さよなら三角、また来て友よ
かなり短い短編になります。あらかじめ断っておくと、三人の独白がかわりばんこに続く構成になってます。各独白は時系列順に並んでいます。
小説なんてものを書いたのは、これが初めてです。文字通り拙い作品とは思いますが、終わりまで読んでいただければ幸いです。
陽が燦々と新緑を照らし、時折の風が頬をなでる。下らない笑い声に満ちた大学の構内。この昼休みを、自らのために使わない奴は愚かだ。意味もなく人と連れ立って何になる。独りの寂しさから逃れられれば、それでいいのか。
俺は、そんな下らない奴らとは違う。明確な目的のもと、人と会う。彼女―津久田真白から、昼に誘われたんだ。俺に話があるらしい。相手が真白なら、聞いてやってもいい。ただ、単に話を聞くだけではつまらない。下等な他学生には真似できぬことをしてこそ俺だ。「メガネ」に「腕時計」と、準備は出来ている。あとは、真白をターゲットに、しかるべきことをするだけだ。
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あたしは、逃げるように席を離れた。本心を悟られるのがいやだった。心汰はまともだから「振られるために告白する」なんて言ったら絶対、無意味なことはやめろって言われてた。あたしは、和志への告白が無意味だなんて思わない。気持ちの整理のために必要だと思ってる。和志と、あたしと、心汰。あたしたち三人の今の関係を維持するためには、和志に告白して振られるしかないんだと思う。せっかく、親友って互いに言い合えるくらいに仲良くなったんだ。せっかく、予備校で知り合って、受験をくぐり抜けて、大学二年生になった今も、同じ時間を共有できているんだ。うん……何ものにも代えがたい時間を。あたしは、せっかくの宝物を失いたくはない。あたしの一方的な恋が原因となるのならなおさら。恋は盲目……いや病気だと思う。和志への想いが膨らむにつれ、心汰さえいなければなんて思う自分が怖い。心汰がいなければ、二人になれたって虚しいだけだと言ってほしい。それがわからない、あたしの目を覚まさせてほしい。だからあたしは、振られるために告白する。
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おれは別に、心汰を疑っているわけではないけれど、どうにも解せない。なぜあいつはおれを、あの部屋に招いた? 心汰は確か……あの部屋を親父の簡易研究室だと言っていたか。なんにせよあの部屋は部外者立ち入り禁止じゃなかったのか。心汰のやつ、トップシークレットって、おれが家に遊びに来るたびに言っていたじゃないか。それなのに今日は機嫌良く入らせてくれた。心汰の親父は、ほんまもんの心理学者らしい。だからおれが入った部屋には、複数のディスプレイ、ペーパーレスの世にあって山積する紙データ、それからあやしい実験道具の数々があった。心汰は迷うそぶりも見せず、あるメガネを引っ張り出してきた。青みがかったレンズに見覚えがあった。ウエアラブル端末の『iグラス』だった。メガネ型電子機器だが、今の時代に珍しいものではない。心汰はそれに、心理学者御用達のアプリがインストールされていると言った。なんと、電極を胸に当てずとも、相手の心拍数がわかるアプリ『BPMチェッカー』であった。iグラスと腕時計型電子機器(E―WATCH)を連携させ、iグラスで読み取った心拍数をE―WATCH上に表示させるというものであった。心汰はBPMチェッカーを使い、見事おれの心拍数を当てて見せた。今思うと、心汰はBPMチェッカーの能力を示すためだけに、おれを部屋に招いたんじゃないかと思う。しかし一体何のために? 別れ際、真白の心拍数はだいたい七十だと心汰は言っていたけど、それと何か関係があるのか?
