平成二年 七月二八日(土) 午前《6》
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その頃、昌洋は不在票の入っていた『チャレンジ』を郵便局へ直接受け取りに行き、その帰り道を歩いていた。ようやく期待の品を手にした喜びが、にやけ顔になって表れている。
駄菓子屋の前を通ると、北川軍団が未だにプール道具を持ったまま屯していた。
「よぉ!マー君、マコトから今日のこと聞いた?」
和也の言っていることを昌洋は、「え、何のこと?」と、なぞなぞでも問い掛けられた気分で聞いている。
「なんだよマコトの奴、ちゃんと人数集めてるのかよ」
そもそも本題を知らない昌洋にとっては、和也が怒る理由など分からずに、連載漫画を途中から読まされた気持ちになる。
「とりあえずマー君だけでも来いよ、今から作戦会議するから」
裕太に肩を叩かれると、昌洋は本能が危険を察知したように一歩身を退いた。
「だから、何のこと?今はダメだよ。まだ昼ご飯だって食べてないし」
「いいよ、昼飯なんてどうだって!早く行くよ」
幸男が無理やり連れて行こうとして腕を掴むと、昌洋は大切な小包を落とさぬように守って抱きかかえる。
「それに、どこに行くって言うんだよ」
「だから、それは……」
和也が四つ葉小と決闘があることを話すと、昌洋は「嫌だ!僕行かない!」と言いながら、走って逃げ出そうとする。
「おい!落ち着けよ!花火大会には行けるから、大丈夫だって!」
「そういう問題じゃないよ!僕は元々喧嘩なんか嫌いだし、帰って自由研究をやるんだ!」
「マー君、落ち着けって……」
幸男と裕太が、ジタバタと足を動かして暴れている昌洋を取り押さえていると、「あんた達、何やっているの?」と、突然現れた芳子達が話しかけてきた。
「ねぇ、由美子が来ているらしいんだけど見かけなかった?」
暴れている昌洋のことをそっちのけにして、芳子は和也達に訊ねる。
「嘘!由美子いるの!」
由美子へ密かに気持ちを寄せていた裕太は、芳子の言うことを聞いて過敏な反応を示す。
「由美子?見てねぇよ、別に興味ないし……大体いたらどうするんだよ、おまえ達仲悪かっただろ?」
和也が訊くと、芳子は「だから……謝ろうと思っているの」と言っているが、顔を顰めて目を逸らす様子からは、怪しさが滲み出ている。
「とにかく今日の花火大会には私たちが一緒に行きたいから、由美子に会っても誘わないでよ」
陽子が和也達に忠告すると、芳子達は嘘を誤魔化すように去って行った。
「何か怪しいなぁ……」
いつもならば『あっちに行けよ!』と言ってもしつこく絡んでくる連中が、自ら立ち去って行く姿を見ると、幸男は眉に唾を塗って不信感を抱く
「ねぇ、僕帰るよ……」
すっかり忘れられていた昌洋は、三人の背後からあえて聞こえぬような小声で言付けて去ろうとするが、その気配を感じ取った和也に捕まると、小包を取り上げられた挙句に、ポケットから出した玩具の手錠を手首に掛けられた。
「ちょっと、これ何だよ!外してよ!何でこんなの持ってるんだよ!」
「決闘の時に使えるかと思って持ってたんだよ。もう逃げないと約束するなら、外してやるよ」
両手を塞がれて泡を食っている昌洋の姿を見ながら、北川軍団の三人は意地悪に笑っていた。
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由美子を探していた淳平だが、芳子達が花火大会へ連れてくると言った嘘にすっかり騙されると、任務を果たした気分になって拓也の家に向かっていた。
「やっべ、ゲームボーイ持って来るの忘れた」
