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美しい鬼

死人注意

自然死、回想シーンの時は、基本的には表記しません

 赤いものがちらちらする。うとましい。

 領子は重い(とばり)を開くように(まぶた)を持ち上げた。かぎなれない安い油の匂い。人の声。大きな蔵のような場所だ。

 ふいに覚醒した。どっと笑い声がする。「お姫様のお目覚めだぜぇ」確かにそう言っている。どうも自分のことらしい。


 なんだか獣のようなものに囲まれている。いや、人だ。見たこともない種類の者どもだ。侍従が「下司」とさげすんで言う類の男たちに違いない。

 しげしげと眺める。珍しい。五体もいる。


「さすがお姫さん、わかってないようだな」

「これからどういう目にあうか、知らないわけだな」


 いや、それはさすがにわかる。女を(たてまつ)ることで世を司ってきた一族の(すえ)だ。そのことの功罪は知らされている。そして決められた相手以外には死守することも命じられている。

 が、この状況でそれは無理だ。泣こうが叫ぼうが暴れようが男たちを喜ばせるだけだ。逃げることは出来ない。さすがに青ざめた。


「お姫さんの前にさ、そっちをやっちまうのはどうだい」


 蓮っ葉な口調で女が言う。先ほどの菊の(かさね)の衣装の女だ。やはりこの女のたくらみかと、領子は大いに納得した。


「なるほど、そりゃいい。めったに見かけない美形だ」

「しかしなんか薄気味悪くねぇか。泣きも叫びもしねぇ」

「縛られるときも声一つ立てなかった」


 男たちの視線を追って振り向くと、美貌の女房が無表情に座っている。その手は藁縄(わらなわ)にいましめられているが怯えの表情は浮かんでいない。


「びびって声も出ないんだろ」

「かえって都合がいい。もっとも泣こうが叫ぼうが誰も来ないけどな」


 一人がくい、と女の顎を掴んだ。彼女はわずかに目を伏せた。白い頬に長い睫毛の影が映る。


「ほら、可愛いもんじゃねぇか」

「いい子にしとけ。よくしてやるから」


 女が引き出される。火影に映し出される姿はたおやかで、やはり姉を思わせた。


「やめて!」


 無意識のように領子は叫んだ。男たちが領子を見つめる。横たわる身体を持ち上げ、強い声で続けた。


「私が目的なのでしょう。その人に手を出すのはやめて!」


 これほど大がかりな仕掛けだ。ただ女の欲しい盗賊の手口とは思えない。入内(じゅだい)に絡んだ陰謀に違いない。


「ほう、なら何をくれる?」

「取引なら代価が必要だな。おまえは何を持っている」

「上に着ている唐衣(からぎぬ)表着(うわぎ)はかなり高価なものよ。それを持って行っていいわ」


 腹を抱えて男たちは笑った。


「この美女をその程度であきらめるわけがないだろう。安い見積もりだな」


 中でも首領格らしい男が卑しい表情を浮かべて領子を見つめる。


「女の替えならやはり女だな。お姫さん、あんた自身をおれたちにくれるのならこいつを逃がしてやってもいいぜ」


 たぶん男にそのつもりはない。自分を与えたとしてもその後にこの女房を捕まえるだろう。それは容易に推測できた。けれど女院のもとで見た対応からするとこの女は相当賢い。隙さえつかめば逃げることが出来るだろう。

