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盗賊兄弟

 いつものようにいく人もの女房が自分の身支度を整える。髪はくしけずられ、手水(ちょうず)が運ばれてくる。それを受けながら領子は困り果てていた。

 昨夜、散々注意された。


「絶対、朝には気分がすげえ悪くなるから風邪でもひいたふりでごまかすんだぜ」


 すました顔の女房たちは的確に仕事を進めていく。それに流されながら彼女は頭を抱えたかった。


――――全然、調子が悪くならないわ


 なんということだ、と彼女は思う。姫君としての才は皆目ないが、大酒呑みとしては天性の達人であるらしい。少々普段より咽喉が渇いているしやや眠いが、体調に変わりはない。


「それでは今日からは和歌の実作に入ります」


 侍従は宣言し、自ら一つ詠み上げた。けして悪くはないが面白みのない歌だった。その後に少将が得意気に自作を披露する。なかなか出来がよく、性格に難のある人物であっても歌の才はまた別だと感心した。


「姫様もお詠み下さい。題目は秋の風情で」

 しばらく考えるが何も思いつかない。焦れた侍従が助言する。


「本歌取りでかまいません。何も思いつかなければ途中まで、覚えている歌を読み上げるのです」

 悩んだ末にようよう一つ思い出す。


「吹くからに秋の草木のしをるれば」

 女房たちは頷いている。ほっとした領子はするすると下の句を作り上げた。


「のぎへんに火と書き秋といふらむ」


 血相を変えた侍従を見て、どうやらあまり良作ではないらしいことにやっと気づいた。まくし立てる侍従の後ろで少将が馬鹿にしきった嗤いを見せた。




 暗い川辺にいくつかの焔が燃える。か細いものが多いが、そのうち一つだけは天をも焦がすばかりの勢いで燃え上がっている。

 焚き火の横には大人の肩ほどの高さの岩がある。その上に一人の男が片膝を立てて足を組んでいる。その男を守るように十数人の男たちがあるいは立ち、あるいは座って囲んでいる。


「来やしたぜ」


 片目に小汚い布を巻きつけた手下の一人が声を出した。

 夜に溶けるような黒い馬が他に先んじて現れる。それにわずかに遅れて四、五頭の馬が続く。夕月とその手下たちだ。火の周りの男たちから離れた位置に馬を止め、河原を歩いて近寄ってきた。


「ようこそ、わが庭へ」


 岩の上の男が姿勢を変えずに低い声で呼びかけ、その途端に噴き出して膝を打ちながら笑い転げた。


「きへへへへっ、まるで大饗(大臣の宴会)だなぁ。双方がん首そろえちまってよぉ」


 ひどく派手な男だ。年の頃はまだ若い。二十の半ばにも達していない。まず目につくのはその髪だ。結い上げず短く切った髪を糊のようなもので固めてあり、つんつんに立ち上げている。それにわずかな金粉を振りかけたらしく、光線の加減によってきらきらと光る。身に付けたものは黒綾だ。ある上達部(かんだちめ)を捕らえて奪ったと評判の(ほう)を形が変わるほど裂き、右肩には狼の毛皮を縫いつけ、目立つ箇所には真紅の綾衣(あやぎぬ)を飾り付けている。

 男は岩からひらり、と飛ぶと夕月たち一行の前に立った。


「......俺が河原の夜烏(よがらす)ってもんだ」


 身構える様子もなく夕月の前に立ち、その顔や胸に視線を這わせる。


「なるほど。噂どおりのべっぴんじゃねぇか。おい」


 手下の一人に顎をしゃくると、角盥(つのだらい)を思わせるほど大きな土器(かわらけ)を捧げ持つ。別の一人が大きな(かめ)に銚子を突っ込み、すくった酒をなみなみと注ぐ。


