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同じ夜空と花火を見上げて  作者: 堀切政人
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平成二年七月二八日(土)午後《1》

 平成二年七月二八日(土)午後


 昼食を済ますと、誠は思い当たる由美子が行きそうな場所を探してみることにした。

「誠、宿題は済ませたの?花火大会までは、まだ早いでしょ」

「あ、うん……その前に、マー君と自由研究やってから行く」

 靴を履いて玄関を開けようとした出際に母から呼び止められると、厄介な状況を切り抜けるために誠は小さな嘘をつく。

「花火には勝手に行かないで、町内会の人達と集まって行くのよ」

 母の警告に空返事で応える誠は、鬱陶しいと思いながら家を出ると、再び堀切橋へ行ってみることにした。


 南の空に昇る太陽は一日の中で一番の活力を漲っていて、スポットライトのように向けられた日差しに体力を奪われると、町の中を勢いよく駆け抜ける足が鉛のように重くなる。

 それでも走るのを諦めず橋の袂に繋がっている階段までやって来ると、堪えていた体を手すりに掴まって支えながら上るが、手の平の汗が鉄パイプを滑りやすくさせて握りづらい。

 いつもであれば階段など兎のようにピョンピョンと、二段、三段と飛ばしながら駆け上がるのだが、今は一段、一段に足を乗せながら、ゆっくりと上に向かう。

 ようやく橋の袂に辿り着くと再び足を急がせて由美子を探すが、列車の窓から姿を見た場所にもう一度来ても、そこに願望するような変化はなかった。

「同じ所にはいないよなぁ……」

 橋の上から荒川の土手を見下ろすと、午前中に練習をしていた少年野球の集団の姿は見えず、その静けさには虚しさを覚える。きっと皆、昼食をとる為に帰宅したのだろう。

 この川の水を全て蒸発させてしまいそうに思えるほどの厳しい暑さにより、河川敷の風景も川の水面も、目に映る物がゆらゆらと動いて見える。

 堤防から中学生くらいの女の子が、ゆったりとした音楽をサクソフォーンで奏でる音が耳に届くと、それは誠でも聴いたことのある曲だった。グレンミラーの『ムーンライト・セレナーデ』だ。

 その曲を聴きながらぼんやりと川の流れを眺めていると、目の前の景色に過去の苦い記憶を思い出して重ねた。


 平成元年七月二十八日(金)


「マコト!今日、由美子行っちゃうんだから、絶対に来いよ!」

 由美子が福岡に引っ越す日の朝、拓也は誠の自宅に電話を掛けてきた。転校することを黙っていた由美子に腹を立てている誠は、きっと見送りにも来ないと思ったからだ。

「しらねぇよ、別にあんな奴、どこにでも行けばいい」

「おまえなぁ、きっと由美子だって内緒にしていたわけじゃないんだよ」

 一見するとクールで大人びているような誠だが、普段はおちゃらけていても、こんな時には拓也の方がよっぽど大人の考えを持っている。

 他の連中は『きっと引っ越すのを隠していたから、由美子のことが嫌いになったんだ』くらいにしか考えていないが、人の気持ちに敏感な拓也には、それが誠の本心ではないことが分かる。

「とにかく、一二時八分の電車に乗るらしいから、ちゃんと来いよ!」

 しかし、拓也に何を言われて説得されようが、片意地を張っている誠には見送りへ行くつもりなどなかった。


 今朝は雨の為に中止になったプール授業だが、元気が取り柄の半ズボン連中は、小雨なら中止にならないと勝手な憶測で学校に集まっていた。その時に誠は拓也と会っていたが、見送りに関する話は一切なかった。皆の前で話をすると、誠が意固地になってしまうと思った拓也の配慮だ。

『やっぱり、見送りには行こうかな……』

 無駄足だった学校からの帰り道には雨もすっかり上がっていて、窪みだらけのアスファルト道にできた水溜りを避けて歩きながら、誠は本音と意地の折り合いがつかずに葛藤していた