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ぐずついた空に、蒸し暑い朝。窓が半開きだろうと、涼しげな風が室内に吹く様子はない。奴は―峰本和志は、愚かにも寝息を立てている。酒の飲み過ぎなんだよ、お前は。俺の持ってきた酒をぐびぐびと、見境もなく。おかげで、しかるべきことを何の障害もなく出来た。お前は起床してすぐに、コンタクトを探すことになるだろう。無論、お前の部屋には落ちていない。俺がケースごと預かっているから。返すつもりはない。お前には、iグラスをかけてもらう。真白の心拍数に絶望しろ。真白は、下等で愚劣で卑しくて人の心を弄ぶお前なぞにときめきはしない。俺がお前にそのことを、嫌でも実感させてあげよう。
今日の午後が楽しみで仕方ないよ、女たらしの和志くん――
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あたしは、平常心を保っている自分に戸惑っていた。せっかく、カフェで和志と二人きりなのに、あたしはどうしてここまで落ち着いていられるんだろう。これから、告白するんだよ? 振られるためにするって言っても、万が一のことを考えていないわけじゃない。告白を受け入れられて、心汰に後ろめたさを感じつつ、二人の愛を育むストーリーを何度夢想したことだろう。その度に、胸が締め付けられるような、じっとしていられないような、たまらない情動に支配されていた。最近のあたしは、和志のこととなると、理性のネジが緩んで、まともな思考さえ危うかったはずだ。それがどう転んだのか、今日のあたしは、不自然なほどに冷静で。あたしの前で、満面の笑みを浮かべる和志を見つめても、胸の内からわき上がってくるものはない。まるで、和志への恋慕を忘れてしまったかのようだった。
にわかには信じがたいけれど、「ラムネ」のせいなのかな。ここに来る前に、心汰があたしに手渡した三粒の錠剤。緊張が和らぐというので、だまされた気分で飲んだ。味はどう考えてもよくあるラムネだった。「なんだラムネじゃん」って言って、あたしは笑い飛ばした。心汰はあまり笑わなかった。もしかして、本気だったのかな?
本気でリラックス効果を期待していたのかな?
だとしたらやりすぎだよ、心汰。あたしは今、リラックスを超えて、悟りの境地に近づいているよ。このままだと、告白なんてできっこない。相手のすべてを抱きしめたいってぐらい本気じゃないと、和志に失礼だよ。たとえこの告白が、振られるためだけにあるんだとしても同じ。
いつか、誠実に告白できる日がくるといいんだけど……。
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話は、三人での旅行という方面で進んで行っていた。春休みに続き、夏休みも三人で、か。
おれは、真白に話があると言われ、待ち合わせ場所のカフェにやって来た。真白の話とは、夏の旅行の話だった。おれと真白の二人きりの旅行を思い浮かべたおれを、誰が責められよう。真白が「三人で」と言ったとき、おれはもろに残念そうな顔をしてしまった気がする。おれはやはり、真白に気があるみたいだ。
真白を意識しだしたのは、今年から、つまり大学二年になってからだ。心汰が、心理学の実験の手伝いか何かで、放課後ちょくちょくおらず、真白との時間が増えた。若干居心地の悪そうな真白を何とか普段通りに戻そうとするうちに、自分は真白と心汰という二人とは親友であるが、真白個人との関係はあやふやだったことに気づいた。心汰がいないからこそ、真白に抱く感情があった。それは、真白の肉体への興味から始まり、そこから徐々に彼女の内面に迫っていった。おれを男として真白がどう思っているのか、猛烈に知りたくなった。友達以上恋人未満。真白の認識は所詮その程度だろうと、頭では分かっている。二年以上も行動を共にしているのに、キスどころか、ボディータッチすらほとんどない。それが現実だ。つまるところ、真白個人との関係も、ただの親友でしかないんだ。おれは、何度も自分にそう言い聞かせ、真白のことを諦めようとした。けれど、それは無理であった。坂を転がり出した球が、自身の意思では止まらないのと同じだ。陳腐な言い方だけど、おれは真白が好きだ。もっと、真白の奥に近づきたい。キスをして、おれの想いを、生の感情を受け取ってくれないか?
