シトラスの時間
ここは可笑しなお菓子屋、風韻堂。
私たちの住処のような、職場のような、まあそんな場所だ。
私はこの店を見守る熊のぬいぐるみだ。テディベアとも呼ばれている。
誰が私を作ったのか、いつから私はここにいるのか全く覚えていないが、それは別にいい。
名前は恐らくない。名づけられた記憶がないからだ。
しかし少し前から店の奴らから「グレッド」と呼ばれるようになった。
グレーの毛とレッドのリボンだからというらしい。実に安直だ。
とはいえ名前がないのも不便なので、とりあえず「グレッド」と呼ばれたら
「何だ?」くらいは答えてやっている。断じて気に入っているわけではない。断じて。
・・・コホン、まあ私の話はここまでにしようか。
「ふわーぁぁぁぁ・・・あー・・・暇だ」
お?今日はちゃんと暇だと認めるんだな。
いいことだ。寝ぼけ顔はいただけないがな。
私のすぐ隣で大欠伸をしている赤いシャツに黒エプロンのコイツは
この店の店長だ。・・・一応な。
寝癖そのままの赤茶色の髪をものぐさに掻きながら眠そうな青い目で
店のドアが開かないかなとぼんやり眺めてる。それがこの男のお決まり行動。
他の仕事をやれなんていってた時期が私にもあった。今はただ懐かしい。
カランカラン・・・コロンコロン・・・
「!」
おやおや、この可笑しな店の扉が軽快に歌い出したではないか。
「これはこれは、いらっしゃい!」
さてさて、本日のお客様はどんな味をご所望だろうね?
私は此の場で見物させてもらうとするよ。
「見た目の割りに寂れた店だな・・・まあいい」
そういって壁際の席に茶色の封筒をテーブルに投げて
足を組んで座る30代くらいの男。スーツのジャケットを椅子に掛け
鬱陶しそうにネクタイを緩めている。
「おい、この店は客が来たのに冷すら出ないのか!?」
「おっと失礼、ただいまお持ちします」
お前ではないがな。
と思ったら案の定、双子姉妹がいつも通り水とおしぼりをひょこひょこと運んで来た。
それを視界に入れた店主は席を立ってドリンク作り。厨房にもオーダーしている。
メニューがないこの店、イライラしたスーツのお客には何を提供するつもりやら。
「いらっしゃいませー」
「どうぞー」
「なっ!?子供が働いているのか?他に店員はいないのか?」
どうなっているんだこの店はとお客も困惑。それはそうか。今までもそうだったしな。
双子もそういったリアクションには慣れたもので「「ごゆっくりー」」と声を揃えて
店の外へ出て行く。他の客もいないので日課の庭掃除にでも行ったかな。
「こちら当店のサービスでーす。ささ、どぞー」
配膳係の双子が外に出てしまったので珍しく店主が盆を運んでいた。
たまにこういうこともある。店主的には飲み物作ったら定位置に戻りたいようだがな。
お客もお客で「サービスということは金は取らないんだな」といっているから
「メニューがないだと!?」というクレームも今日はない。
甘く酸っぱい香りと焦げ目がある麦の香りが混ざる小さな籠に入ったそれ。
隙間から見える黄色とオレンジ色はこの間、厨房で仕込んでいたものか。
湯気を踊らせているのは店主チョイスのティーセット。
ハンドルがリング型で外側はロイヤルブルーに金のラインという変わった見た目。
その横にはいつもの角砂糖ではなく小さな瓶に入った緑色が鎮座している。
が、変わった見た目はカップだけだ。その実態は
「ふぅん・・・地味なもんだな・・・」
そう、地味だ。前回の蓬餅同様、「素朴」といえば聞こえがいいが、
今のこのお客の苛立ち具合から見ると、こちらにそんなつもりはなくても
「手抜きじゃないだろうな?」
店主、少し検討はついているが一応確認しておく。今日のメニューは何だ?
「本日は自家製マーマレードサンドでござーい!オレンジ、柚子
グレープフルーツの三種類を自家製のパンで挟んでおりまーす!」
果肉の甘さとピールの苦味のバランスをお楽しみ下さーい!と
妙におどけた感じでいった。
・・・おどけているのはいつもだろうって?その通りなんだが
私のようなぬいぐるみにそこまで求めず、軽く流してくれたまえよ。