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火事

 持仏堂(じぶつどう)とは、仏像を拝むための小堂だ。その規模は様々で、ごく小さなものから専用の僧侶を備え付けた寺のようなものまである。

 場所も、寝殿(しんでん)の廊の端にあったり、池の中島に建てたりと多様だ。


 最近、その持仏堂を持つ貴族たちが競っていることがある。参拝者の数だ。仏の格は拝む者の数で決まる。そんな噂が広まっているため、彼らは少しでも多くの者に拝ませようとしている。

 そのため、普通なら庶民などは入れぬ邸のお堂に、身元のわからぬ下司(げす)が入り込むことが珍しくない。


 左京の四条の外れに住む某少納言(しょうなごん)の邸もそうだった。

 主人は左大臣について宇治に行っているので留守だが、参拝者は出入りしている。もちろん盗賊の害を防ぐため、持仏堂以外に立ち入ることは許されていない。


「こら、何を持ちこもうとしている」


 邸の下部(しもべ)(召使い)は(かめ)を抱えた男をとがめ立てた。だが男は悪びれもせず「仏様への捧げ物でさあ」と笑顔で答えた。

 手にした瓶の蓋を取ると、古くさくない油のにおいが鼻を打つ。値上がりのひどいこの時期に、奇特なことだと下部は破顔した。


「おお、それはありがたい。きっとみ仏もお喜びだ」


 上機嫌のまま、邸の西端の持仏堂に案内した。

 いつもなら、供物(くもつ)が盗まれないように見張ることが多いが、さして貧しげな様子でもなし、ゆっくりと拝ませてやろうとその場を離れた。


 彼らが帰ってほどなく、きな臭いにおいに気づいた下部が慌てて駆けつけると持仏堂が燃えていた。せめてみ仏をお助けしようと無理に扉を開くと、中でも特に大きな焔に包まれて丸焼きになっている。これはかなわぬとそのままにして下がった。


 人を呼び集めて手桶に水を汲んで必死にかけるが、火の勢いはおさまらずに小堂を焼き、焔は西の廊に移ってしまった。


 主人不在のため、里へ戻っていた下人も多く人手が足りない。隣家に走って人を呼び何とか抑えようとしたが、邸は大きく燃え上がり黒煙を吹いた。


「た、大変だ」


 結局火は西の対を焼いたが、長い渡殿(わたどの)を崩したため、どうにかそこで止まった。下部たちは崩れ落ちるように座り込み、荒い息を吐いた。



 火を点けられたのは一箇所ではない。左大臣邸も内大臣邸も油のしみこんだ木切れを投げ込まれたが、摂関家は人数に余裕があるのですぐに消し止められた。しかし投げ込んだ者は逃げてしまっていたので、捕らえることはできなかった。


 五の宮たちの一団は、それらの邸には現れていない。人を割かずとも対処するだろうと、邸の横をそのまま通り過ぎていった。


 日は暮れかけて薄闇が次第に濃くなっていく。名のある家は守りを固くした。思わぬ出火にあった邸はばたばたと消火に明け暮れ、落ち着いた後はつき合いのある邸に知らせてやった。そのため門は閉められ、通いの下人は呼び戻された。

 ただでさえ多くの者が不在なのだ。小家に帰ってくつろいでいた者たちも、大半が主家に駆けつけることとなった。


「御仏の像に火をつけるとは、言語道断の大悪行。即刻捕らえてこらしめてやらねばなるまい!」


 言葉ばかりは勇ましいが、邸からは一歩も出ずに持仏堂を拝みに来る悪人どもを待ち受けたが、最初の騒ぎの頃を除いて、後は姿を現さなかった。


 そのうちに風向きが変わった。都の辰巳(たつみ)(東南)、五条大路の一つ下にある樋口小路(ひぐちこうじ)富小路(とみのこうじ)の交差する角の辺りにあった仮小屋から日が出た。庶民の住む地域である。