ごめんな、真白。きみの旅行のプランは一切聞いていない。だって「三人」での旅行に興味はないんだもん。
今からおれが、新プランを提案してあげるから、ぜひとも聞いてほしい。
*
あいつは馬鹿か。文盲か。俺がお前にiグラスをかけさせた意味を考えろ。俺の腕時計型端末がそうであるように、お前のそれも『BPM:65』表示のはずだろうが。真白の心拍数は跳ね上がるどころか、むしろ通常以下なんだよ。よって真白は、お前にときめいてなどいない。Q.E.D.証明終了。
和志、お前がどれだけ真白に想いを伝えたところで、真白の心拍数は上がらない。「ラムネ」を三つほど、飲んでもらったからなあ。恨むなら、トランキライザなんていう精神安定剤を常備していた親父を恨むんだな。それにこれは、真白に頼まれてやったことだ。真白がお前に告白するからって、サポート役を頼まれたんだ。まあ、すこし出過ぎた真似をしたかな?
真白は大好きなお前に告白されても、お前に対して冷静でいることしかできないんだからな。
和志、あきらめろよ。俺の真白をそれ以上見ないでもらえるかな? 代わりと言っては何だけど、左腕の端末を見たらどうだ?
真白の心拍数はな、『BPM:100(ロクジュウゴ)』なんだよ!
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………『BPM:100(ヒャク)』? …………………………………………………………………………………………………………。
どうやら、俺の「メガネ」もしくは「腕時計」が壊れてしまったようだ。これは、潮時だな。
真白と、和志。二人に、友人の俺から一言、下等な生物同士、楽しくやればいいんじゃないかな。二人は、お似合いだよ。
まったく、人間は愚かだ――
*
カランカラン。
ベルの音に反応し、後ろを振り向くと、誰かがカフェを今まさに出て行ったらしい。それでふと、あたしは我に返った。あたしの両手が、誰かの温かい手に包まれていた。和志だった。彼のぶれない視線が、あたしを射ぬいていた。そうだった。あたし、和志に好きだと言われたんだ。今年の夏は、二人で旅行しようとも。事実上の告白だった。全く予期していなかった。和志があたしを、そんなふうに見ていただなんて知らなかった。確かに、最近の和志はやけにあたしに親切だなと思ってはいた。でもそれは、和志があたしの親友だからであって、好意の表れだとは微塵も思っていなかった。日常における、和志のあたしへの行為一つ一つが、恋愛感情の延長線上にあっただなんて。嬉しい。相思相愛だったと思うと、気がおかしくなりそうなほど、胸が高鳴る、気持ちが昂ぶる。これだと思った。これが、和志に対する本来のあたしなんだ。
心の鎖は解け、完全に舞い上がっていたあたし。二つ返事で和志の告白を受け入れかけた、そのとき、あたしは、妙なひっかかりを覚えた。
「二人で、いろんな世界を見に行こう。二人で、二人だけの思い出を作っていきたいんだ」
―二人で、二人だけで……。二人、ふたり、フタリ。
和志の口説き文句はそればかりだった。聞けば聞くほど、和志の話ののけ者を意識せざるを得なかった。
心汰。あたしの、大切な親友なんだ。いくら、和志に告白されたからって忘れやしないよ。今もちゃんと思い出した。和志だけが全てじゃない、あたしには、心汰もいる。
あたしと和志が付き合ったら、心汰はどうなるの? あたしたち二人の時間が増えるってことは、心汰との時間が減るってことなんだよ? 心汰はまじめだから、あたしたちに遠慮して、最悪つきあいがなくなるってこともあるんだよ? あたしは、嫌だよ、そんなの。今まで、どんなときも、苦しかろうと楽しかろうと、一緒に笑い合ってきた仲間なんだよ? あたしが、恋をしたばっかりに、縁が切れるなんて嫌だよ!