 腹を決めた。どうせ汚されるのなら一人でも助かったほうがいい。


「それでいいのならどうぞ。だけど先にこの人を逃がしてあげて」


 男は少し鼻白んだ。陰険な目つきで領子を眺め、それから吐き出すように答えた。


「すんだ後だ。あんたの気が変わるかもしれねぇ」

「そんなことはないわ。でも、だめならせめて縄を解いてあげて」


 美貌の女房はうつむいている。背の丈こそやや高いがすんなりとした細身で、害のあるようには見えなかった。頭らしい男はしばし考えうなずいた。



 泣くな。領子は自分に命じた。泣けばかえってこいつらが喜ぶ。抵抗の一つも出来なくとも、少しでも相手の気持ちを削いでやる。


南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)、南無観世音菩薩」

 手を合わせてうろ覚えの経を唱えると男は興ざめの風で見返したが、本能のほうが勝ったらしい。身に付けた衣を一枚ずつ剝ぎだした。合わせた手は離される。


南無摩訶毘廬遮那(なむまかびしゃるな)、南無摩訶毘廬遮那」

 いよいよ高く、本気で祈る。出来れば仏に助けてもらいたい。


摩訶般若波羅蜜多まかはんにゃはらみった 観世自在菩薩」

「やかましいっ!だまれっ」


 怒鳴られる。口を鎖すと一気に衣を奪い取られた。羞恥で胸が痛い。男の体臭で鼻も痛い。このような目にあわされるとは、自分は前世でもあまり努力しなかったらしい。

 (はかま)の紐に手を掛けられる。耐えていたのに涙が頬を伝うのを感じて、拳で涙をぬぐった。


「もっと女らしく泣け」

「注文が多すぎるっ。こっちは必死なのよ!」


 思わず怒鳴り返す。相手は呆気に取られ、それから何か叫ぼうとした。が、その言葉は誰にも届かなかった。

 背中に太刀を深く突き立てられ、男はごぼごぼと息を吐き死んだ。

 命を失った体はひどく重い。驚きと重さで声も出なかった。

 ただ、目が合った。太刀を刺した女は薄く笑うと、気を抜かれて呆けたようになっている別の男の首の線をもう片方の手に握った小太刀でかき切った。


 菊の襲の女の悲鳴。残りの男たちは慌てて太刀を掴み、その女に切りかかる。

 さらり、と身をかわした。無駄がなく優雅だ。上に着ていた(うちき)や唐衣はいつの間にか落とされている。

 一人の男の太刀がもう一人の肩に食い込んでいた。女の動きに間に合わなかったらしい。思わず息を呑んだ男たちの隙を見逃さず、刺した男の首の後ろを小太刀で貫いた。


 深い。が、女は未練もなく刀をそのまま残し、するりと回って男の剣を奪った。

 動きがそのまま綺麗に線を描き、片側の男の背を深く切り裂いた。

 残った男が何事かわめきながら飛びついてくる。それをほんのわずかに身をそらして受け流し、たたらを踏んだ男が立ち直る前に腹を刺した。


「…ひ、ひぃっ………」


 菊の襲の女がぺたり、と尻を床に着いた。その方に振り向きもせず背を裂かれて倒れている男に止めを刺す。

 女の顔に表情は無い。呼吸さえ変わらない。血しぶきも上手く避けていて、目に付く所にその色はない。


「……ひ、だ、誰か………」


 太刀をそのままにして女はもう一人の女房に近づく。すくみ上がる女の横に膝をつき、耳元に優しく話しかける。


「命じたのは誰?」

「し、知らないっ。親しくしてた男が持ちかけたけどその男も金で頼まれて……」

「男の身分は?」

「女院様の下人、鹿丸という男」

「そう」


 礼のように微笑む。ふ、と力を抜いた女ののどにやわらかく指をかけ、そのまま強く締め上げた。

 背を向けられていたので領子には見えなかった。が、女の体が痙攣し腕が宙を掴みやがて静かになるその様がわずかに窺えた。


 女は立ち上がると自分に近寄ってくる。恐ろしくて逃げたいが、体の上の死体が重くて逃げられない。

 すくみあがっていると女はかかとで死体を蹴り飛ばした。

 慌てて身を起こしてずり下がる。

 女は黙って領子を見ている。何の感情も浮かんでいない。

 人ではないのだ。そう領子は思った。この女は鬼なのだ。


 ――――だけど、なんて綺麗な鬼なのかしら


 白い面輪に切れの長い涼しい瞳。紅の色を透かして珠のような輝きを見せる形のよい唇。甘い匂いのするその髪は長さこそ姉ほどはないが生き物のように艶めいている。

 この美しい鬼に殺されるのなら、さほど辛くはないかもしれない。領子は目を閉じ、うなじを差し伸べてすんなりとした両手を待った。切り殺されるよりは締められる方がいい。