「なんだなんだ」

「うわっ、燃え移るぞ!」


 風に炎が煽られて戌亥(いぬい)(北西)に向かって燃え広がっていく。近隣のものは慌てて荷物をまとめだし、遠方の者はわざわざ火元によって来た。

 が、その騒ぎの中、よくとおる少年の声が人々を割った。


「類焼を防ぐため近辺を打ち壊す! 心ある者は手伝ってくれ!」


 驚いて振り返ると、みずら姿の小柄な少年が男たちを率いて手近な小家に向かった。


「壊せ!」


 赤衣白杖の看督長(かどのおさ)(けびいし庁の下級職員)が指示して二十名ほどの男たちが、勢いよく小家をつぶしていく。


「やめてくれ、おいらの家が」

「よしてくれっ、壊さないでくれ!」


 悲痛な叫びが上がるが、少年は揺るがなかった。


「家はまた建てられる! 情に負けて放置すると大火となり死人が出るのじゃ! 死んでしまえば取り返しがつかぬ!」


 大風とはいえないが風は耐えない。刻、一刻と危険は迫る。現れた男たちは必死に家を崩している。みずらの少年たちはそれを見守っている。


「あんた、誰なん?」


 野次馬の一人が少年に声をかけた。彼は澄んだ声でそれに答えた。


(さき)の帝の五の宮、成貞親王じゃ」


 辺りがざわつく。別の男も疑問を口にした。


「そんなおエラい方がなんだってこんなとこに」

「兄上……今上の帝が、そなたらを心配してつかわしたのじゃ。今、上の者の多くが都の外に出ていて人が少ない。そのためこのようなわずかな人数ではあるが、高位の者の邸を捨て置いて命じてくださった。帝の民を思う気持ちの表れである」

「みなさんも手伝っていただけませんか!」


 もう一人可憐な顔立ちの少年が、声変わり前なのか愛らしい声を張り上げた。


「このままでは火はどこまで飛ぶかわかりません。あなた方の親や子どもの命も危なくなります!」


 人々は互いに顔を見合わせた。最初の野次馬が、急に威勢よく返事した。


「おう。宮さままで出ばってんのにほってもおけねえや。畑から土とってくるから待ってろ!」


 一人につられて辺りの者も動き出した。


「おいら、水汲んでくるわ!」

「むしろはあるからザル貸しな! 大家のババアの畑の土、根こそぎ引っぱこうぜ!」

「おめえ、力あるから家倒すの手伝いな」

「かかあ、カメのでけえの持ってこい!」


 邸の手伝いに取られてこの辺りも人少なになっていたが、遠くからの野次馬や女子どもも手伝って、どうにか火を小さくすることに成功した。が、休む間もなく別箇所から、火事の報告があった。


「すまぬ。ここはそなたらにまかせてもよいか」


 五の宮が叫ぶと、庶民は口々にそれに答えた。


「まかせてくだせえ。こっちはあとちょっとだ」

「宮さまは行ってちょうだい。あたしらもがんばるから」

「そっちはよろしく。ありがとな!」


 五の宮率いる男たちの一部は馬に乗り、残りは走った。彼自身は領子の駆る馬の背に乗っている。


「ひ……みずら丸、まろが手綱(たずな)を取るから代わるのじゃ」

「それはいやよ。だって宮さまのおうちには馬も牛もいないじゃない。習ったことがあっても、まともに乗れるとは思えないわ」


 軽やかに走らせながら、領子は拒否した。五の宮は心配そうに彼女の手元を見つめた。


「そのようなものをつけておると、扱いづらいであろうに」

「ううん、これとっても使いやすいのよ。日向が届けに来てくれてよかったわ」

「よき乳母子(めのとご)じゃ。手伝うと言っておったが」

「馬に乗れない人はダメ、って帰しちゃった。心当たりがあるって言ってたけれど、心配だから間に合わなくてほっとしたわ」


 彼女が微笑む気配がする。ぴったりと寄せた体は温かい。こんな時なのに少年は、胸の高鳴りを抑えられない。甘い香りに頬を染めていると、領子は五条に待機した理由について尋ねた。


「なぜ、他のお邸を手伝わずにこちらに来たの?」


 五の宮は緩んだ顔を引き締めた。


「身分のある者の邸はそれなりの広さもあるし、多少の留守番はおるであろう。隣家に火が移る前に消し止められると判断した。それよりも、小家の建て込んだこの辺りが危ないと思った。ここが焼けると死人も多く出る。その上大火となれば火の気はあちこちに飛び、高貴の邸ですら防ぎきれぬ事態となる」