だからあたしは、大好きな和志に振られたかった。この恋から目を覚まさせてほしかった。言われて嬉しいことには違いないけど、告白なんてなくてよかった。
辛いんだよ……心汰のことを考えると、告白にイエスって返せないことが。
もどかしくってしかたない。和志に好きだと言いたくても言えない。心汰との関係も大切にしたいからって、気持ちに嘘ついて、和志を簡単に振るってことも出来ない。
あたしは今、心汰と和志のどっちともに誠実であろうと、悩みに悩んでいる。
うだうだ繰り返される和志の甘い言葉が、もはや甘ったるく、静かにしてといいたくなる。
和志はきっと、あたしのことばかりを考えている。だから「二人」としか言わないんだ。
あたしは和志を見誤っていたのかと今更思う。あたしに心酔していたとしても「心汰がいなければ、付き合っても虚しいだけだ」と諭してくれる、そんな存在だと思っていた。スポーツ万能成績優秀なだけじゃなくって、人間的にも完成した人なんだって思ってた。誰に対しても分け隔てなく接するし、友達思いだし。あたしはそんな和志に、憧れに似た感情を予備校んときから持ってて、それが最近恋心に昇華したって言うのにな。なんだか、残念だな。恋は盲目って言うけど、和志はあたしのこと以外が見えてなさ過ぎるよ。
ぶっちゃけ、和志への気持ちが冷めてきた。たぶんこれは、心汰がくれた「ラムネ」の効果なんかじゃない。生理と同じで、あたし、津久田真白にとって自然なことなんだと思う。
あたしは、二人の時間より、三人の時間が好き。三人で、三人だけの思い出を作っていきたい――
*
おれは、酒を持って心汰の家に押しかけた。数日前と真逆だ。前回は、おればっかり飲んだんだから、次はおまえの番だという感じで、酒をぐいぐい心汰に勧めた。心汰ははじめ、なぜかしょぼくれた顔をしていたけれど、おれが真白に振られたとわかった途端、ゲラゲラ笑い出した。お前は馬鹿か、文盲か。そう言われた。確かにな。最後のほうになって、おまえに渡されたメガネで真白の心拍数を計ったら『BPM:70』しかなかったからな。『真白の心拍数は七十だから』っていうおまえの言葉がやっと理解できた。要は真白は、おれに欠片もときめかなかったってことだよな。真白の前で、くっさ~い言葉を羅列していった自分はなんだったんだろうな。ただの勘違い男か。真白にも、友達としてしか見れないってずばっと言われたしな。そもそも真白は、おれと今まで通り友達でいてくれるのだろうか……。とりあえず今日は、真白もここに来るはずだけど――
ピンポーン。
呼び鈴が鳴って、おれと心汰は二人して家の玄関に向かった。心汰が扉を開け、真白を迎え入れた。
真白はなぜか、舌を垂らし飢えている感じのダックスフントを抱きかかえていた。見慣れない犬だが、一体なぜここに?
「おっじゃまっしまーーーすぅ!
行け! あたしのわんわん君!」
もうちょっとましな名前があるだろ……と、おれが思う横で、わんわん君は心汰にとびかかって行った。心汰がぎりぎりよけ、あとは、心汰と犬の追いかけっこだ。
「下等な犬の分際で俺を追いかけるな~」
逃げ惑う心汰を見て、真白はけらけら笑っていた。ほっといていいのかよ、と聞いてみると、
「いいの。いいの。ねえ、今のうちに『簡易研究室』入っちゃおうよ。心汰に言わせると、トップシークレットなんでしょ?」
真白がいたずらっぽい笑みを浮かべ、おれは、ああいつもの真白だと思った。おれと心汰と三人で、馬鹿やってるときの真白。
「入らないのか? 心汰が戻ってくるかもよ?」
「いいの。いいの」
おれと真白は、数秒の間、見つめ合っていた。
(三人の時間も、捨てたもんじゃないでしょ?)
(だな)
そんな、短いやりとりを交わせたような気がする。
「おい、やめろ。人間様を汚す奴は、煉獄で一生の責め苦だぞ……。それでもいいのか? お前」
心汰が、抱きかかえているわんわん君に顔をなめられながら前に現れ、おれと真白は二人して腹を抱えた。
『さよなら三角、また来て友よ』了
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