33 マネーイズパワー
有無は普段の軽い言葉づかいではない、堅い口調で過去を語った。
その全てを聞き、寛は言葉を失った。氷の解けたコーヒーに手を付けることもできず、ただ茫然と有無を見つめる。
今からでも作り話だと言われたならば素直に信じただろう。というか正直な話、いまだに彼女の話をあまり信じてはいない。
寛にとって自分は一人っ子だし、有無とは2週間前くらいに初めて会ったばかりだ。いきなり妹だと主張されたって、到底納得などできるはずがないない。
しかし。同時に、納得した。
ずっと疑問だったのだ。宵闇特急と出会った日、なぜ自分は外を歩いていたのか。無性に寂しいという感情を抱いていた記憶はあるのだが、なぜそういう感情を抱いていたのか、その理由の部分だけ妙にぽっかりと穴が空いていて、もやもやとしていた。それが、宵闇特急の手によって記憶を消されていたとなれば、合点がいく。
また、有無はさっき、寛の宵闇特急への願いを『愛されたい』だと言った。それは,その通りだった。これまで誰にも話したことがない願いを、当然のように言い当てられてしまった。
そして何より、有無の真剣な目。今も、頼んだコーラに手を付けることなくじっと寛を見つめている。その姿は嘘をついている人間の物とはとても思えなかった。
「ええと、ごめんね、一つ、いい?」
なんと言ったものか思案していると、瞳のほうが沈黙を破った。
「玉穂さんは、どうして御津君の願いが『愛されたい』だと思ったの? 本人がそういう風に言ったの?」
その問いかけに、寛は一瞬ひやっとした。有無が瞳とまともにしゃべるだろうか、と。しかし、その心配は杞憂に終わった。
「いえ。その時のヒロの置かれた状況と、『イケメンになる代わりに触覚が一方通行になる』という事象から考えました」
有無は、これまで彼女に向け続けてきた嫌悪感、警戒心などなかったかのように、平然と答えた。
「……んん、その、『イケメンになる代わりに触覚が一方通行になる』ことがどうして『愛されたい』になるのか理解できないのだけれど」
「『イケメン=愛されやすい』『触覚が一方通行=自分の意志で他人に触れることができない=抱くことができない=愛することができない』という図式です。ヒロは愛される代わりに愛することが出来なくなったんです」
「……ずいぶん無茶苦茶な図式のように見えるわね」
「宵闇特急は、そういう奴です。最初からこちらの願いをまともに叶える気なんてありません」
「宵闇特急って、神様なんでしょう? どうしてわざわざ、状況を引っ掻き回すようなことをするのかしら」
「知りません。でも、神様があたしたち人間に都合の良いことをしてくれるなんて、それこそ傲慢な考えじゃないですか?」
「……なるほどね
苦しげに納得の言葉を口にする。
「僕からも一つ訊いていいか?」
「いいよ。なんでも」
「……今の話に会長さんは出てきてないと思うんだけど、玉穂と会長さんは何か因縁があるのか?」
「あ、そうだね。それについてはちゃんと謝っておかないと」
有無は瞳に向き直り、頭を深く下げた。
「三葉葉先輩。今まで一方的に敵意を向けてすみませんでした」
「え、いや、因縁って何の話? ひょっとして私、玉穂さんに何かしたかしら? ごめんなさい、気づけなかったわ」
「いえ、先輩は何もしていません。……そっか。これも、話さないとダメだよね」
独り言のように言って、コーラを一口含んだ。
「今から話すのは後日談だよ。あたしが宿無し子となってからのお話」
ごくり、唾を飲む寛と瞳の前で、再び語りだした。
「あたしはヒロやお父さんやお母さんから忘れられた後、帰る家もなく、適当に街をぶらついていた。宵闇特急のくれた強運の才能のおかげで、道を歩いていればそれなりにお金を手に入れることが出来たから、死ぬことはなかった。宝くじでそれなりに大きいお金を当ててからはある程度まともな生活を送れるようになった」
堅い口調。表情も暗く、普段よりも言葉が遅い。
「でも、街を歩いていてヒロやお父さんやお母さんとすれ違うたび、私を忘れられているという事実を突きつけられて、辛かった。だから、とりあえず離れようと思った。それで、宝くじで手に入れたお金を使ってこっちに引っ越してきて、戸籍と住所を手に入れた」