忘れ物に気が付いた淳平は一度自宅に戻るが、母に見つかれば宿題が終わるまで部屋に監禁されてしまうから、我が家に泥棒が入ったようにして部屋まで戻る。
ゲームボーイを手に取ると、家宝でも持ち出すようにして再び家から出ようとするが、祖父の代に建てた古い家の廊下を歩けば、床がきしむ音だけは偽れない。昨年までテレビで放送していた『風雲たけし城』にでも出演している気分で、我が家という難所を切り抜けようとしているようである。しかし母は、そんな我が子の行動を見逃してはいなかった。
「あんたまだ昼御飯も食べてないのに、何処へ行こうとしてるの!」
鬼ごっこやかくれんぼであれば、見つかった時だけの驚きであるが、この鬼に見つかることは後の恐れもある。
「ご飯、お腹空いてないからいらないよ……」
「ダメ!宿題だってやってないでしょ!ご飯食べたら宿題やらないと、花火大会も行かせないからね!」
「じゃあ、早くご飯出してよ」
家からの脱出が上手くいかなかった淳平は、思惑通りにはならなかったことに不貞腐れて、開き直った態度をとる。
「あんたが帰っていなかったから、まだできてないわよ!先に宿題やりなさい!」
母の機嫌を余計に損ねると、淳平はこっそりとビーチサンダルを隠し持ちながら、二階の部屋へ逃げた。
「クソ!どうにか出れないかなぁ……」
部屋に戻った淳平は、キョロキョロと窓から顔を出して外の様子を確かめると、二階から物置小屋の屋根に飛び移り、外へ抜け出すことを考えた。
屋根の上に足を下ろすと、空の真上に昇りきった太陽の陽射しが照らし付けていて、ビーチサンダルを溶かしてしまいそうなほど熱くなっている。スチール製の物置小屋からは陽炎が見えていて、滑り落ちたら血の池地獄へ落ちるように思える。
恐る恐る歩いていると、屋根の下から呼んでいる声が聞こえたので母に見つかったと思って驚いたが、呼んでいたのは昌洋と北川軍団だった。
「ジュンちゃん!何やってるんだよ!」
淳平は玄関先で大きな声を出す和也を見ると、人差し指を口元に当てて静かにしろと合図をしながら、屋根の上を歩く。
ビーチサンダルで歩くと滑りやすくて危ないと思ったので裸足になると、日の出からの太陽の光を十分に吸収していた屋根は強烈に熱くなっていて、「あっちい!」と自分まで大声を出してしまった。
「ねぇジュンちゃんが来たら、僕は帰って大丈夫でしょ?」
昌洋は相変わらず手錠を掛けられたまま、捕虜のように捕らわれている。
「ダメだよ!あっちは最低でも、五人は連れてくるから」
「ジュンちゃん!話があるから、早く降りて来いって!」
言うことを聞かずに大声で呼び続ける和也に向けて、淳平は再び注意を促す。
「だから、おまえ声がでかいんだよ……」
一刻も早く脱出しなければならないと思うものの、屋根の熱さには敵わずに座り込んでしまい、今度は突いた手の平に熱を受けて、淳平は再び大きな声を出してしまった。
外の騒がしさに気づいた母が玄関を開けて出てくると、和也達が小さな声で『ウッス』と言いながら、チラチラと横目遣いをしている。その視線が気になって目を向けると、見上げた屋根の上にいる息子の滑稽な姿を見て形相が変わった。
「バカ!何やってるの! 早く部屋に戻りなさい!あんた達もプール道具持ったままウロウロしてないで、早く家に帰りなさい!」
番犬が不審者を見つけて吠え出したように息巻く怒鳴り声を聞くと、和也達は恐れをなして逃げて行った。
「そんなバカなことしていたら、本当に花火行かせないからね!」
その大声は天までとどきそうなほどであり、騒がしかったアブラゼミも驚いたように鳴き止むと、夏の音が空に吸い込まれて消えたようである。
けれど、燦燦とした光を塗している青空は夏の顔を見せていて、淳平の悪行を戒めるように太陽が眩しく照りつけていた。