悪魔のレプリカ
どうして今になってあのときのことを思い出すんだろう。いや、今だからか、とオフィーリアはコクピットの中で考える。
目の前にはダークレッドのレプリカントだけ。周囲には誰もいない。一騎打ち状態だ。
まさに今、約一ヶ月前にハンスが言った、逃げたくても逃げられないときが訪れていた。
「ちょっと、早すぎませんか⋯⋯」
オフィーリアは震える声で呟いた。笑い飛ばそうとしたのにうまくできなかった。
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数日前、夕食を取るため食堂に入ったオフィーリアは困惑した。どこか不吉な空気が漂い、誰も彼もがピリピリした状態だった。
「ベルモント基地が壊滅?」
オフィーリアは思わず訊き返した。
夕食時、食堂でムゼッタはとんでもないことを言ってのけた。最初はただの冗談かと思ったのだが、声を潜めて話すムゼッタの表情は真剣そのものだ。
「あたしも最初聞いたときは耳を疑ったわよ。うちより規模が小さいとはいえ、ひとつの基地が一晩のうちに廃墟と化したのよ? そんなこと信じられる?」
「い、いえ⋯⋯、信じられないです。いったいどんな魔法を使ったんでしょうか」
「魔法ねえ」ムゼッタはため息混じりに言った。
「おれは魔法なんかじゃないと思うよ」クロード自然に会話に入った。
「食後のコーヒーとデザート持ってきた。おれも一緒にいいかな?」
「もちろんです」
オフィーリアはコーヒーを並べながら微笑むクロードに、同じように微笑み返した。
クロードはオフィーリアの隣に座った。
「ベルモント基地の話してたの?」
「はい、わたしもムゼッタさんに聞いたばかりで。ね、ムゼッタさん?」
「ええ、まあ⋯⋯」
急に口数の少なくなったムゼッタに首を傾げながら、クロードが運んでくれたケーキに目をやった。
「おれはどれでもいいよ」
「ええと、ムゼッタさんはどれにします?」
「んー、 じゃあこれにするわ」
ムゼッタは手前にあったマスカルポーネクリームのパイを引き寄せた。
クロードが「あ、それ一昨日食べたけど美味かったよ」と明るい顔で言うと、ムゼッタの頬がほんのり赤くなった。
オフィーリアはカプチーノ味のエクレアを、クロードはタルトタタンを選んだ。
「それでベルモント基地なんだけど」
クロードは声を潜めて言った。
「それをしたのは、ローゼンクランツの新兵器って噂があって」
「新兵器!」
ムゼッタの頬からさっと赤みが引き、代わりに瞳が興奮できらめいた。かわいい人だ、とオフィーリアは内心苦笑した。
「あくまで噂だから」
クロードは、身を乗り出して話を聞こうとするムゼッタを落ち着かせるため重ねて言った。
「あの場所にひとりだけ生存者がいたらしい」
「生存者?」
ムゼッタがおうむ返しに訊ねる。
「基地にいた人物は全員亡くなったって聞いてたわよ」
「唯一の生き残りの彼は当夜、たまたまこっそり基地を抜け出してたんだ」
「どうしてですか?」
オフィーリアは訊ねた。
「彼は天体観測が趣味だったんだ。規則を破り、夜な夜なこっそり抜け出して、望遠鏡で星空を眺めていたそうだ」
オフィーリアは、オーボエを吹くことの次に星を見ることが好きな親友の顔を思い浮かべた。
「へえー、運が良かったのねえ」
ムゼッタは肘を付いて言った。
クロードは首を横に振った。
「だけど仲間が一方的にやられて、基地が壊滅していく様を望遠鏡で見ているうちに精神に異常をきたしてしまった。発見されてからずっと入院していたんだけど、結局、指で眼球を抉って自殺したんだってさ。まるで、記憶に焼きついた恐ろしい光景から逃げるように」
「その人⋯⋯いったい何を見たんでしょうか?」
オフィーリアはぞっとする寒気に襲われ腕を摩った。
「悪魔」
クロードは躊躇いがちに言った。
「人の姿をした悪魔だそうだ」
「悪魔ァ? 何よそれ」
バカらしい、とムゼッタは笑い飛ばした。それでもクロードは深刻そうな表情で続けた。
「崩れた建物から炎に照らされた影が見えたそうだ。それは人の形をしていた。彼も初めは気に留めなかった。だってただの人影だぜ? 少しもおかしくなんかない。だけどなんとなく気になってじっと観察していた。するとそれは次第に変貌していった」
「変貌?」
ムゼッタは眉を顰めた。
「ああ。まず腕が異常に伸び始め、それから歪な翼のようなものが背中を突き破って飛び出した。そして凄まじい勢いで基地を内部から破壊する。その様はまるで悪魔のようだったそうだ」
たしかに話を聞く分には悪魔としか言いようがない。
「内部からの破壊。人影。悪魔」
ムゼッタは顎に手を当てて考え込み、そして呟いた。
「人間の姿をしたレプリカント?」
えっ、とオフィーリアは驚いたようにムゼッタの顔を見た。クロードはうなずく。
「外部の攻撃であれほど短時間のうちに破壊されるのはおかしい。内部から攻撃されたんじゃないかとおれも思うよ」
「噂は耳にしたことがあるけど、まさか本当だったなんて」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
オフィーリアは我慢できず、とうとうふたりの間に割って入った。
「さっきからわたし、全然話についていけてないんですが⋯⋯。あの、人型のレプリカントっていうのは、わたしたちが乗ってるものと違うんですか?」
オデットだって人の姿を模したカタチをしているじゃないか。頭部があって、手足があって――
「いや、おれたちの言う人型のレプリカントっていうのはニンゲンと同じ姿をしたものだ」
「ニンゲンと、同じ姿」
「そう。ヒトの容姿を完璧に模造した、でも一皮剥けば大量破壊兵器」
オフィーリアは目を剥いた。
「そ、そんなこと、実現可能なんですか?」
「今の技術じゃ難しいんじゃないか」
クロードはきっぱり言った。
「だけどローゼンクランツは本気でそれを開発しようとしているとか」
「バカバカしいと思ってたけど、こんな話が出てくるとねえ」
「それが実現されたら、」
どうなるんですか、とは言えなかった。オフィーリアにもなんとなく想像はついたからだ。
もし、この場所に紛れ込んでいたとしたら。もし、自分やムゼッタたちを殺し、成りすまされてしまったとしたら。
まさに悪魔と呼ぶに相応しい存在じゃないか。
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そういった経緯から、ベルモント基地の調査の任務も気乗りせず、クロードやムゼッタには自分たちがこんな話をしたせいだ、と余計に気を使わせてしまった。
「大丈夫だよ。基地を調べ終えるまでの間、周囲を警戒して見回り、何か発見したら報告して持ち帰るだけの簡単な任務だ。ウェーバー大尉だっている。頼りないけど、おれもいるからさ」
「そうよ。だからそんなに気負うことないわよ」
クロードとムゼッタはもったいないくらいの優しい言葉をかけてくれたし、ハンスは忙しそうで話をする時間はなかったが、通りすがり励ますように肩を叩いてくれた。それだけで気持ちは伝わってきた。
「オデット⋯⋯」
コクピットのシートに座り、オフィーリアは囁いた。
(そうだ、わたしはひとりじゃない。オデットもそばにいてくれる。わたしと一緒に戦ってくれる⋯⋯頑張らなきゃ)