――――貫之(つらゆき)に、あの世で会ったら苦情を言うわ


 習慣で、恨みは全て歌人に理不尽に託し自分の命をあきらめた。



 なかなか手が掛からないので、不思議に思って目を開けた。

 美しい修羅は去ったわけではない。先ほどの惨事が夢ではないかと疑うほど平然と、自分の前に立っている。


「死ぬ前に、経を唱えていい?」

 尋ねると、感情の見えない瞳がほんのわずかに色を含んだ。


「……仏が好きなの?」

 声さえも甘美い。迦陵頻伽(かりょうびんが)を思わせる。


「好き、というのは違う気がするわ」

 特に意識したこともない問いなので、首を傾げて考える。


「信じていないわけでもないけれど、それより、どうしようもない不幸なんかを預けてしまうにふさわしいと言うか。貫之と同じなのかも」

「貫之?」

 綺麗な眉がひそめられる。


「あの、土佐の国司だった紀貫之。今の私の不幸の元凶だから悪いことは全部この人のせいにするの」

「昔の人なのに?」

「昔の人だからよ。和歌なんかまとめるから私がこんな目にあうんだわ」


 くすり、と女の口もとが綻んだ。激寒の雪の中にふいに花が咲いたようで、思わず見惚れた。

 女は膝をつき傍らに座った。ごく微かな香りは伽羅(きゃら)だ。腕を伸ばすと練絹(ねりぎぬ)単衣(ひとえ)(うちき)、鮮やかな浮紋(うきもん)の織り出された表着や唐衣を集め手渡してくれた。


「……殺さないの?」

「今はね」

 袴の紐を結んでくれる。その指先はしなやかで器用だ。


「遠国に売るの?」

 身の回りの世話をする女房よりも優しい手つきで、一枚一枚衣を着せ掛けてくれる。


「それも悪くはないわね」

「その時は南国にしてね。寒いのは苦手なの」


 微笑になる前の淡い影が女の顔をよぎった。けれどそのまま表情を消して領子の身なりを整える。いつもよりずっと形よく仕上がった。


「血は飛んでいないと思うわ」


 やはり鬼なのだ。あの状況でそんなことにまで気遣えるとは、この世のものとは思えない。領子は周りを見回した。屍骸が六体転がっている。ぞっとした。恐怖を払おうと言葉を繰り出す。


「ここは、どこなのかしら」

「右京の方ね。たぶん、二条のあたりの逼塞(ひっそく)した名家の蔵。いくばくかの金で何があろうがどんな声が響こうが黙っている、そんな所」

「どうやって帰ればいいのかしら」

「そろそろ人が来るはずよ」と、告げられた途端に蔵の戸が叩かれた。

「お頭、無事ですかい」


 身をすくませた領子にかまわず女は扉を開く。先ほどの男たちと大して変わらぬ面体の男たちが四、五人ほど入り込んできた。


「うわ、一気に六人ですかい。半端ねえなあ」

「意外と血が少ないっすね」

「このお姫さんは今回の獲物ですかい。可愛いなぁ」


 男の視線に飛び上がりそうになる。先刻のことを思い出して怖い。普段は父以外には顔さえ晒すことなどないのだ。が、男たちは領子にはかまわずに言葉を続ける。


「車は別に運ばれる最中でした。もちろん奪って引いて来ました」

「その場にいたのは下っ端ばかりで何も知らんので殺しました」

「この邸は先々代の親王の一族もので金さえあれば誰にでもなびきます」


 口々に告げられる情報を聞き取って適切な指示を手下に与える。彼らには女だからと見下す様子はない。一人が領子の処遇を尋ねた。


「今は帰すわ」

 美貌の鬼はそう告げた。暴露の不安を訴える男にただ一言加える。


「大丈夫よ。この子は馬鹿じゃないから」


 領子の胸に熱い塊が生まれた。そしてそれは徐々に広がり、熱いままに溶けていく。

 鼓動が高鳴る。胸が痛い。全身が震える。

 ふいに頬が濡れていることに気づいた。何気なく振り返った男の一人が慌てた。


「帰してやるって言ってんのに泣くんじゃねえ。騒ぐと殺すぞ」


 領子は再び拳で涙をぬぐった。が、また溢れてくる。

 甘い香りの柔らかなものが頬にあてられた。四隅を丁寧に縫った白綾の手巾(しゅきん)(平安ハンカチ)だ。絹が優しく涙を吸う。

 その布と変わらぬほど白い指が、涙を抑えたその頬を撫でた。

 さすがに鬼だ。人の心を惑わせる。領子は奥歯を噛み締めた。そうしなければこの美しい魔物に惹き込まれてしまいそうだった。



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