疾走
明烏の足は速く、道は多人数を巻くために用意されたものだった。ならず者たちは渋面で戻るしかなかった。
「本当に大頭は殺されたんか?」
「隣の家の方にババアの死体と血だまりがあった」
「大頭の死骸は?」
「そこにはなかった。だが明烏はけっこうやる。隙をついたら夜烏のあにいだってやべえ」
盗賊の一人が怒りに任せてがん、と柱を殴った。小家が揺れる。
「見つからなきゃごまかすつもりで手のもんが隠したんだろう」
「明烏の組をしょっぴけ。吐くまで体に聞いてやれ」
千虎が指示すると後ろにいたたちはきが不満げな顔で彼を見た。だが彼には文句を言わず、眇めた目を夕月にあてた。
「おい女。おまえはなんだってこの騒ぎに気づいた」
夕月はいまだ乳母子を抱え、その栗色の髪を優しく撫でている。それでも気丈に声を震わすことなく答えた。
「昨日会いに来たら、夜烏と明烏の中を心配して暗くなっていたから見張りを置いたの。この子を取り合っていたみたいだわ」
周りの男たちは驚いて口を開けたが「そういやちょっと前まで妙に不仲だったな」と納得した。
「最近はどうにか落ち着いたみたいだったが」
「そんなふりして隠してたんだろう。いくら大頭の弟だからって、あいつはどうも気にくわん。妙にすかして情も見せねえ」
「腕は立つけど人好きせんな。だいたいこの女は兄貴のもんだろ。何を横から割り込みやがる」
「よして」
ぴしゃりと夕月が止めた。男たちが彼女の顔を見る。青ざめている。見たこともないほど陰鬱な表情だ。
「弥生は物じゃないわ。大切な、たった一人の私の乳母子よ」
彼女は立ち上がり、板間に優しく弥生の死体を横たえた。
一度だけ口を冷たい耳にあて、何ごとかを小声で囁いた。
乱れた髪を直してやり、後は振り返らずに土間に下りた。
夕月は涙を流さない。そんな女ではない。それでも彼女の胸の内を思って、男たちの何人かは涙した。
「私はこの子を邸に連れて帰るけど、あなたたちはどうするの」
「そら、明烏を探して大頭の敵を取るわ」
そうだそうだ、とみなが言う。この場に集まったのは盗賊たちのほんの一部だが、その点では一致した。だが夕月は眉をしかめた。
「それは当然だけど、誰が指揮を執るの?」
互いに顔を見合わせたが、千虎がそれを受けた。
「あの阿呆がこんな真似をしくさらなかったら当然あいつだったが、今は敵だ。なら、あいつと組んで闘った俺が順当だろう」
「待てこら、かってなこと言うな!」
途端にたちはきが割り込んだ。
「わしは夜烏には負けたがおまえには負けちゃいねえ。てめえなんかの下につけるか。それに、これだけの数の大頭につくたあ、それ相応の年のオトコの中の漢である必要があるんじゃねえか」
それが誰だかわかるかとばかりにみなを睥睨する。だが千虎は口の端を歪めて「外れの蛙が大口叩きやがって」と吐き捨てた。
思わずたちはきが腰に手をやる。千虎も肩を怒らせて威嚇するが、夕月が二人を止めた。
「もめてる場合じゃないでしょ。こんなじゃうまくいくわけないわ」
「てめえが大頭を張る気か、女」
たちはきが凄むと夕月は苦笑する。
「冗談じゃないわ。私はあくまで巌六の代人。しかも約定を破られたばかりよ。でも、それも困るのよね。あんたたちに協力して夜烏の組を大きくして、やっとこちらに旨味があるかと思えばこの騒ぎ。せっかくの群れも壊れようとしている。こんなことじゃ夜烏が泣くわよ」
「だからわしが大頭に」
「させるか。おまえがつくなら俺の方がマシだ」
夕月は黙って二人を見た。沈黙に気づいて彼らはさすがにばつが悪くなり、口を閉ざした。
「......夜烏は何をしようとしていた?」
「火付けだな」
「ああ。京を燃やし尽くすはずだった」
「だとしたら、それをかなえてやるべきじゃないのかしら」
男たちが彼女を見た。夕月は憂いの中にわずかな希望を見出したような表情だ。
「元はうちの先生の案だったけど、あの人凄く乗り気だったの」
「表をぶんどるいい機会だもんな」
「だけど、敵をとるのが先でねえか」
手下の一人が口をはさんだ。夕月がそれに答えた。
「見かけたら殺すべきよ。だけどそのことを目的に動いたら、火付けはできない。それに、この後のことに関わるわ。たまたま明烏に出会ったってだけの運のいい誰かを大頭にするのは嫌でしょう」
こく、と彼らはうなずいた。夕月は一同の顔に視線を廻らせた。
「それなら予定のままに進めましょう。役割は夜烏が振っているのだからその通りに働いて、後から手柄を較べればいいわ」
