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潜む影

 朝。目を覚ます。

 瞳。世界を写すもの。

 ああ、変わり無い天井だ。

 光。差し込む明かり。を嫌うようにして起き上がる。

 鏡。私を写し出す。というのが一般的だ。

 酷く、曖昧な輪郭だ。私を見ている気がしない。

 声。私の名前が聞こえる。らしい。きっと母だ。

 

 そろそろ、起きないと。


 

 部屋を出る。


 一段ずつ丁寧に下る。


 リビングには母がいる。


「おはよう」

「おはようございます」


 聞いたことがある言葉。発したことのある言葉。見たことのある場面。


 間違って同じビデオを再生するように、静止画をずっと見続けるように、今日も昨日が流れていく。私はそんな虚ろな川の中にいる。


 波が立った気がしても、それはいつかの何かにそっくりで。とってもとっても綺麗なまま。すぐに元に戻ってしまう。水面は美しく、どこまでも続いているかのようで。そして、どこまでも変わらぬようで。少しだけ怖くて、気が付くと目を背けている。


「おっはー、もっちー」

「おはよう」


 そこに飛び込めば、何かが変わるのだろうか。私自身が波紋を起こせば、何か。新しい何かが、起きるのかだろうか。いつも私の世界が焼き直しなのは、私がそうさせるのだろうか。変わらぬ毎日。を、私は無意識に望んでいるのだろうか。


 そもそも私は、どうして、こんなことを考えているのだろう。


「あ!」


 凜のその声で私の思考は現実に戻された。気付けば大通りにまで出ていたらしい。


 考えるより先に、体が動いた。そう言いたいが如く、凜は私が声をあげるより先に駆けていた。ぼんやりと眺めていたいつもの景色に、ノイズが走っていたことに私は気付けなかった。余計な思考をしていたせいだろう。


 クラクションとブレーキの音が響く。


――ごめんなさーい


 と。全力で謝りながら道路を横断する少女。


「はあ…はあ……危なかったねー」


 息を切らし、両腕には一匹の猫が抱えられていた。自分が命の危機に晒されていたとは思わぬ様子で、猫は首元を掻き、欠伸をする。呑気な姿を見て、流石の凜も文句を言いたくなったようだ。


「もうちょっとでひかれてたんだから!ダメだよ、あんなとこに飛び出しちゃ」


 凜の言葉が通じたのか、にゃー…んと力なく鳴き、トボトボと凜の元を去っていった。


「ふう、危なかったー」

「危なっかしいのは凜もだけどね」

「え、そうかな?」


 凜は何も考えていないように見えて、その実本当に何も考えていない、正真正銘の感覚で生きている人なんだけど、こういう時は純粋に素敵だと思う。なりたいとは思わないけど。建前とかが一切なくて、見ていてとても気分がいい…時とそうでないときの差が激しい。どちらかと言うとそうでないときの方が多い。うん。だからなりたいとは思わない。でも、裏はないから安心できる。こそこそしない代わりに、悪いこと考えてるときは思いっきり打算にまみれてくれる。大変、清々しいね。


「ん?私の顔になんかついてる??」


 じっと見つめていたせいか、凜は少し照れ気味に目線を逸らした。


「何も。凄いなぁって思ってただけ」

「………」

「え、何でフリーズ?」

「もっちーに褒められるなんて…今日は雪が降るぞーーー!!」


 興奮しながら抱きつかれた。凜は私のお腹に顔をうずめながら、フガフガしている。…凜は豚だったのかな?


「あの、凜…」


 ちょっと。うわ。強い強い強い。そんなに力入れなくても…!!


「普段ガードが固いから、触れるときに触っとかないとね~」


 この子、どうやって……しっかり腕を回してるのに、手が自由に動いてる、なんて。…く、くすぐったい!


「調子に…乗る、な!」


 こうなれば、奥の手だ。必殺『こちょこちょ地獄』!


