道徳のお時間です~学年主任からのお話~
これは、私が小学4年生の時の話。
私は当時、クラスメイトから無視やバイ菌扱いを受けていた。担任の先生は臨時採用者で、いじめと扱うと今後の採用に影響するためか、じゃれ合の延長とし、特になんのアクションもなかった。
更に家庭環境においては、支配欲の強い母と折り合いが悪く、誰にも相談できずにいた。
ある日クラスメイトから、教室で死ねと連呼されているところ、偶然学年主任が通りかかり、そのまま次の授業は道徳になった。
その時私は、ようやく問題視してくれたっという気持ちと、何を今更と言った気持ちが混ざっていた。
それに、先生たちがどれだけ注意しても、友達なんてできないし、無視が続くだけだと思った。
学年主任の先生が話した。
「君たちは、人に死ねと命令していたね。人が死ぬってそんなに簡単じゃないんだよ。」
「人が死ぬ方法は色々あるが、一番容易な首吊りだとしよう。まず、ロープ代と場所の確保が必要だね。人が死んだ場所は価値が下がってしまうから、とても場所選びは重要だ。」
「それに死んだあとは、体の筋肉が緩むから死体は、おしっこやうんち、それに目玉などが下に落ちて、汚れてしまうんだ。そのため場所の清掃代も必要だ。」
「それに加えて、病院での死亡診断の費用や葬儀代、遺骨をしまうお墓代が必要だね。」
「それぞれの相場を計算すると、ざっとこれくらいかな。」
学年主任の先生は、黒板に話した項目とそれぞれの費用を一覧にして書き、一番下に合計金額を書いた。
普段見ることがない桁の金額だった。
「命をかけるような命令を人にするなら、まずは依頼主が費用を用意しなきゃね。これは、社会人になっても必要なことだよ、覚えておきなさい。」
チャイムが鳴り授業は終わった。
学年主任の先生は、終始笑顔だった。
翌日、教室には私の名前の募金箱が設置された。
お読みいただきありがとうございました。
以下、蛇足的解説です。
募金箱が置かれた理由は、言わずもがな主人公が自殺するときの費用のためです。
それぐらい死んでほしいんですね 笑
学年主任の話は以下の意味も含まれてます。
費用に慰謝料がのってないのは、遺族にとっても価値がない存在であることを示しています。
また、普通ビジネスでは依頼するときコストだけでなく見合うメリットを相手に提示します。しかし、
主人公の自殺行為にたいして、主人公のメリットは提示されていません。
つまり、主人公の命は価値のないものと扱われてます。
かわいそうですね。