「じゃあなぜ、あちらに先に火をつけたのかしら」

「人手を割くためと、民の気を抜くためであろうな。上の者の邸が燃えたとしても面白いだけじゃ。見物に行く者も多いであろう」


 少年は考え深げに目を細めた。


「だが心配なのは、いくつもに分けて火をつけられることじゃ。あらかじめ風向きがわかるわけはないので、その可能性は高い」


 心配はすぐに現実となった。堀川小路沿いの小家が燃えているが、右京の方にも黒煙が立つ。五の宮は領子に言って阿蘇の少史(さかん)の馬に近寄せた。


「…………頼む」


 先ほどのうつろな目を思い出せないほど真剣なまなざしで少史はうなずき、人を率いてそちらの方に駆けて行った。彼の邸に程近い辺りだ。

 別れた五の宮たちは、別の現場に駆けつける。先ほどの場所からあまり離れていないせいか、野次馬はそれほど多くない。むしろ逃げようとしている者で道は混雑している。


「守るために来た、通してくれ」


 聞かずになだれ込む人々に馬が驚いていなないたが、領子がそれをなだめ、落ち着かせているうちに徒歩組が追いついた。


「その方は親王さまだ! 通してやってくれ!」

「おい、向こうの火を消し止めたのは、この方のおかげだぜっ」


 あちらから駆けてきたららしい何人かが叫んでくれたが、大部分の人々の足は止まらない。看督長が五の宮をうかがうように見たが、彼はうなずかなかった。


「無理に留めても大したことはできぬ。行かせてやれ」


 人の減った火事場で男たちは、先ほどと同じように家を倒す。近場の者たちが話を聞いて協力してくれているが、なかなか消し止められない。


「えい、何人も水や土を運んで走るな。ぶつかってこぼれる……そうじゃ」


 何か思いついたらしい五の宮は、人々を畑と井戸から燃える小家まで列を作らせた。


「順々に手渡していけ。余った者は土をすくうか、井戸水を汲む者の交代か、打ちこわしの手助けじゃ!」


 効率的な手順に変わって、今までより少人数で火消しがはかどる。励ましを与える五の宮の声も助けになっている。だが領子は鼻をひくつかせた。


「ここより北の方に大量の油のにおいがするわ。まだ燃えていない」

「看督長! おまえはつきあってくれ。みなの者、火は弱まりつつある。他が危ないのでまろはもう行くが、人が来たら列を増やして対応するのじゃ

「あいよ、宮さん気をつけてな」

「もう少し落ち着いたらすぐに追いかけます!」


 残る男と交代して看督長も馬に乗った。先刻魚の目をしていた一人である六位蔵人(くろうど)が、少し考えた後に馬に乗った。放免が慌てて付き従う。領子が先頭に立って馬を駆る。


「この家よ! 凄いにおい」


 馬を下りて戸を開くと、(かめ)を抱えた人相の悪い男たちが五人ほど、油を流し終え今まさに火をつけようとしている瞬間だった。


「無法者、待てっ!!」


 五の宮の叫びに驚いた男たちは、声の主が童姿の少年であることに気づき、ふふんと口元を上げて嘲る。


「ガキは寝床に入っとけ……うおっ!?」


 つき従った看督長が、ぐいと二人を押しのけて白杖ではなく野太刀(のだち)を振るった。飾り気のない実用的なものだが、蕨手刀(わらびてとう)の形に似て湾曲している。ざっくりと男は切られ、片手に持つ火は逆の方に飛んだ。