「あ、わわ。それ、それは、は、はん、はんそく、あはははは」


 よしよし。拘束が解けたぞ…あとは反省を促すため、もう少しきつめにやっておこう。


「ちょっ…っと。ちょ、たん、まぁああははは」


 ふう。これで懲りたでしょう。


「人のことをベタベタ触るからです」

「うぅ…やりすぎだよぉ」

「正当防衛です」

「いや!過剰だ!!私のサワサワより長かった!!訴えてやる!!!」

「どこによ…」

「そこだーー!!」


 と叫びつつ、私に飛びつこうとする凜。まあ、この行動は想定済みなので、返り討ちなのだが。


「あはははは、だめ、らめ、だってーー」

「もうしない?」

「し、しないよーー」

「宜しい」

「ふーー、窒息するとこだった…」

「そんなわけ…」


 項垂れる凜に手を差し出そうした瞬間。


「あーー!!」


 また、爆発的に叫びだした。…ホントに元気だな。また下らないことの予感。


「今度は何?」

「講義に!遅刻する!!」

「………それはそうね」


 すごく大事なことだった。


「走ろう!」

「……うん」


 とはいうものの、私は今日の講義は全く乗り気でなかった。思い返してみれば、朝、余分なことを考えていたのも、それが原因かもしれない。


 今日は「健康スポーツ科学実習」―高校までで言うところの体育なんだけど―がある。まさか大学生になってまで、運動を強いられるとは思わなかった。嫌ではない。決して嫌ではない。体を動かすのは好きなのだ。運動神経も人並みにあると自負している。けれど、足取りは重い。心はずっと後ろ向きだ。走りながら、毎秒帰りたいと思っている。


 乗り気ではない理由は明確で、人前だからという点に尽きる。


 私が…例えば、体操でバク転をするとしよう。マットに乗る。呼吸を整え、準備万端。思い切りよく地を蹴り上げ、一瞬の浮遊感の後、着地。見事成功である。ここまではいい。いや、既によくはないのだが…。授業や食事中とは比べ物にならない程、露骨な視線が私を刺す。文字通り、くし刺しの気分だ。何でそんなに見るんだって、聞くまでもなく分かってしまうのも、余計に嫌になる。全く…私で何を想像しているだか。


 見られているのは、私の顔だ。体だ。その全てだ。動きに合わせて揺れる私の、肉付きを艶めかしく、いやらしく、見ない振りをして見ているのだ。


 両親のお陰で、私は健康優良児として育ってきた。食事管理にはじまり、行儀作法、ピアノ、バレエなどの各種習い事と…色々だ。そうして、出来上がった私なわけだが、下賤な人から言わせれば、エロい身体だそうで。思い出しただけで寒気がする。あの人、本当に気持ちが悪いな。誠実そうな顔してるのが余計に怖い。そんなこと聞かせて、どう反応してほしかったのだろうか。


 とにかく、私のことを変な目で見る人がいる場に進んで行きたくなどないのだ。進級に必須の単位じゃなかったら絶対取らなかった…本当に……嫌だ。


……………。

…………。

……。


「はい、じゃあ、今日の講義をはじめる。一応出席とるぞ。…。……。望月」

「はい」


 ああ、始まってしまった。目立たないように大人しくしてよう……テニスは出来る段階ごとにグループ分けされるらしいし、わざと下手な方に行けば、そんなに動かなくてもいいはずだ…!


「…。…。よし、全員いるな。早速始めるぞ。まずは、全員の実力が知りたい。一人ずつ呼ぶから、先生とこに来い」


 よし。聞いてた通りだ。これなら…


「…。……。次、望月!」

「はい」


 適当に…上手くない程度に、返す。


「えい!」


――スカッ


「あれ…?」


 下手を狙いすぎて空ぶってしまった。流石にこれはやりすぎだ…


「もう一球行くぞ!」

「は、はい!」


 今度こそは…


「えい!」


――スカッ!


「………」


 さっきよりも勢いよく空ぶってしまった……


「おい、望月!やる気あるのか!」

「すみません!」

「ラストだ!行くぞ!」


 野球じゃあるまいし、三振するわけにはいかない。最後だけ、本気でやろう。一球だけならまぐれで通る。はず!


「はあ!!」


 よし!スイートスポットど真ん中!!