「話の前に、ま、飲みねぇ。こりゃ安物の酒じゃねえぜ。内裏(だいり)の献上品をちょろまかした逸品よ。ぐいといきねぇ」


 にやにやと笑いながら土器を押し付けた。


「女ながらに伊予の巌六(いわろく)の代人たぁ、よっぽど酒も強ぇんだろうなあ」


 夕月は焦りもせずに男を見返し、ひんやりとした声でそれに答えた。


「たかが女の身、男と同じほど飲めるわけではないわ。でも、出会いを祝してほんの一口いただくわ」


 微かに土器を傾けて、その唇を湿らせた。夜烏は笑いを深めた。


「いいねぇ、この女。度胸も据わってビンタも切れる。大抵は見栄張っちゃうもんだが、このおねえさんにはきかないねぇ」


 言うなり土器を取り返し、残りの酒を一気に呷った。一滴も残さずに飲みきったが、顔色一つ変わらない。夜烏は岩に土器を投げつけた。音を立ててそれは割れた。


「話は通ってるぜ。海はおまえらのもんで都はこっちのだ。そこそこうぜえ群盗も多いが片付けるのに手を貸してくれるんだよな」

「ええ」

「悪くはねえ話だが、こっちが断ったらどうするつもりだ」

「他に話がいくだけね」


 恐ろしいほどの速度で夜烏の左手が、夕月の首に当てられる。その手にはあるはずの指が二本ほど欠けていた。


「その細首をねじ切るのはこんだけで充分だ。手下が動く前に事は終わるぜ」

 夕月の唇の端が上がった。


「別に、かまわないわ。私は単なる駒だから。私の死をもってこの話は終わり、巌六は違う代人を使ってよそと話を進めるだけよ」


 夜烏の目が細められる。夕月の表情は変わらない。他の男たちも動かない。

 ふいに夜烏が、甲高い笑い声を立てた。


「きへへへへっ、なかなか言うねぇ、おねえさんよ」

 左手を外し、肩の辺りを小突いた。


「他にうまそうな餌を取られるのも癪だ。前向きに善処させていただこうか」

 陰険な官吏のように小ずるい表情で向かい合う。


「でもまあ、お付き合いなら互いに知り合う時間ってもんも必要なわけよ。で、しばらくは仮の約束って形でゆるーくご一緒したい。そんなとこでかまわねえよな」

「ええ」

「そうと決まりゃあ、楽しくやろうじゃねえの。とりあえずあんたがこいつらの頭ってことでいいんだな、べっぴんさんよ。頭同士でしっぽりいこうじゃねえの」


 再び視線を胸に移し物欲しげな顔を見せる。夕月は顔色も変えずにそれに答えた。


「寝るのは別にかまわないけれど、状況でどちらかが譲歩した場合、情に負けて折れたように見られるのは互いに不利益ね。だから、女は別に用意してきたわ」


 軽く口笛を吹くと、離れたところから栗毛の馬が現れた。手下の後ろに美しい女が乗せられている。


「名前は弥生(やよい)。一人しかいない私の乳母子(めのとご)よ」

 夜烏は遠慮のない視線で弥生の身体中を見測った。


「......悪くねぇな。おい、この女は好きにしていいんだよな」

「ええ。ただし決して殺さないで。気に入らなかったとしても命だけは奪わず返してほしい。それが第一の約定よ」


 弥生は強張った顔で歩み寄ると夕月の手前で足を止めて振り返った。瞳に悲痛な色が表れている。夜烏は甲高い声で笑いながらその手を掴んだ。無理やり抱き寄せながら夕月に目をやる。