「野郎っ!」「やりやがったなっ!」


 男たちがさっと構えたが、ようやく追いついた放免たちも中に飛び込む。乱闘の隙に領子は中に入り込み、落ちたままの火を踏み消した。


「てめえっ!」


 猛った男が跳びかかるが、領子はすばやく身をかわし、瞬時に動いて部屋の隅に逃げた。

 目の前で人が切られ頬に血が飛ぶ。それをぬぐおうともせずに領子は人の動きを見、避けようとするがまかれた油に滑ってつんのめった。


「!」


 とっさに五の宮が彼女を抱きとめる。だが顔を赤らめる暇さえなく、ぱっと別れて敵を避けた。


 やがて静寂が訪れた。まだ息の荒い看督長が、野太刀を黒塗りの(さや)に納めて彼らに尋ねる。


「おけがはありませんか」

「大丈夫よ」「特にない」


 二人はケガをした放免の傷を竹筒の水で洗ってやり、五の宮が用意していた布を巻こうとした。


「こんな……もったいない」

「気にしないで。私闘えないし」

「まろもじゃ。おお?」


 夕暮れ前には死んだ目をしていた六位蔵人が、無表情にその布を奪い取った。


「やりますよ」

「そうか」

「私、けっこう手先器用なんです。あなたがやるよりきっとマシですよ」


 蔵人はほんの少し口元をほころばせると、すばやく布を巻いてやった。



 手当てがすんで小家の戸をくぐると、ちょうど六人ほどの男が駆け込んできたところだった。


「おい、いつまでかかってんだ……って、誰だてめえ」


 先頭に立つのは、背は高くはないがよく鍛えた体つきの四十がらみの男だ。看督長が二人をかばって前に立つが、先の闘いの疲れが癒えていない。野太刀をつかんだ手が強張っている。


「あなたこそ誰?」


 愛らしい声が何の悪意も含まずに尋ねた。男はそちらに目をやるとふんぞり返った。


「司馬法のたちはきってモンだ。ここらじゃちいと、名の知れた男よ」

夜烏(よがらす)さんなら知っているけれど、あなたは知らないわ」

「夜烏か。あいつもそこそこやれん男じゃなかったが、悪運と舞いを舞っちまったわ」

「なんのこと」

「実の弟に殺された。おい、てめえ、口上を言え」

「へい」


 後ろにいた男がたちはきの前に立ち、声を張り上げた。


「捨て子あがりとそしられつつも、のぼりつめたる大頭、京の都のてっぺんに据えられましたはおのが才、その名を問わば音に聞け、みなのひれ伏す河原の夜烏、大頭領と慕われてあまたの男を従えし、栄耀栄華も一夜の夢。同じ血をなすはらからは、仁義の道も切り捨てた、その名も憎し明烏(あけがらす)


 まだ息の荒い看督長は、これ幸いと休んでいる。後ろでは放免と六位蔵人が「長くないっスか」「途中で打ちかかると、余裕がなさすぎてみっともないから終わるまで待とう」と会話している。


「明けた空でもいつかは暮れる、身すぎ世すぎの盗賊ぐらし、誇れる身とは言えねえが、恩ある兄貴の血で濡れた、太刀振りかざし海人(あまびと)の、女頭の乳母子の命奪いし大悪行、許しはせじと立ち上がる、大山崎で名をはせた、(おとこ)たちはきここにあり!」


 言い切った男が得意そうに顎を上げると、領子と何人かの男がパチパチと手を打った。が、後ろに陣取った盗賊の男が「うちの頭の部分、少なっ」と小声でつぶやいた。けれどたちはきは気にもとめずにずい、と一歩前に出た。