「上には誰をつける?」
「誰にしたってもめるでしょうから、この計画の間だけ私を上においてほしい。もちろん大頭にはつかないし、終わったら新しい大頭と約定を結び直したいわ」
切れの長い目は強い力で彼らを見た。威圧の凄みはまるでなかった。ただ目的に向かう強さがあった。
男たちは声を出せなかった。少しの間の後、夕月はわずかに目元を赤らめた。
「もう乳母子はいないから、私自身が大頭に身を捧げるわ」
おおっ、と男たちがどよめいた。たちはきがかき分けるように前に出て、夕月の顔を喰い入るように見つめた。
「ほ、本当か。嫁になってくれるのか」
「嫁ではないけど、ちゃんと仕えるわ」
千虎がたちはきの衣をつかんで下がらせた。
「がっつくな、見苦しい。てめえが上に立つわきゃねえだろ」
「俺がなったら、おまえは厩番に使ってやるわ」
言い返そうとしたが周りの男たちが言葉を重ね、この場にいない古参たちも考慮することになった。
「先についたか後についたかはもめる元だから、基本の判断はこの闘いの成果でいいわね。亡き夜烏の大頭のために、精一杯やり遂げましょう」
「「「「「「「「おうっ」」」」」」」」
空は微かに白ばんで、日の始まりを告げている。男たちは四方に散った。新たな野望を身の内に刻み込み、血潮を熱く煮えたぎらせている。
ただ一人、黒い水干の女は恐ろしいほど冷静に、馬を操り右京の方へ消えていった。
むしろにくるまれた弥生を見た三日月は声が出なかった。死体自体は見慣れている。だが、幼い頃から共に育った美しく優しいこの人の骸など、たとえ年老いたとしても見たくなかった。
「夜に河原にでも連れて行ってやって。燃やしたいなら油使ってもいいわよ」
裂かれた絹が更に細くばらされて糸になるほどの時間、三日月は黙っていた。夕月に表情はない。
「行かないよ」
三日月が少ししゃがれた声で言った。最近少しのどの調子がおかしい。
「どうして?」
「知ってるくせに。いいよ、言うよ。俺は弥生が好きだった。弟としてじゃなく、ずっと好きだった。だけどあの人はそんな目で見てくれないのはわかっていたから、ただ幸せになってほしかった。そんな姿を一目見たら、それだけでいいと思っていた。なのに姉さんは弥生をあいつらのとこへやった。それでもいいって弥生が言うから我慢したよ。だけどあんたはそれさえもほんとの目的じゃなくて、殺すためにあいつらにやったんだ」
夕月によく似た三日月の頬は濡れている。しかしその目は底冷えのする光を宿している。
「弥生は姉さんの”モノ”じゃない。でもそうとしか扱ってないじゃないか。あの人にひどいことした男は斬り殺したけど、それだって自分のモノを汚した男が気にくわなかっただけなんだろ! なのに弥生は、夕月がいなかったらそんな仕事をさせられてただろうし、もっとひどい目にあってたはずって感謝してたんだよ。俺に言わせりゃ、あんたがいなかったら誰かが弥生を嫁にしたさ。舟で身をひさいだって今よりマシだよ。絶対あの人を本気で好きになるヤツはいたよ!」
「言いたいことはそれだけ?」
「あるよ、いくらでも。弥生の死体を前にしてどんな顔してみせたの。嘘の涙? 大事な友を殺されても気丈にふるまう女頭の顔? 全部茶番だ! 姉さんは大嘘つきだよっ」
涙は頬に留まらずに滴り落ちた。彼はそれを拭こうともせず姉をにらみつけた。彼女の様子は変わらない。
「あんまり嘘ばかりついてるから弥生のことだってわからなくなったんだろ。あんたはあの人が恐くなったんだ。何を言っても恨まずに優しい弥生が理解できなくて、恐いから殺したんだ!」
「そう思いたければそれでいいわよ」
泣こうとわめこうと夕月の心には傷一つつけることはできない。三日月は急に冷めてきた。徒労だ。自分を慕う乳母子を殺してかえりみない鬼が、弟の叫びなど気に留めるわけがないのだ。
————ここを出よう
そう思うのと同時に後ろに飛んだ。案のじょう姉が小刀を振りかざして飛びかかったところだった。くるりと身を翻して近くにあった布袋だけをつかみ外に駆け出た。素早さだけは彼女より上だ。
「なにごとですかい」「三日月、どうした?」
出てきた海賊を肉の壁にし、凄まじい勢いで外に出た。通りを走り、挟間をかいくぐり、あてもないのに邸から離れた。
死体など弥生ではない。あの笑顔の彼女だけが本物だ。ひたすら自分にそう言い聞かせ、動けなくなるまで走り続けた。




