ショコラの時間
ここは可笑しなお菓子屋、風韻堂。
私たちの住処のような、職場のような、まあそんな場所だ。
私はこの店を見守る熊のぬいぐるみだ。テディベアとも呼ばれている。
誰が私を作ったのか、いつから私はここにいるのか
それらは全く覚えていないが別にいい。
名前は恐らくない。名づけられた記憶がないからだ。
しかし少し前から店の奴らから「グレッド」と呼ばれるようになった。
グレーの毛とレッドのリボンだからというらしい。実に安直だ。
とはいえ名前がないのも不便なので、とりあえず「グレッド」と呼ばれたら
「何だ?」くらいは答えてやっている。
断じて気に入っているわけではない。断じて。
・・・コホン、まあ私の話はここまでにしようか。
「ふわーぁぁぁぁ・・・あー・・・今日も実に平和だねー」
・・・もうそろそろ何もいわんぞ。
私のすぐ隣で大欠伸をしている赤いシャツに黒エプロンのコイツは
この店の店長だ。・・・一応な。
名前は壱夜。まあ覚えても覚えなくてもそこんとこは問題ない。
「おいちょっと、酷くない?」
寝癖そのままの赤茶色の髪をものぐさに掻きながら眠そうな青い目で
店のドアが開かないかなとぼんやり眺めてる。それがこの男のお決まり行動。
他の仕事(主に掃除や庭の植物の手入れかな)はおこちゃま二人がやっている。
大人としてどうなのだろう・・・。
カランカラン・・・コロンコロン・・・
「!」
おやおや、この可笑しな店の扉が軽快に歌い出したではないか。
「これはこれは、いらっしゃい!」
さてさて、本日のお客様はどんな味をご所望だろうね?
私は此の場で見物させてもらうとするよ。
「あの・・・ここ、悩みがある人の為のお店って聞いて来たんですけど・・・」
私を含め、従業員一同目を丸くした。
この店に入る資格を持つ『悩めし人』は基本、この店に迷い込んで来るからだ。
自分の意思で店の扉を開いたのはもう何年もいないな。しかし、一体・・・
「いらっしゃいませ!ところで、何故当店をご存知で?」
「・・・これです」
お客は脇に抱えていた小型のノートパソコンを開き
片手でカタカタとタイプしてとある画面を見せた。
そこには『●●町の今は空地になっている場所に時々変な店が出現するらしい
しかもそこは運がよくなければ辿り着くことのない未開の地』ということが書かれていた。
お客曰く、巷で流行している都市伝説について語る掲示板サイトらしい。
信憑性がありそうなものから、どう見てもデマカセじゃないかというものまで様々だが
それがユーザーの興味を無駄に煽り、密かに人気を博していると伝えられた。
「昔も今も人は噂話に惹かれるものですからねー」
ふむふむと興味深そうに画面を凝視する店主。
どうでもいいが、店の存在を知られるのはマズいんじゃないのか?いいのか?
「以前来店して下さったどなたかが書き込んだんですかね?・・・しかし」
「しかし?」
「いえ・・・あ、いつまでも立たせたままで申し訳ありません。
お好きなお席、どぞー」
店主の対応にお客も「は、はぁ・・・」と困惑しながらも着席し、パソコンを触る。
その後のこちらの手順はいつも通りだ。珍しいお客だろうとそこは変わらん。
それにしても店主、さっき何故濁すような物言いをしたんだ?
正直にいってやればよかったじゃないか、「その情報は間違いだらけです」
「貴方は『噂のお店に出会うには』というネットのやり方をやってみたんでしょうが
それは全く効果ありませんよ。来店できたのは別の理由です」とか何とか。
この際、色々訂正してやればいいものを。
「・・・狼少年ならぬ、狼少女にでもさせるのかぃ?」
・・・なっても別にいいだろうに。
私たちが被害を被るわけでもなかろうに。
まあ、お前がそうしたくないというのなら深くは追求しないが。
「噂ってのは嘘か本当かなんてはっきりした答えは
意外とそんなに求められてないもんだよー。
嘘か本当かわからない、その微妙さが好奇心を擽るもんさねー」
「え?何かおっしゃいました?」
険しい顔でパソコンを叩きまくっているお客が尋ねると
「いえ、何も」と白々しく店主は笑った。