「ぐわあ!」


 ………加えて、先生の頭にクリーンヒット。


「………」

「………」


 凄く、空気が、重い。


「ふざけとんのか……望月」

「いえ、全く!」

「言い訳は認めん!今日はコートの周りをずっと走っとけ!!片付けもお前がやるんだ!分かったか!!」

「………はい」


 大概、世の中は思い通りにいかないものである…はあ。


……………。

………。

……。


「よし。今日の講義はここまで!………望月。片付け、忘れるなよ」

「はい」

「次、やったら落とすからな。覚悟しろよ」

「…気を付けます」


 単位が出ないのは非常に困る。こんなこと、何回もやりたくはない。


 何はともあれ、先生の顔面に思いっきり当ててしまったのは事実だ。今日は大人しく片づけをしよう。


「手伝うよ」


 不意に声を掛けられる。この人は、確か……


「高橋だよ。俺もテニス取ってたんだけど、分からない?」


 ああ。思い出した。あの。凜がぞっこんの人だ。


「ありがとう。正直、一人だと大変だなって思ってたの」

「じゃあ、手分けしてやろうか。俺、ボール拾ってくるよ」

「ありがとう」


 外見の印象通りの、爽やかな優男って感じだ。そう言えばちゃんと話したのは今が始めてか。凜が好きになるのも分からなくはない。………いや、凜は完全に外見だけで判断してるんだった。全く共感できないままだ。


「こっち、終わったよ」

「私の方も、終わったよ。ありがとう。助かった」

「いや、お礼を言われることじゃないよ」

「そう?でも、ありがとう」


 社交辞令的にお礼を重ねる。こんなやり取りは決まり文句みたいなものだ。


「おーい、もっちー」


 更衣室から手をブンブン振って降りてくるのは、私の友人、ということになっている、鈴江凜だ。他の人と一緒にいるとき、凜のこういう言動は目立つし、恥ずかしいから勘弁してほしい。友達を辞めたくなる。


「ん?隣にいるのは…高橋君?」

「君は?」

「私は、鈴江凜です!血液型はA型!誕生日は6月7日!好きな食べ物はイチゴです!」

「はは、君、面白いね」


 気になる相手にこれでもかと猛攻撃。それを受け流せる高橋君は、大分女慣れしてると見える。


「あ、もっちーごめん。遅かったね」

「片付けしてて」

「なんで?もっちーが?」

「後で話すよ」

「りょー」

「仲いいんだね、二人は」

「仲いいなんてもんじゃないよ。二人は親友!」

「って凜が一方的に思ってる」

「まさかの片思い!?」

「ははは。本当に仲良しだ」

「それほどでも~」

「はいはい。じゃあすぐ着替えてくるよ」

「ここで待ってるよー。…あ、高橋君、ちょっといい?」


………?何の話だろう。少し気になったけど、あんまり時間を掛けすぎても、次の講義に遅刻する。どうせ、大した話じゃないろうし。さっさと着替えてしまおう。


 その後のことは別段、語るに値しない。奔放な凛と真面目な私の再生産。そのように一日が始まり、そのように終わる。


 特筆すべきことは毎日は起こらない。


 特別が当たり前になれば、それが新しい日常になる。だから大抵のことは日常の中に埋め込まれるか、日常のせいで薄れていくかの二択なのだ。


 今日という日が明日も続けば、今日あった大切なことはその意味を失っていく。明日が明後日に投影されれば、明日の時間は存在感を無くし、今日の存在なんて欠片ほどしか残らない。そんな風に、大切だと思っていたことを大切だと思い返す間もなく、私たちは忘れてしまうんだ。


 それは帰宅してからも変わらない。


 今日は父と母の二人と一緒に夜ご飯を食べた。けれど、話したこと、行ったことは昨日とさして変わらない。父も母も私の話に耳を貸すばかりで、あまり自分の話はしないのだ。得られることは無いに等しい。だから私は海へと潜り、新しい何かを欲しようとする。そうして出来上がった私。そうありたいと望んだ私。誰も知らない私。


 けれど、それは明日には変わる。明日の、ライブで。


 食事を終え、早々に全ての準備を整える。


予感がある。私は決定的な選択をしたのだと。明日を迎えるために。妙な高揚感がある。クロバネしか知らない誰かと出会う。それがどのような結末をもたらすのか。


 私は今、扉の前に立っている。どこに通じているかも分からない扉の前に。ただ漠然と、隙間から光が漏れているような、淡い期待が胸をさす。先の見えない感覚は、私にある光景を思い起こさせる。


 そうだ。私は明日に期待している。紛れもない明日を。



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