宣告
「あ、クロード!」
クロードが退室しようとすると、ドアの前でベルを鳴らそうとしているムゼッタと鉢合わせた。
「静かに」
クロードは唇の前に指を立てた。
「眠ったところだから」
「あっ、ごめん。じゃあこれだけ置かせて」
ムゼッタはそっと部屋に入ると、紙袋の中身を取り出した。クリーニングされた軍服だった。ハンガーに掛け、軽く畳み皺を伸ばす。
次に半透明のデータスティックをテーブルに置いた。
「それは?」
「上着のポケットに入ってたそうよ。内容は何の変哲もないあの日のコンサートの映像と音声の記録。だからすぐに返却されたみたい」
「⋯⋯じゃあ、それはなんだ?」
クロードはムゼッタの手にあるPTPシートに目を留めた。どれもオフィーリアが飲んでいる精神安定剤や睡眠導入剤とまったく同じ形状をしている。
ムゼッタはバツが悪そうに視線を逸らした。
「び、ビタミン剤」
「ビタミン剤? どうしてだ?」
「オフィーリア、いくら処方されてるものとはいえ、薬の力に頼りすぎなんじゃないかって。だからすり替えて⋯⋯」
「プラセボ効果を狙ったのか」
クロードは顔を顰め、「オフィーリアの苦しみがわからないのか。素人が勝手にやっていいことじゃない」と強い口調で責め立てた。
「⋯⋯そうよね、ごめんなさい。――フーの状態、どうだった? あたしが最後に話したのは5日前なんだけど」
ムゼッタは謝罪し、会話の流れを切り替える。
「あの夜の後よりはだいぶ良くなってる。声色に生気がなかったが会話もできた。だが、心の傷は根深いな⋯⋯」
「当然よね、あれほど凄惨な現場を直視したんだもの」
「こういう事例は往々にしてあることだが⋯⋯何も力になってやれない自分が情けないよ」
クロードはストロベリーブロンドの掻きむしりながら重苦しいため息を吐いた。
「ベルモント基地の生き残りも、例のレプリカントの恐ろしさを見せつけるために、わざと見逃したって説があるんだ」
「フーもそのために生かしたってことね。けど、事が起こっている間、フーは失神していたのよね」
「ああ。コンサートホールの、比較的被害の少なかったステージの上で倒れた際に頭をぶつけて意識がなかった」
「不幸中の幸いだったわね。もし、虐殺を目撃していたらフーも命を絶っていたかもしれない」
クロードは潤んだ琥珀色の瞳を隠すように俯いた。
「だが、オフィーリアは大切な人たちを喪ってしまった。どれだけ言葉を尽くしてもオフィーリアには届かない。下手な慰めは傷口に塩を塗るだけだと思い知らされたよ」
「⋯⋯そうね」
クロードのオフィーリアを気遣う言葉を聞いていると、ムゼッタは体の芯から凍えるようだった。
「フーは立ち直れるかしら」
「以前のオフィーリアに戻ってくれるなら、それが一番良いんだろう」
「でも、それは⋯⋯どんな治療を受けても無理よね」
「そうだろうな」と言ってクロードは顔を上げた。もう涙ぐんでいなかった。
「たとえ立ち直れなくてもそれでいい」
ムゼッタは驚きに目を見開いた。クロードなら手を尽くしてオフィーリアの心の傷を癒そうとすると予想していたからだった。
「おれ、実はオフィーリアには退役してほしくなかったんだ。一緒にいると楽しいし、話していると笑顔になれる。気持ちが明るくなるんだ。退役すればおれとオフィーリアの縁は切れてしまうだろうからな。
⋯⋯けど、今は退役してもいいと思っている。その後もオフィーリアを支えさせてほしいんだ」
「そこまで、フーのことが⋯⋯」
動揺するムゼッタの様子に気づくことなく、クロードは続ける。
「幸せになってほしいんだ」
クロードは拳を握る。決意を固めた人特有の目だった。
「オフィーリアのおかげで他者の幸せを願えるようになれた。自分でも驚いてるよ。⋯⋯存外、悪くない心持ちだ」
そう言ってクロードは微笑んだ――ドアの向こうのオフィーリアに向かって。
「⋯⋯フーのこと、好きなの?」
ムゼッタは祈るような気持ちで訊ねるが、クロードは笑って「食堂に行かないか? 一緒にアップルパイを食べよう」と返した。
その瞬間、ムゼッタはクロードの気持ちを確信してしまった。魂が体から離れ、己の姿を俯瞰しているような感覚に陥る。
それでも唇は勝手に「それはいいわね。あたしもアップルパイ大好き」と動き、頬は薔薇色に染まる。
食堂へ向かう途中、クロードは「今、オフィーリアに贈り物を作ってるんだ」とはにかんだ。
「え?」
「少しでも元気づけられたらって気持ちが半分、もう半分は⋯⋯おれがオフィーリアを喜ばせたいから。初めて会った瞬間から、オフィーリアにはかすみ草がとても似合うと思ってさ。だからそれを使って色々試してるところ」
「⋯⋯オフィーリアがかすみ草なら、」
ムゼッタは少し躊躇うが、勇気を振り絞って訊ねた。
「あたしには何の花が似合うと思う?」
クロードは目を瞬いた。顎に手を当て唸る。
「そうだなぁ。ムゼッタはパワフルで明るくて、華があるからな。うーん、迷うな⋯⋯」
全身に冷や水を浴びせられた心地だった。ムゼッタはオフィーリアの姿を思い浮かべる。
生い立ちゆえ気弱過ぎるきらいがあるが、優しくふんわりとしていて、儚い印象のかすみ草はたしかに似合っている気がする。
クロードは花の名前をいくつも挙げては、ああでもない、こうでもないと悩んでいる。
一眼でかすみ草が似合うと評されたオフィーリアと己の違いについて考えると、ムゼッタは遣る瀬無い思いになった。
薄暗い思考を断ち切るように、ムゼッタの端末に着信が入った。
「ごめんなさい。出てもいいかしら」
「大丈夫だよ。おれはそこのソファに座って待ってるから」
クロードがある程度離れてから、発信者の名前を確認し、ムゼッタは表情を強張らせた。
数回、深呼吸をして通話に応じる。
「――何の用ですか。報告は既に完了してますがいったい何の――⋯⋯、あの人が、余命宣告を⋯⋯?」