのボタンをひとつ空ければ、息苦しさが少しだけ緩和されたような気がする。
空調は正常に作動している。ということは、この息苦しさは精神的なものなのだ。オフィーリアは周囲に警戒を張り巡らせながらも、操縦の手順を必死に反芻する。
レプリカントの動かし方もろくにわからないオフィーリアに、基本的な操縦の仕方を教えてくれたのはクロードだった。
昔使っていた教本のデータと手書きのノートをわざわざ実家から送ってきてもらい、自分にはもう必要ないからと言って譲ってくれた。
あまつさえ、自由時間を割いてまでして解説してくれたのだ。なるべく失敗はしたくない。
オフィーリアは操縦桿を握り直し、足元のペダルの感覚を確かめる。大丈夫、うまくやれる、と何度も自分に言い聞かせる。
レプリカントの知識をほとんど持ち合わせていなかったせいで、クロードにはたくさん迷惑をかけてしまい、オフィーリアは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
クロード以外の人間は、どうしてこんな簡単なこともできないのかと腹立たしく思っているようだが、オフィーリアからしてみれば目が回りそうなほどのスピードの中、動き回るものを狙える方がおかしいと思う。
これなら好奇心旺盛な親友に誘われるがまま、自由選択科目でレプリカントの演習を履修しておけばよかった。かじる程度の授業が役に立つかは不明だが、何もしないよりはマシだったろうに。
そのときはまったく興味なかったし、まさか自分がレプリカントに乗る羽目になるなんて思ってもみなかったのだから。
「!」
はっとして意識が浮上する。微かに音が聴こえた。これはレプリカントの駆動音だ。オフィーリアにはわかる。敵機がこちらへ近づいていた。
緊張で乱れそうになる心臓を抑えて深呼吸する。クロードに教わったことだ。パニックに陥ったら、どんな状況でもひとまず深呼吸するんだ、冷静さを欠いていては何をしてもうまくいかない、と。
息を吸って吐き出す。たしかにそれを繰り返すだけで頭が冷えるような気がするから不思議だ。
探知機能を使用不可にしての訓練で良かった。まだこちらの存在に気づいていないのなら、不意をついて倒してしまおう、とオフィーリアは考えた。卑怯な戦い方なのかもしれないが、手足を動かすのが精一杯の自分では、まともに戦ったって勝てやしないのだから。
クロードに教わったことをひとつひとつ思い出しながら慎重に操作する。途中、あやふやな箇所があったが、なんとかレーザーライフルを構えるところまでもってこられた。
音が近くなる。もうすぐ射程範囲に入る。それまで待たなければ。
早く帰りたい、とオフィーリアは思う。昨夜は昔から定期的に見る悪夢のせいでよく眠れなかった。
部屋に戻ったら一息ついて、それからファゴットを吹く。その後あたたかい夕食をたっぷり摂って、シャワーを浴びて、ふかふかのベッドで眠ってしまいたい。
ーー敵機はまだ見えない。オフィーリアは不安になった。
気づかれてしまったんだろうか。
想像するだけで手が震えて、操縦桿を手放したくなる衝動を必死で堪えた。
この操縦桿がファゴットだったらいいのに、ありえないことを考える。もしそうだったなら、この基地の誰よりも上手にレプリカントを動かせるだろうに。
(……よよ、よ、よし! 今だ!)
オフィーリアは廃墟の影から飛び出し、目を瞑りながらレーザーライフルを何発も撃った。光が微かにまぶたを透かす。唇から小さな悲鳴がこぼれる。
当たっただろうか? おそるおそる目を開く。舞い上がる粉塵のせいで視界は不明瞭。倒せたのかどうかもわからない。
肩で息をしながら半ば放心していると、耳障りなアラートと共にウィンドウが開く。
「えっ? け、警告? 上? どうして……」
直後、コクピットに激しい衝撃が走る。悲鳴を上げながら反射的に両手で頭を抱え込もうする際、操縦桿に手の甲をぶつけてしまったこともあって、オフィーリア機は転がるように横合いに倒れた。
モニターは機体の損傷具合を示している。
ひどい有様だった。オフィーリアの射撃はほぼ回避され、粉塵に紛れて上から斬りかかられたらしかった。ただ、操縦ミスで横転したことにより、致命的な損傷は避けられていた。
「と、と、とにかく、おお、起き上がらないと」
マニュアルを反芻しながら機体を起こそうとする。が、体勢を立て直せない。
「な、何で? 操作は間違ってないはずなのに……」
モニターに触れながらステータスを確認し「あっ」と声を上げた。
オートバランサーが破損してしまっている。これではマニュアルで機体をコントロールするしかない。オフィーリアの操縦技術では土台無理なことだった。
惨めにもがき続けるオフィーリア機の胸部に、敵機のブレードが突き刺ささった。