危機
酷い、とオフィーリアは呟いた。
その光景を見たら、もうこの言葉しか出てこなかった。
そこはまるで地獄のようだった。
建物はほとんどが半壊している。レーザーによって大穴が空いているものもあれば、激しい砲撃によって砕けてしまっているものもある。未だ回収し切れていないレプリカントの残骸が転がっていた。
ひとつの軍事基地が短時間のうちに、ここまで一方的かつ徹底的に破壊されてしまうなんて信じられなかった。
通信の入る音で現実に引き戻される。繋ぐとモニターに赤髪の女性が映る。今回は予め決められた僚友と二機一組で行動することになっていた。
オフィーリアの相手は茶色い髪色の女性だった。
できることならクロードが良かった、とオフィーリアはひとりごちた。ハンスは単独で行動している。
彼女は素っ気なく「持ち場に行くからついてきて」とだけ言い、返事を聞く前に通信を打ち切った。
少し距離を取りながら追随しつつ、僚機が発表されたときの彼女の様子をぼんやりと思い出した。
いつもそうだ。
まず。銀色の髪に目を剥く。そのまま視線をずらして今度は目をじろじろ見つめ、嫌悪感で顔を歪めるのだ。
クロードもムゼッタもハンスもみんな優しかったから。この色を受け入れてくれたから。オフィーリアは自分の容姿が他人に嫌悪感を与える事実を思い出したのだった。
『きゃあ!』
はっとして顔をあげるとモニターいっぱいに彼女の乗るレプリカントの後ろ姿が映っていた。
ぼんやりしているうちに操作を誤り、加速し過ぎてしまっていたらしい。
慌ててオデットを止める。どうやらぶつかるぎりぎりのところで止まれたみたいだ。
モニターが切り替わり、眉間にきつくシワを寄せた彼女が現れる。オフィーリアはさっと身を縮こませた。相当怒っている。当然だ。
オフィーリアはすぐさま「す、すみません!」と頭を下げるが、彼女はただ深々とため息を吐き、『じゃあ、ここから先は別行動にするから』と冷たく言い放った。
「え、別行動って⋯⋯」
二機一組で、と指示されているはずだ。オフィーリアは離れていく彼女の機体に、オデットの腕を伸ばそうとすると『あのさ、』と静かだが、怒りを湛えた声が響いた。
『あなたのことが嫌いだから、たとえ任務でも、指令に反しても一緒にいたくないの。それくらい察しなよ』
そう吐き捨てて立ち去る彼女を、オフィーリアは止めることはできなかった。
オフィーリアは数分ほど上半身を折り曲げて、痛みを堪えるようにじっとしていた。
彼女の言葉は的確にオフィーリアの心を抉った。連鎖的に過去のつらい記憶が蘇って小さく呻く。
気持ち悪いのは事実なんだから仕方ない。事実なのだから傷ついてはいけない。そう自分に言い聞かせることで次第に精神が安定してくる。
――養母にも、親友にそうやって自分を卑下するのはやめて、と言われ続けていたのに、どうしてこうすることで気持ちが落ち着くんだろう?
モニターを切り替えて、ぐるりと周囲を見渡した。
古びた倉庫ばかりが建ち並ぶばかりの寂しい場所だ。
ここは基地の端の方だからか比較的被害は少ない。建物も形を保っているものがいくつかあるが、扉はすべて破壊されていた。地面に薄っすらローラーの跡が残っている。
オフィーリアはむくむくと膨らむ好奇心を抑え切れず、また気を紛らわしたい気持ちもあって中へ入った。
冷え冷えとしたコンクリートの地面に破損したレプリカントのパーツが散乱している。まるで泥棒が家捜しした後のようだった。
(もしかして何かを探したとか? でもいったい何を?)
オフィーリアは小首を傾げた。
建物の状態からして長い間使われていなかったようだし、こんな場所に価値のあるものがあるようには思えない。
ムゼッタが好きそうな秘密兵器とか、そういうものがあればいいのにな、なんて非現実的な空想に耽る。お土産に持って帰ったらきっと喜んでくれるだろう。
たくさんある倉庫の中を順番に覗いていく。どれも中身は似たようなガラクタばかりだったので、ちょっとがっかりした。
金の懐中時計を開くと定刻までまだ大分時間があった。早く戻りたかったが、また彼女と顔を合わせるのは気まずい。
オフィーリアは憂鬱を吐き出すようにため息をついて、残った倉庫に目を向けた。
それはいちばん角にあった。
時間を潰すようにのろのろと移動して、はてと首を傾げた。
ここだけ扉が閉まっている。
扉はひしゃげていて完全に閉まり切っておらず、壊れた扉を強引に嵌め込んで閉めたように見えた。どうしてこれだけが?
――ガタンッ!
オフィーリアの肩が跳ねた。口をはくはくさせながらモニターを凝視する。
今、たしかに物音がした。きっと積んでいた機材でも崩れたんだろう。他の倉庫もそんなものしかなかった。
オフィーリアは自分にそう言い聞かせる。無意識のうちに口に溜まった唾を飲み込んだ。
理由なんてないのに、ものすごく嫌な予感がした。
(どうしよう⋯⋯確かめたほうがいいのかな。彼女にも連絡を⋯⋯)
連絡をとろうとパネルを操作するが、いざ通信するなると、先程の言葉が蘇って手が震える。
きつく目を閉じて逡巡したのち、ウィンドウを消した。
(たかが倉庫の中を調べるくらい、わたしひとりでもできる。大丈夫、他の倉庫は何の異常もなかったんだから)
よし、と頷いて扉の隙間にオデットのマニピュレーターをかけた。そして慎重な操作で嵌め込まれた扉を外す。
額に薄っすら滲んだ汗を拭ってオフィーリアは微笑んだ。――うまくできてよかった。
躊躇わず倉庫へ侵入する。
扉を開けた程度のことで調子に乗ってしまって、つい先ほどまでの嫌な予感を、オフィーリアはすっかり忘れてしまっていた。
他の倉庫と特に異なる様子はなく、安堵と同時に肩すかしを食らった。
右側にはコンテナが積み上げられていて、左側には何か大きなものに青いビニールシートを被せてある。ビニールシートは他の倉庫にもあったが、どれも剥がされて地面に落ちていたのに。
(大丈夫。どうせ大したものなんてない。こんなことでいちいち怯えるから、わたしは周りの人を不愉快にさせるんだ)
オフィーリアは勇気を振り絞ってシートを取り払った。
そこには、ただ、鉄骨が数本斜めに立てかけられていて、そこにシートが被さりテントのような状態になっているだけだった。
ほっと肩の力が抜けると、笑いがこみ上げてきた。あんなにびくびくしていた自分がバカみたいだった。
床に何か落ちていた。細々したものが地面に散らばっている。
気になってカメラをズームした。
食べ散らかした携帯食料のパッケージに、ムゼッタがオデットを整備するために使っているのと似たような工具。剥がれたダークレッドの装甲、そして通信機器。
「どうしてこんなところに? ⋯⋯まさか、」
オフィーリアはさっと青ざめた。
そんな、もし自分の想像が当たっているのなら形振り構っていられない。
今度こそ通信しようと、オフィーリアはウィンドウを開いた。瞬間、背後から強い衝撃を受けた。