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洗濯をする女

 その名と違って夜烏(よがらす)は今は河原に住んでいるわけではなかった。小家の多い喧しい辺りの少し奥めいた町家に住んでいる。周りにいくらかの手下を置いてはいるが、大半は分散させて市中に潜ませている。気が変わるとたまにねぐらを変える。

 隣の更に貧相な家から明烏(あけがらす)が、幾軒かで共有する井戸の方に目をやりながら現れ、(うちき)を軽く羽織っただけでだらしなく横たわる夜烏に声をかけた。


「洗濯してるぞ、あの女」

 半身を起こして弟を見るとだるそうな声で答えた。


「人手がねぇわけじゃないからいいって言ったのによ、律儀だよな」

「どうだった」

「あ? 上玉だ。未通女(おぼこ)ってわけじゃないがあまり使ってなくてさ。特別な接待用かなんかかぁ。回そうか?」

「いや、いい。...乳母子(めのとご)だとか言ってたが、頭の夕月って女は何なんだ」

「なんか御落胤の類らしいな、乳母がつくぐらいには。もっとも見捨てられてそのままって程度のな。ま、知ったこっちゃねーよ。あの女は物騒だ。下手に関わらねえ方がいい」

「わかっていたのか」


 夜烏は小ずるそうな笑みを見せた。


「そりゃあな。けどよ、あんな別嬪(べっぴん)に粉もかけないようじゃ男がすたるってもんよ。かわされて残念でもあるが気楽でもあるな。寝首を掻かれる心配がねえ」

「洗濯女はどうなんだ」

「ありゃ、そんな度胸はねえよ。探れって言われてるかもしれんがそもそもうちに御大層な秘密はねえし」


 明烏は少し目を眇めて考え込んだ。


「あいつらと本気でつながる気か」

「まあな。最近、鬼菱(おにびし)のやつらが面倒だからな。どっかのお偉いさんとつるんでるぜあれは。あいつのけん制には有効だろうよ」

「海でどんなに幅を利かせてようとも、十人ばかり加わったところで大したことはないだろう。それよりのっとるつもりでもあるんじゃないか」

「けちな群盗のっとっても意味はないわな。大きくしてから喰おうてんならありがてぇ話ででかくなってから切り離せばいい。ま、女はともかく群れはそれほど怖くはねーな。こええのはここでいきなり逃げられることだな。手下の手前かっこがつかねえ」


 起き上がり胡坐(あぐら)をかく夜烏は枕元に放り出してあった銚子(ちょうし)を取り上げ、わずかに残った酒を直に口に運んだ。


「じゃあどうする」

「おまえは字が書けるんだから、さっそく文を書いてやれ。明日の夜いっしょに強盗しよーねって。それにあの女が来るかどうかで度合いを測る。お高くとまって汚れ仕事に手を出さないようならおさらばだ」

「どこかの邸で女房勤めをしているようだが」

「それを口実に来ないようなら今後のお付き合いは考えさせてもらおうじゃねえか。それならうちのやつらにも言い訳がきくし。そん時ゃ女とやり得ってことでいい」


 ちらと、壁から大きく開かれた戸板の外に目をやる。


「そのまま返すのか」

「そういう約定だろ。明朗快活単純無比がうちの信条よ。実際、そっちがやりやすい。どこと手を組むにしても信頼の置けるやつらだと評判の方がまともな話がくらぁ」


 倫理感など無縁な男だが、それを使いこなす道には長けていた。住み込む家の近隣にもねたみを招かない程度に心づけを渡している。同時に凄みを利かせて、増長しないようにも計らっている。


「差し障りは無いのか」

「別にぃ。こっちは普通の女だ。朝早くににあの婆が粥届けに来やがったから、蹴り倒したら必死に止めやがった。」

「…………」

「ねぐらさえ変えちまったら話すことなど何にもねえ。上玉喰わせて貰ってありがたいってだけの話よ」


 案ずるような明烏を夜烏は軽く笑い飛ばした。



 日ごとに厳しくなる鍛錬に疲れ果てた領子は死んだように眠るが、()の刻になると一度目が醒める。人の気配がない時はそのまま再び眠りに落ちるが、その日は意識が冴え渡った。