「ってことでわしは夜烏亡き後、都の頂点(てっぺん)に立つ男よ。見ればガキが二人もいるじゃねえか。おとなしくすっこんでろ」


 と、言い終わった瞬間に看督長が突っ込んでいった。が、さすがにたちはきも闘い慣れている。見事にかわすとすぐに打ち込み返した。

 きわどいところで看督長が避ける。五の宮は領子の手を引いて後ろに下がらせた。


 口上をまくし立てた手下には放免が切りかかるが、闘おうともせずにかっ飛んで逃げた。六位蔵人も加わってしばらく打ち合いが続いたが、別の男たちが走りこんできた。


「てめえ、何しゃしゃってんだ! ここは別の組のはずだろっ」


 太りじしで大柄な男が、毛を逆立てるようにたちはきに怒鳴った。


「るせえっ。火ぃつけたら合流の予定だったのに来ねえからだ。赤衣(看督長)がでばってんだぞっ」

「ざけんなっ。余計なことすんなっ」


 争い始めた男とたちを見て、看督長はさっと判断してその場を引き始めた。領子と五の宮も隙を見て馬に飛び乗る。


「あ、こら、やつらが逃げる!」

「やかましいっ、わしとてめえの勝負が先だっ」


 頭に血が上った盗賊たちは闘いをやめない。わずかに切りかかってきた幾人かを看督長と放免が連携で倒し始めた。


「先に行ってください! 後から追います!」


 六位蔵人だけを守りに、二人を乗せた馬はその場から走り去った。



 夕闇が静かに下りてくる。他者の留守宅にこっそり入り込んで休んでいた明烏は、騒ぎを聞きつけて外に出た。五条大路の辺りから煙が漂ってくる。


ーーーーこの状態で計画を遂行したのか


 口の端が苦く緩む。大したタマだ。わずか十人ほどの海賊で盗賊をのっとり、都を燃やそうとしている。憎くて憎くて仕方がないが、もはや一人で太刀打ちできる相手ではない。


ーーーーおまえが逃げろなんて言うから


 刀は手元になかった。それでも素手で飛びついて、引き離されるまでに女の首を折ってやればよかった。

 だが、非業の最期を遂げた弥生(やよい)は、たぶんそれを望まない。だからせめて心を傷つけようと、おまえの殺した相手だと、もの言わぬ弥生を投げつけた。


ーーーーあいつが男だったらできなかったな


 死体でもずっと抱いていたかった。他の男の手に触れさせたくなかった。あの時あの女がいなかったら、愛しい女を抱いたまま殺されることを選んでいた。


ーーーーそれでもよかったのに


 おまえはどうして俺を生かしたいんだ。生きていたら傍に行けないじゃないか。どうせ死んだら(ちり)になるだけだが、それでも死人同士のほうがおまえに近いじゃないか。


 目をつぶると、幸薄かった女の儚げな笑顔が浮かぶ。つまらぬことに喜んで、小袿(こうちき)一枚分の贅沢しか知らぬうちに死んでしまった。


ーーーー俺は何もやらなかった。いや、一つだけあったか


 針を買いにつきあった市で、干し柿を2つ買い二人で食べた。もっといろいろ買ってやりたかったのに、それ以外はどうしてもうなずかなかった。

 だが笑っていた。青空の下で。人の多さに驚いて、はぐれないように手をつないで。


「いい所で会うじゃねえか」


 振りかざされた刃を目を閉じたまま避けた。そんな安易にやられるつもりはなかった。

 目を開くと、新参者の盗賊が三人で取り囲んでいる。全員がニヤニヤと、嫌な笑いを浮かべている。


「こんなところで出会えるとはついてるな」

「大頭のみちびきじゃねえのか」


 途端に血が沸いた。あの男がこんな格下に、実の弟を任せるわけがない。

 明烏は黙ったまま、冷たい殺気を放った。女の顔が消えていく。


 振りかざされる刃を避けると同時に位置を変え、空いた脇腹をしたたか殴りつけた。相手はしぶとく太刀を離さなかったがひざをついた。

 瞬時に撃ちかかってくる男の持つ得物は木の棒だ。どうにかかいくぐってもう一人の脚を殴る。わっと叫んでその男は手持ちの棒を落とした。それをすかさず蹴り上げて自分の手に持つ。


「やる気か、兄殺し」

「女も逃げたから殺したんだろ。大した色男だな」


 嘲りの言葉では火がつかない。頭の芯まで覚めている。


ーーーー弥生は俺に、逃げろと言った


 なら逃げてやる。こんな小物の手にはかからない。かまえた棒に力を込めて、一人の男の頭を叩き割った。


「野郎ッ!!」


 怒り狂った別の男が棒で打ちかかってくるが、同じく棒で軌道をずらした。すかさず太刀の男が背後に回るのを感じて、そのまま半円を描くように腕だけを振るって棒を投げた。


 得物を持たない男がせっかく握った長物だ。まさか手放すとは思わなかった太刀の男は、ほんのわずかに対処が遅れ、棒にぶちあたってどう、と倒れた。

 その隙を明烏が見逃すわけがない。音のする後ろに飛び退り、がっ、と力を込めて相手の右肩を踏み抜いた。棒の男が飛びかかってくる前にたちを蹴り飛ばし、すぐにその位置に駆け込んだ。


 太刀を握った明烏は不敵に笑ったが、夜烏のように軽口は叩かない。強くつかんで打ち込むだけだ。

 すぐにそれは血刀に変わった。明烏は死体の貧相な衣で、ぐいと刀身をぬぐった。



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