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29 悪意は銃弾ではなく爆弾

「なんていうか。なんなんですかね。僕は、宵闇特急に出会ってからこの一年ちょいの間、何をしていたんですかね。調べたり、探したりする時間なんていくらでもあったのに」

 寛はぐいっと麦茶を喉奥に流し込んで、やり場のない怒りを吐き出した。

 あれから一週間、寛は適度に仮病を挟みつつ、片っ端から宵闇特急やその周辺情報について調べつづけた。

 三葉家の書斎を漁り、図書館にこもり、本屋をハシゴした。時代はインターネットだと、某大手掲示板や某知恵遅れの袋、SNS等、あらゆる情報収集サイトを使って探した。また、情報は足で掴むものだと、毎晩のように出歩き駅を転々とした。

 しかし、どこでどれだけ調べても、全くと言って良いほどに情報は得られなかった。

 ならば直接出会った人に訊くのが早いと、でんきとお話をしようとした。相当な落ち込みようで、未だ顔も見せてはくれないが、言葉だけは交わしてくれるようになった。

「『大人になりたい』ねぇ……。あの子、やけに背伸びしたがると思っていたけれど、やっぱりそういう風に思っていたのね」

 居間のテーブルを挟んで向かい合う形。瞳は独り言のように呟いた。先ほどでんきから聞きだすことに成功した『大人になりたい』という願いが、よほどショックだったのだろう。この一週間で、一番暗い顔をしている。

「でんきちゃんが大人になりたいって、気づいていたんですか?」

「なんとなく、だけれどね。でも子供にありがちな背伸びだと思っていたし、その願いが宵闇特急に願うほど強いとは思っていなかったわ。どうして、そんなに大人になりたかったのかしら……」

 湯飲みを両手で握りしめて言う。怒りとも不安ともつかないその仕草。

 寛は数瞬の間、逡巡した。答えを口にするべきか否か。

 いや。正解などわかっている。絶対に、自分が言うべきではない。それは瞳とでんきの間でのみ交わされるべき会話であり、この二者間でのみ解決され得る問題だからだ。

 ただ、このまま黙って問題が長引くのを外から眺めているのも、それはそれで違う。言うべきでなくとも、介入するべきでなくとも、代わりに口にしなければならないときは、ある。

「会長さんの聖人君子は、でんきちゃんのためだそうですね」

「え、なに? 何の話?」

「でんきちゃんが大人になる前の日の夜、言ってました。おじいちゃんを悪く言われたりお父さんがいないことを言われることが嫌だったと。そんな折に会長さんが聖人君子になったと」

 寛の言葉に、瞳はただただ目を丸くした。

「守られるだけでは嫌だ、自分だって守りたいと、子供であるが故の無力さを嘆いていました」

 自分の口から伝えるのは、やはり心苦しい。あとで帰る前に、でんきちゃんに謝ろう。そう決めて、それならばと、きちんと瞳に伝わるよう丁寧に言葉を重ねる。

「知識や経験や立場の差を振りかざしてくるから大人――会長さんはずるいそうです。だから、知識も経験も立場も会長さんと同じ土俵に立って、守られるだけではない、会長さんを守る存在になりたかったんじゃないでしょうか」

 寛は瞳の不安げな目をしっかりと見つめて、言った。ここで目をそらすのは、でんきに対して失礼だと思ったから。

 瞳は何も言わなかった。

 沈黙。

 どれほどだっただろう。しばらく思案顔をしていた瞳が、おもむろに口を開いた。

「……過大評価よ。私は、でんきが思っているほど大した人間ではないし、でんきに守ってもらう価値なんてないわ」

 その顔はあまりに苦しげで、その本心が寛には見えなかった。

「じゃあ、聖人君子はでんきちゃんのためじゃないんですか?」

「……半分、ね」

 言いにくそうに淀ませる。

「詳しく聞かせてもらって良いですか」

「……ええ、そうね。みっともない話だから、あまりしたくはないのだけれど、説明しないわけにもいかないわよね」

「すみません。お願いします」

 寛が頭を下げると、瞳は少しの間を置いて、口を開いた。

「最初は、ね。恥ずかしい話、でんきのことはどうでもよかったのよ。私が、私自身を守るためだったの」

 瞳のうつむいた顔は、暗い。

「でんきの言った通り、祖父は近所ではあまり評判の良くない人だったわ。父が離婚して出ていったのも本当。私はその事が嫌だったし、そのせいで周囲の人に悪く言われるのも耐えられなかった」

 湯のみをテーブルの上において、両手をぎゅっと握りしめる。学校で常に浮かべている聖人君子の笑みは、見る影もない。

「でもね、きっかけはそうだったとして、理由はそれだけではないのよ。……そもそもね。私は、悪口が嫌いなの。祖父や父の悪口だけじゃない。私への悪口だけでもない。誰かが誰かを悪く言う。その行為自体が、死ぬほど嫌いなの。見たくないし、聞きたくないし、口にするくらいなら死んだほうがマシだと思っているくらいだわ」

 吐き捨てるような告白。

 その声が瞳から発せられているとはとても思えなくて、思わず彼女を見つめた。

「でも、この世界から悪口がなくなることがないなんて、小学生のうちに理解したわ。世界はあまりに広く、大きくて、私の手では届かないって」

 俯く彼女の表情に、身震いした。

「だから、聖人君子になったの。私が悪口を言われないように。せめて、私の周囲だけでも、悪口を言う人がいなくなるように」

 あまりにも、憎しみのこもった顔をしていたから。

「……ああ、なるほど。それで」

 彼女から目をそらし、寛は思い出す。

 たしかに、彼女は寛の前で、誰かを悪く言ったことが一度もなかった。いや、『誰か』どころではない。『何も』悪く言ったことがないのだ。どんな理不尽な制度も、面倒な仕事も、嫌な出来事も。何一つ悪く言わなかった。『聖人君子の生徒会長』という立場上、そういったストレスとは無縁でいられないはずなのに。寛の前で聖人君子を取り繕わなくなってからですら、一度も愚痴をこぼしたことがなかった。

 そして、先日寛が彼女の取り巻きにケンカを売ったときの、あの鮮やかな空気の変え方。あの時は、あまりに手馴れた様子に、さすが聖人君子だと感心したものだった。しかし、今にして思うと、あれは『聖人君子だから』ではなく、『悪口を毛嫌いしているから』だったのだろう。

「とにかく、そういうわけで、私の聖人君子は、でんきのために始まったものではないの。……お姉ちゃん失格よね」

 自嘲するように笑った。

「でも、始まりがそうだったっていうだけの話ですよね。今は、どうなんですか」

「……そうね。今は、聖人君子は、私のためでもあるし、でんきのためでもあるわ。ずっと自分のために生きてきた罪滅ぼしをするならば、でんきのためだけに続けるべきなんでしょうけれどね。私はやっぱり、そこまで強くないわ。今でも悪口の聞こえる耳などなくなってしまえば良いと思っているし、悪口の見える目を取ってほしいと願っているわ。結局、でんきよりも自分が大切なのよね」

「……もしかして、会長さんが宵闇特急を探していたのは」

「……想像にお任せするわ」

 先までの思いつめたような表情をぱっと消して、小さく笑って言った。

 さすが聖人君子だな、と思った。

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