 少し頭を上げて見ると、ほのかな灯りの中で涼しい瞳が自分を窺う。身を起こして枕もとのその相手に微笑みかけた。


「......夕月」


 相手の瞳が一瞬細くなり、ふいに間近に身を寄せられた。驚いていると抱きすくめられる。領子は呆気にとられた。

 片手だけが外され、温かな指先が頬に触れる。その途端に領子は相手を振りほどいた。


「あなたは夕月じゃないわ」

「へぇ、意外に勘がいいね」


 少し幼い声が面白がるように答えた。おぼろな光の中、夕月によく似た美しい顔が浮かび上がる。あの夜の彼女と同じような黒い水干を着てはいるが、その髪は烏帽子の中だ。


「誰なの」

 鬼の眷属(けんぞく)なのかと睨みつけると、無邪気な笑顔で見つめ返される。


「三日月。姉さんはしばらく忙しそうなので様子を見に来たんだ」

 瞬時に姉弟であることは把握した。が、寝顔を見られた恥ずかしさで憤然となる。


「童はもう眠る時間でしょ」

「ひどいな。十四だよ、もう」

「夜遊びをするには早すぎるわ。果物でもあげるから食べて寝なさい」


 答えずに三日月はもう一度抱きすくめ、ふいに額に唇で触れた。一瞬の後には後ろに飛び退っている。

 領子は怒るより呆れた。驚かせて悦に入る表情は年よりも幼くて、子供が悪戯を楽しんでいるようにしか見えない。ここは年長者として教え諭さなければならないと考えた。


「大人をからかったりしないの。その年頃なら学問にいそしんだり身体を鍛えたり、することはいくらでもあるでしょう」

「姫さまは大人には見えないな。一つぐらい上? 姉さんはその頃には大人だったけど」

「二つも上よ。私だって大人だわ。入内(じゅだい)だって決まっているし」

「そんなのやめちゃえ。いっしょに海賊やらない?楽しいよ」


 盗賊だと思っていたが海賊だったのか、と彼女は考える。そのせいか干物は特別においしかった。


「海賊は夜歩きをしないものじゃなかったの」

「いつの時代の人たちだよ。土佐の日記じゃあるまいし」


 なかなか教養もあるようだ。そういえば夕月も漢詩の一部らしい言葉をさらりと口にした。内心の疑問が顔に出たのか三日月は育ちを少し語った。


「親は都の人なんだ。小さい頃母さんといっしょにさらわれて海賊暮らし。でも、こっちで育つよりきっと楽しかったと思う」

「…………」

「毎日さんざん泳いで走って喧嘩して武術も習って、その上で学問まで教えてもらったし」

「最近の海賊は学問もするの?」

「捕れた獲物が学者だった」

「はぁ?」

「船を襲って人をさらったあと、身代をもらって解放したり売り飛ばしたりするんだけどね、買い手もいなけりゃ家にも金の無い貧乏学者がいて、しょうがないから殺そうとしたらひいひい泣きながら叫んだんだって。『私は、国の宝のような男ですっ』って」


 漢学は三史五経はもとより隙なく学び、諸子百家の思想もあまねく身に付け、詩作は李白の域まで迫り、それなのに和歌も業平を越えるほどで、なおかつ管弦の技にさえ長けた三舟(さんしゅう)の才、女房たちの好む物語さえ語ることが出来、書は三筆(さんぴつ)に匹敵し、およそ知らぬことのない大学者であるとその男は豪語した。


 貧相な、ねずみのような男の大言壮語に海賊たちは笑い転げた。ならば何故、金もなく舟の片隅に乗っているのかと問いかけた。

 唐渡りの珍しい書を所有する豪族が伊予の地にいることを知り、ぜひお貸し願いたいと望んだが門外不出の品だと断られ、ならば直接写させてもらおうと、遠方の地にいる親に会うためと理由を作って内裏に届け、なけなしの金をかき集めて同船させてもらったあげくのその事態だった。


「身代も、自分がかき集めるだけ集めてしまったから今はないが、そのうち妻がきっとどうにかしてくれるからそれまで生かしておいてくれ、と泣きついたんだって。なんとなく殺す気が失せて生かしといたらしいんだけど、やることなすこと間抜けな男で船子(ふなこ)(水夫)の手伝いさえできやしない。で、結局は子供の守に使ったら、これが意外に悪くない。赤子をあやしながら論語その他の読み聞かせ。おれなんか最低限聞き覚えた程度だけど、姉さんや頼兄は凄かったな。大学寮にさえこんな優秀な生徒はいなかったって、先生も夢中で教えてくれた。あ、その人のことをおれたちは先生って呼んでる」


「頼兄ってお兄さん?」

「うん。血はつながってないんだけどね。やっぱ都人のさらわれ者なんだ。海賊稼業に関わることはからっきしなんだけど学問は得意だった」

「いっしょにこちらに来たの?」

「ううん。……病気で死んじゃった」


 宿った翳りを気遣って、領子は相手の顔をそっと覗き込む。三日月は首を軽く振ると憂いを払った。


「いっしょに来たかったから残念だけどね」

「お兄さんのこと好きだったのね」

「みんな好きだったよ。彦兄だけは別だったけど。姉さんなんか特に」

「………夕月の恋人だったの?」

「そうとは言えないな」

「?」


 少し苦い表情を浮かべた三日月は近づいた頼子の頬を軽くつついた。


「大人の事情。それよりこれはめてみて」


 取り出したのは色こそ違うが夕月が以前着けていた物によく似た弓懸(ゆがけ)らしいものだ。ごく薄い生の色の仔鹿の皮で作られ、弓を当てる硬い部分が無い。手を通すと第二の皮膚のようにぴたりと嵌まる。指先さえも繊細に包み込んで草子の頁さえめくれそうだ。


「さすが弥生。ぴったりだ」

「これ……」

「あげるよ。でもそんなもの持ってると不審がられるだろうから、預かっとく」


 領子は不思議そうに三日月を見た。


「どうしてそんなに親切にしてくれるの?」

「下心。姫さま可愛いし。それにいざという時に利用できそうだからかなぁ」

 互いに少し笑った。


「身も蓋もないわね」

「代わりにいろんなこと教えてあげるよ。手始めに今度馬の乗り方教えるから、次来る時までにもっと歩けるように鍛えといて」

「簡単に言うけどね、姫君って立ち上がるだけで叱られるのよ」

「そこをなんとか。姉さんの話だと普通の姫よりは動けるって聞いたけど」

「そうね。和歌よりは楽かも」


 答えるうちに気分が浮き立ってきた。わけのわからぬ言葉をひねり出すよりもよほど自分にふさわしい。

領子は枕元に置かれた果実を取り上げ三日月に渡した。


「はい、これあげるわ。それじゃまたね。私は廊を歩く練習をするわ」

「行動の早い姫様だなぁ」


 呆れた三日月に向かって領子は楽しそうに微笑んだ。


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