「誠、帰って来たなら、少し早いけどお昼ご飯できているわよ」

 母が声をかけると、朝から考えごとばかりしている誠は、ぼんやりとしながら食卓についた。先に食事を済ませていた妹の愛子が、母がビデオに録画したトレンディ―ドラマを観ながら、「吉田栄作カッコイイ」なんて、ませたことを言っている。

「今日、由美子ちゃんのお見送り行くんでしょ?早く食べなさい」と、目の前にカレーライスを差し出しながら、母が誠に話す。

「行かない。引っ越すなんて聞いてないし」

「分かってないなぁ……お兄ちゃん、由美子ちゃんはきっと、別れるのが辛かったから黙ってたんだよ」

 トレンディ―ドラマに洗脳されているのか、真っ白な皿にカレーライスが盛り付けられた食卓なのに、愛子は兄に向けて、バーカウンターでバーボンロックを片手にしながら話すような台詞を語る。

 そんなことは一つ年下の妹に言われなくても、誠にだって分かっている。ただ、他の皆にはともかく、幼馴染の自分には本当のことを話してほしかったと思う我儘だった。

「ゴチャゴチャうるさいなぁ……行かないものは、行かないんだよ。もう、ごちそうさま」

 誤魔化している気持ちにあれこれと口出しされて食欲を無くすと、誠はカレーライスをほとんど食べずに部屋へ戻った。


 部屋に戻って何もせずにぼんやりしていると、ただ時間だけが刻々と過ぎてゆく。寝転がりながらゴムボールを天井に向かって投げてみる。それは、ただやってみるだけの無意味な動作。部屋にはブンブンと羽を回す扇風機の音と、自宅前の広場でキャッキャ、キャッキャとはしゃぐ子供の声が開いた部屋の窓から聞こえる。

 耳に入ってくる音など気にせずにいたが、一階のリビングで鳴っている電話の呼び出し音が床を通りぬけて聞こえてくると、非常ベルの音でも耳にしたように過敏な反応を示して飛び起きた。

「マコト、里美ちゃんから電話よ!」

 階段の下から呼んでいる母の声が駆け上ってきたように聞こえると、ひょっとしたら由美子からの電話かもしれないと思った誠は、少し当てが外れた気持ちで部屋から出てリビングに来ると、保留にしていた電話の受話器を手に取る。

「もしもし」

「マコト、私だけど」

 誠の冷ややかな声を聞いて萎縮した里美は、おどおどとした口調になって要件を話す。

「あのさ……今日、由美子の見送りに行ったら、私がゴメンって言っていたって、伝えておいてくれない……」

 里美が謝らなければならない理由とは、由美子がクラスの女子から爪弾きされていた時に、他の連中と一緒になって無視していたからだ。

「俺、行かないから自分で言いに行けよ……それにしても、おまえって嫌な奴だよな。いくら俺らが悪かったとしても、おまえまで芳子達と一緒になって、由美子のことシカトしてさ……だから転校しちまうんじゃねぇのか?」

 誠は自分が由美子に対して素直になれない気持ちを、里美の不道徳な行いに当てつけて咎める。

「分かってるよ……だから私は会えないけど、マコトは会わないと、きっと後悔するよ」

 女子に対して素っ気ない態度の誠でも、由美子にだけは特別なことくらい誰が見ても分かる。

 誠に恋心を抱いている里美だが、好きだからと言っても、由美子のように自分を犠牲にしてまで誠を庇うことはできなかった気持ちの弱さと、誠の気持ちは由美子に寄せられていて、その心に自分が入り込む隙間はないと思った悔しさと嫉妬から、他の女子と一緒になって由美子を無視していた。

「そんなの、おまえだって一緒だろ!別に、俺は由美子の何でもないし!」

 自分でも分かっていながら素直になれない心情を、事も無げに里美の口から言われたのが癪に障った誠は、大声を出して気持ちを誤魔化すと、叩きつけるように受話器を置いて電話を切った。

 時計を見ると、時刻は十一時四十五分を示している。由美子の出発は十二時八分の電車だと聞いていたから、駅まで走れば今なら間に合う。

 口では行かないと突っ張っている誠だが、胸の内では由美子と会えなくなる寂しさが勝っているから、向かう口実がほしいのは事実であるが、その切っ掛けが里美になるのは違う気がする。