「心得た。おい、脅えるなってぇの。どうせするこたぁ別に珍しくもねぇことだって」

「珍しいぐらいにやっちゃって下さいよ!」

「飽きたらいつでも引き受けやすぜ!」

「酌ぐらいしてもらえるんだろうな」


 飛び交う声に夜烏がにやりと笑った。


「そりゃいい。おい、女。そこの酒をついでまわれ。いや、ちょっと待て。まずはいらした方々にご接待だわな。(あけ)!」


 呼ばれて、手下の中に控えていた男が立ち上がった。地味な色合いの水干(すいかん)を身に付けているが、赤みを帯びた髪だけは夜烏と同じように短く切り、立たせている。


「こっちに美女はいねぇからおまえが酌しろ」


 これが弟の明烏(あけがらす)だろうと夕月は目を向ける。夜烏とさして変わらぬ年頃で顔立ちも似ているが無表情だ。

 手下どもが軽口を叩きながら土器を配る。明烏は無愛想に夕月側の一行に酒を注ぐ。弥生も強張った手つきで酌をして回った。

 夜烏が土器を高く掲げた。


「それでは野郎ども、お手を拝借。ええ、伊予の巌六の代人たる絶世の美女、夕月姫をはじめ信頼すべき海の男たちとの、この記念すべき出会いを祝して、杯を干せ!」


 白く濁った酒が一斉に群盗たちの咽喉に消える。一瞬の静寂の後、割れるような叫びが夜の河原を揺るがした。




 日華門院(にっかもんいん)(女院の名)の寝殿の南廂(みなみびさし)で両手をつき、頭を垂れるのは左大臣だ。御簾(みす)越しの女院は充分に間を取って言葉をかけた。


「......同じ同胞の仲でそのような礼は不要。頭をお上げ下さい、兄上」


 その声音に微かな嘲弄の気配を読み取って左大臣は唇を噛んだ。が、如何ともし難くただ姿勢を正しただけだ。


「帝はお喜びのようでした。藤壺の方を心底いとおしんでいらっしゃる。そう思わせるほどの娘を育てたことを誇るべきでありましょう」

「分に過ぎたお言葉を賜って恐縮の至りです」

「どうぞ以前のようにお気を楽に。こちらもそうさせていただくので」


 女院の位は上皇にも値する。左大臣であろうとも臣下の身の上では少なくとも表面上は対等に立つことはできない。それを充分承知で言葉で嬲る。わかっていても逆らうことは出来ない。


 左大臣の一人娘である藤壺の女御には子が無かった。その政治的手腕の冴えにより、他に有力な女御は入内(じゅだい)していない。身近な女房や尚侍(ないし)が帝を慰めることはあるが、それらの者がもし子をなしたとしても玉座を占めることはできない。磐石の態勢で固めた地位だが藤壺女御は未だ懐妊の兆候さえなかった。

 今や左大臣の息子たちでさえもあきらめて、少しでも血の近い大納言の娘の入内を勧めている。もしこのまま帝がその位を下りることになれば別系の一族の天下だ。二度と上を夢見ることは出来ず、あっという間に受領階級に落ちぶれる。


 左大臣はそのことをよく理解していた。が、それでも自分らしからぬ情に捕らわれて話を先へと送っていた。今回の話が程よい妥結であるのは確かだ。それを呑むべきだった。


「昨今は得体の知れぬ輩がはびこっております。血の濃いもの同士助け合っていかなくては」


 女院はひた、と真向かいに視線を当てた。左大臣は黙って再び面を伏せた。

 ついに彼は藤壺の女御を中宮とし、代わりに大納言の娘の入内を受け入れることを承諾した。女院の針の先ほどの意趣返しがこれほどの結果を生んだのだ。


 現在の帝を東宮につけることに全力を傾けた彼らの父は女院の猶子(ゆうし)(養子)の即位後、病に伏して亡くなった。その息である彼女の兄と弟は充分に力を持っていた。が、かつての恨みを忘れることのなかった彼女は養い子が至高の位についた時、兄の娘である女御が中宮に着く事を拒んだのだ。

 その当時彼は激怒したが、「子をなした時にその位を贈ります。素腹の后とののしられることの辛さはよく知っているので」とすまして答えた。そしてその時は来ることがなかった。


 今も、かつての言葉を振りかざしその位を与えず、強引に弟の娘の入内を許すことも可能だ。だが女院は敵に回すと厄介な左大臣の技量を知っていた。何食わぬ顔で過去を忘れたかのように振舞いわずかに棘で刺す。それが適度な仕返しだった。


「それでは吉日を選んですぐに取り計らいます」


 屈辱に耐えながら左大臣は、いくらかでも喜ぶであろう娘の顔だけを思い浮かべた。



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