平成二年七月二八日(土)夕方《2》
《 平成元年 四月二一日(金) 続き 》
そして学校が終わると、由美子と里美に見つからぬように下校して、駆けつけたゲームショップでお目当ての品を手に入れてからアジトに来ていた。
「で、由美子、何で泣いてたんだよ」
思い返せば気の強い由美子が泣いている所など、二人とも見たことがない。
保育園の頃など、誠がゴールデン・レトリバーに吠えられて驚いていると由美子は前に立ちはだかり、「ワン!ワン!」と言って追い払おうとする肝っ玉の強さだった。
「だから知らないよ。でも、あいつが泣くほどだから、よっぽどジュンちゃんの言ったことがムカついたんじゃないの」
誠は大泣きしていた由美子のことを思い出しているが、拓也は買ったばかりのゲームに夢中であり、画面の見えづらさを防ぐために照らしていた懐中電灯を、自分だけに目掛けて向ける。
「あっ!おい、おまえばっかりに当てるなよ」
「だって、ゲームボーイって暗い所だと、画面が全然見えねぇんだもん」
二人が懐中電灯の取り合いで揉めていると、アジトの外から、「コラ!マコちゃん、タク坊!」と、二人を呼び付ける強い声が聞こえた。
「やばい、由美子だよ。やっぱり、掃除さぼったから怒っているのかな」
二人は焦りながらも新品のゲームボーイを丁寧に箱へ入れ直すと、ばつが悪いと思う拓也は助けを乞うように誠の顔を見ている。
「何だよ、自分がさぼろうって言ったんだろ……あ、あと由美子にこれ以上、泣いていたことを聞くなよ」
誠の言うことに拓也が頷いて応えると、二人は「エヘヘヘヘ……」と、笑って誤魔化しながら扉を開けた。外には頬を膨らませて二人を睨みつける由美子と、その隣で苦い顔を見せた里美が立っている。
「何で掃除さぼったの!」
教室で気に障ることを言われた挙句に、掃除当番まですっぽかされた由美子は、非常に機嫌が悪い。
学校での一件があることから、余計なことを言って再び泣かれてはかなわないと思う二人は、「いゃ、ちょっと……」「忘れてた、ごめん」と、曖昧な言葉を使って言い訳をする。
「忘れてた?嘘ばっか!二人で大変だったんだからね」
「だからさ、ごめんって。そうだ、アイス奢るからさ、駄菓子屋行こう」
拓也は物で誘惑して二人の機嫌を取ろうとするが、由美子は「そういう問題じゃないでしょ!」と、甘い話には引っかからない意思を示す。けれど、それほど気にしていない里美は、二人を庇うように「いいんじゃない、アイス奢ってくれるなら、許そうよ」と言って、由美子を宥めた。
「しょうがない……でも『チューペット』じゃ駄目だからね。『クレープ屋さん』のストロベリーなら許してあげる」
「おい、待ってくれよ、そんなの買ったら、自分の分が変えないよ」
「掃除さぼって、そのゲーム買ったんだから十分でしょ」
由美子はそう言いながら悪戯っぽく笑うと、二人が手に持っているゲームボーイの箱に視線を向けた。
食べ物と引き換えにして由美子と里美の機嫌を取り戻した誠と拓也だが、翌日に学校へ行くと、その他の女子にも掃除当番をさぼった件について責め立てられた。
「ちょっと、あんた達、昨日の掃除当番さぼったでしょ!」
「なんだよ、由美子と里美が許してるんだから、おまえ達には関係ないだろ」
芳子を筆頭にして女子連中は二人を取り囲んで叱責するが、拓也からすれば、その件は普段なら自分でも買うのを躊躇うような金額のアイスを奢ったことにより丸く収めたのだから、関係のない奴らからとやかく言われる筋合いはないと思って開き直った態度を取るから、相手連中の神経を余計に逆撫でる。
「由美子と里美は甘いのよ。こんな奴らもっと厳しくしないと、また同じことするんだから」
向こう意気が強い芳子は、誠と拓也が全員の前で謝罪するまでは、この件から絶対に手を引こうとしない。
「そうそう、男なんて自分勝手なんだから!うちのお母さんも、お父さんによく言っているし」
芳子の背後から陽子が横槍を入れて加担するのを見ていると、淳平には二人の姿が『ドラえもん』のジャイアンとスネ夫に似ていると思えて笑い出すから、それが女子たちの怒りを刺激して争いを泥沼化させる。