 壁に掛けてある時計の秒針がタイムリミットのように進んでいる音を、再び鳴らした呼び出し音で掻き消している電話の受話器を取ると、掛けてきたのは拓也だった。

『ブーッ、カシャン』と、小銭が電話ボックスに吸い込まれる音が聞こえた後、「マコト!何やってるんだよ、早く来いよ!」と、受話器の向こうから飛び出してきそうなほどの大声が耳に響く。

「おまえ、馬鹿な意地張ってないでさ、来ないと二度と由美子に会えなくなっちゃうぞ!」

 散々文句を言っておきながら結局見送りに行くのは格好悪いと思っていた誠だが、向かう口実としてこじつけるには都合の良い拓也の説得に、「しつこいなぁ、わかった、行く、行くよ」と、あたかも観念したような態度を振る舞って電話を切ると、猪突猛進になって家を飛び出した。


 時計が十二時を示しても、誠は駅に着いていなかった。ホームでは、由美子と由美子の母、拓也、淳平、昌洋が、列車の来る時間を待っている。

「マコトのバカ、なにやってるんだよ……」

 拓也はブツブツと文句を言いながら、ホームに繋がっている階段を下りたり上ったりして、誠の姿を探している。

「大丈夫だよ、怒らせちゃったのは私だから……」

 寂しそうな声で話しながらも、別れ際に気を遣わせたくないと思って笑顔を作ろうとしている由美子を見ると、拓也はひねくれていた誠の態度に腹が立つ。

 十二時五分になる頃、ようやく駅の改札に辿り着いた誠だが、急いでいたから切符も買わずに改札を通ろうとした所を駅員に呼び止められた。

「君、ダメだよ!ちゃんと切符買わないと」

 ポケットの中を弄るが、慌てて家を出てきた誠は一円も持ちあわせていない。

「ちょっと、引っ越しちゃう友達を見送るだけなんです!会ったらすぐに出てきますから、お願いします!」

 両手を合わせて誠は駅員に頼み込むが、若そうな駅員は新米なのか、こういう時は頭が固いと言われそうなベテランの年配駅員よりも同情を引けずに、「駄目なものは、駄目!」の一点張り。そんなやり取りで揉めているうちに、時計の針は十二時八分を指そうとしていた。

『駄目だ、間に合わない……』

 誠はホームまで行くのを断念すると、咄嗟に堀切橋に向かって走り出した。

『あの場所なら橋の横を電車が通る時に、由美子が見えるかもしれない……』

 雨上がりの強い日照りの中、誠は全速力で走った。額から流れる汗が目に入って沁みると、痛みが視野を遮る。シカゴ・ブルズのマークが入ったバッシュは大のお気に入りだが、今に限っては重たくて走りづらい靴に感じると、こんなことならビーチサンダルの方がまだよかったと思えてくる。

 焦る気持ちから色々なことが障害に思えて苛立ちながらも、橋までの道のりを立ち止まることなく駆け抜けると、列車が通るのと同じタイミングで辿り着いた。

「きっと、あの電車に乗っているんだ」

 車両の窓に目を向けて由美子の姿を探すものの、目ではとても追えぬ速さであり、列車は誠の気持ちなど知るはずもなく通り過ぎてゆく。

「どうせ行くなら明日、花火観てから行けよ……」

 結局、由美子の姿すら見ることができなかった誠は、蟠る心の声を、走り去る列車に向かって呟いた……



『やっぱり、由美子も一緒に花火を観たかったんだ……』

 どの位ここに立っていたのだろうか……苦い記憶による回想から覚めると、川を流れている水の音が聞こえた。

 目に映っている長閑な河川敷の風景とは違い、背後からは橋の上を勢いよく走り抜ける車が吐き出した排気ガスの匂いが漂ってくる。

『早く由美子を探さないと……』

 過去を振り返ったことにより、由美子に会いたいと思う気持ちがより一層と強くなる誠は、顔の頬を両手で叩いて気を引き締め直すと、再び歩き始めた。


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