「戸籍は御津家にあるんじゃないのか?」
「宵闇特急がそこらへんは消したみたい。一度だけ御津家に侵入したことがあるけど、アルバムや日記からも私は消えてたよ」
宵闇特急が消したのは有無に関する記憶だけでなく、そこにまつわる記録も一緒だったらしい。逆に記録が残っていたら、それはそれで御津家はパニックになっていただろうし、そこまで含めて記憶を消したという意味なのだろう。ご苦労なことである。
「とにかく、そういうわけで、ヒロが愛されなかった原因であるあたしが御津家からいなくなって、ヒロはゆるふわ愛されボーイとして幸せに暮らしましたとさ。って思ってたんだけど、四月、この学校に入学して、驚いたよ。ヒロが変な格好をしていたんだもん」
「父さんと母さんからは愛されボーイだったけどな。学校では一匹狼だったんだよ」
「だと思った。それで、ヒロの姿を見つけたときにどうしようかって考えたの。ヒロが遠くの高校に通う理由は察しがつくとして、どうしてあたしと同じ高校になったんだろうって」
「単純に、たまたまじゃないのか?」
「最初はそう思ったんだけど、あたしの才能――強運があたしたちを同じ高校に導いたのかなって考えたら、これは、あたしが望んでいたことなんじゃないかなって思って」
一呼吸溜めて、言った。
「だから、その時に決めたの。あたしが、ちゃんと、ヒロを幸せにしようって。宵闇特急じゃなくて、あたしが。潔癖症を演じるほどに、触覚の一方通行がバレることを恐れる、ヒロを。助けようって。ヒロの触覚の一方通行を知ったうえで友達になって、彼女になって、いずれ結婚して、一生、ヒロが寂しい思いをしなくて済むようにしようって。そう、決めたの」
それが、あの時の告白。
有無はそこまで口にしなかったが、寛は彼女の意図を理解した。どうりで、告白される理由に心当たりがないと思ったのだ。
「それからのあたしの行動原理は、二つ。ヒロの友達になり、いずれ彼女になることと、ヒロを宵闇特急に近づけないこと。三葉先輩を毛嫌いし、悪く言っていたのは、宵闇特急を探す先輩にヒロ君を近づけたくなかったから。先輩は、何も悪くない。あたしが一方的に、デマを振りまいていただけ。ごめんなさい」
謝罪の言葉とともに、深々と頭を下げる。
「えっと、いえ。そういう事情なら仕方ないわ。私も、そんな悪く言われていただなんて知らなかったくらいだし、気にしなくて良いわよ」
一方の瞳は、あまりこういう事態には慣れていないのだろうか、慌てて手を振り、なんとか頭を上げてもらおうと言葉を重ねる。
「そ、それよりっ。……それより。玉穂さん。一つ、聞かせてもらえるかしら?」
「はい」
ようやく頭を上げた有無は、許してもらえたというのに未だ暗い表情のままだ。
「今日の目的は、なに? まさか、真相を語るだけ語って、それでおしまい、ということはないわよね?」
「そうですね。一番最初にも言いましたが、あたしは、止めに来ました。ヒロが宵闇特急を探すのを」
「……」
そういえばそうだった。あまりに衝撃的な話をされたためすっかり忘れてしまっていたが、確かに彼女は最初、そう言った。
そして、彼女の話を聞いてしまった今、安易に「それでも僕は探すよ」とは言えなかった。
「ヒロ。……。お願い。お願いだから、宵闇特急を探すのは、やめて」
有無は懇願するように言って、寛の手を握った。力強く、絶対に離れないように。
どうしたら良いのか、わからない。何が何だか。情報が多すぎて、何をどう判断したら良いのか。それこそ神様にでもすがりたいような気持だった。
「っ」
寛は、彼女の手を振りほどいた。いや、彼女の寛の手をつかむ力は、振りほどけるようなものではなかった。
ただ、彼女の手の中へ、寛は手を潜り込ませた。
そして有無の身体から寛の手が抜け出た瞬間、寛の目に映った彼女の表情は、今にも泣きだしそうな、心の奥深くに突き刺さって抜けないものだった。
背中を向け歩き出した寛のまぶたの裏には、すでに彼女の顔が刻み込まれていた。
このお話でほぼほぼ伏線は回収し終えた感じになります。今後数話で一気に話を畳みに行こうと思います。九月中に終わらせるぞー!