「何だよ!俺たちを、おまえの家のアホ親父と一緒にするなよ!」
誠も言われっぱなしでは収まらずに食って掛かると、「もう、いい加減にしてよ!」と、由美子が大声を出して言い争いを遮った。
「ちょっと由美子、どうしたの?だって、あんた達が掃除当番を押し付けられたのよ」
芳子は昨日の放課後に激昂する由美子の姿を見ていたので、番狂わせの状況に驚いてしまう。
「もういいよ!みんな喧嘩ばっかりして、男は自分勝手とか言って!別に私の為じゃなくて、自分たちが喧嘩したいだけでしょ!」
「そうだ、そうだ!喧嘩はやめろ!時代は『平成』に変わったんだ。平和にいこうぜ!」
当人である誠と拓也が呆気に取られている中、淳平は面白がって由美子に加勢する。
「は?何、その言い方!折角、私たちが庇っているのに、信じられないんだけど!」
芳子が標的を変えて由美子を批判すると、他の女子も由美子を取り囲んで睨みつける。
「この二人を庇うなら、あんたなんて女子じゃないから。ほら、里美も行くよ」
いつもと様子の違う由美子を里美は心配するものの、怒り心頭に発する集団を取り鎮める度胸もなければ、権力を握る者に逆らうこともできず、芳子に呼ばれると言われるがまま付いて行った。
「おい由美子、一体どうしたんだよ……おまえだって昨日はあんなに怒っていただろ、悪いのは完全に俺たちだぞ」
由美子がどのような心境によって起こした行動なのか分からないが、その発端は自分であることを認めている拓也は、予期せぬ事態をどのような立場で対処するべきか戸惑う。
「そんなの当たり前でしょ!」
昨日も同じであるが、普段は寛大な由美子が冷静さを欠いてしまう理由は、教室の出来事以外にあった。
それは、由美子の両親が離婚する方向に話が進んでいて、家の中では毎晩のように父と母の喧嘩が絶えなかった。
3LDKのマンションでは自分の部屋にいても、リビングで言い争う両親の声が、壁を通して聞こえる環境に由美子が悩まされていたのを、教室では誰も知らなかったので、親に関連する話や男女で罵り合うような雑言を耳にすると、家庭内の問題と状況を重ねて過敏になっていた。
その日のから芳子の指図により、クラスの女子は由美子と話すことが禁じられると、里美まで言いなりになって敬遠するようになった。
学校からの帰り道、誠と拓也は自分たちが原因で仲間外れになったことを由美子に謝ると、それについては落ち込んでいる様子もなく、「もう、謝らなくていいよ。それに、あんな言い方した私だって悪いんだから」と言っていたが、今回ばかりは拓也もそれで良いとはならない。
「やっぱり、あいつらにやめろって言おうぜ」
「そもそも俺たちが悪いのに、そんなの芳子が聞くもんか。下手にこじらすと、由美子が余計に嫌な思いするだろ」
「じゃあマコトは、このままあいつらを放っておけっていうのかよ!」
「そうだよ、あんな奴ら放っておけ。由美子には俺たちがいるから」
「だから、そういう問題じゃないだろ!」
誠と拓也が言い合っていると、由美子が「だからさぁ、もういいって!」と言いながら顔を顰めたので、二人も神経を逆撫でないように、話を止める。
「でも、なんで自分が掃除押し付けられたのに、俺たちを庇うんだよ」
「当たり前でしょ、だってマコちゃんは、私の班長なんだから……ねぇ、それより今から土手に行こうよ」
そして三人で河川敷に来ると、この場所から夕焼けの景色を眺めた……
私の班長だから庇ったと由美子が言っていたことに、どんな意味があったのかは今になっても分からないが、誠の中に忘れられない言葉として記憶に残っている。
『そうだ、あの日、この場所には由美子に誘われて来たんだ』
そんな過去を思い出していた誠だが、我に返ると今の風景は西日も大分沈んでいて、景色の向こう側に隠れ始めていた。
あの時の空は今より日が暮れるのも早くて、少し肌寒い空気が茜色の夕焼けを一段と鮮やかに見せていた気もする。
思い出せば思い出すほど、由美子に辛い思いばかりをさせていた自分を情けなく思って腹が立つと、鉄格子の柵を強く握りしめながら、心の中の詰まりを吐き出すように大声で叫んだ。