おじいさんの思い出。~羽衣チョーク~
自室の壁側に、大きな硝子製のコレクションケースが置いてある。
その中には
「初めて買ってもらったカメラ」
「子供のころの宝物」
「今はもう手に入らない逸品」
など、思い出深いものたちが並んでいる。
私はこれらを眺めていると、とても良い気分になる。
自分が青かったころの記憶が蘇ってくるのだ。
「おじいちゃん!この箱にたくさん入った色とりどりの棒、何?」
「あぁ、懐かしいな。『チョーク』じゃよ。見たこと無いかい。」
「いえでもようちえんでもみたことないよ。キレイだね。」
「そうか、きれいかい。嬉しいねぇ。おまけにこれは至極の品。
世界中で愛された、マボロシの一品だ。おじいちゃんの話を聞いてくれるかな。」
「うん!ボク、その話聞きたい!」
いい孫だ・・・。
「ありがとう。じゃあ、はなしていくとするか。」
私がこのチョークと初めて出会ったのは小学校高学年の時だったか。初めて行った塾で採用されていた。学校にはなかった色、特に橙色のチョークを見たときの衝撃は忘れられない。板書の時の音、香り、少しずつ引き込まれていった。ふと気になってそのチョークを見せてもらった。側面には、
「Hagoromo」
と書いてあった。
沼にはまっていきそうになった頃、この
「羽衣」
というメーカーが廃業してしまった。
世界中から注文があったそうじゃ。私は学生でお小遣いがあまりなかったため、ストックしたくてもできなかったが。
中学・高校へと年齢があがるにつれ、さらに沼にはまっていた。
当時Twitterというのがあって、それをつかって同じ趣味の人と会話するのが楽しかった。
オークションで日本製の羽衣チョークを競り落としたりもしたなぁ。
お前が見ているそれは、私の一番のお気に入りじゃ。
教員になって初めての授業は学生時代に集めた羽衣チョークでやった。
がちがちに緊張していたが、チョークの香りを嗅ぐとリラックスして、納得のいく授業ができた。
良い思い出だよ。
そんなこんなで私は「スーパー教師」なんていわれるようになり、妻を迎え、ここにいるんじゃ。
普段は韓国製の羽衣を使っていたが、ここぞというときには日本製を使った。
着任した学校で初めて授業をする時や妻にプロポーズをする日の授業だ。
最後に使ったのは、退職前、最後の授業の時。
私の節目と共にあるチョーク。
それが、これじゃ。。。
「ふーん・・・。そのチョークはすごいんだね。」
「ああ。相棒だ。そうじゃ、お前に1本やろう。お守りにするんだよ。」
「ありがとう、おじいちゃん!!いつか僕は羽衣チョークをおじいちゃんにプレゼントするよ」
「そうかいそうかい。楽しみにしておくよ。」
~十数年後~
ピッピッピッ・・・
「おじいちゃん、大丈夫?」
「おお、孫よ。(ゲホッ ゲホッ)」
「これ、あげる。羽衣チョーク。大学の先生に貰った。」
「これは・・・ 日本製の羽衣チョーク!」
「先生が時間を止める研究をしていて、実験用ボックスに入ってたんだ。ちゃんと許可もらってるよ。」
「ええい、こう寝ていられん!おい、黒板のある部屋に案内してくれ!!」
バタッ。
「じーちゃん!じーちゃん!!」
最後の言葉は
「黒板のある部屋に案内してくれ」
じいちゃんらしい最期だった。
羽衣チョークを抱えたじいちゃんは、幸せそうな顔をしていた。