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神人の協力

 たちはきとの闘いの前に夜烏(よがらす)は手下の小家で夕月に会った。日も暮れかける頃で、灯台や油つき(油を入れる金属製の皿)などないので使い古した土器(かわらけ)灯心(とうしん)を置いて魚油を入れようとするその男を夕月は止めた。


「油は持ってきたわ」


 瓶子(へいじ)(平安とっくり)を取り出し木を削って作った蓋を外すと、上質な油をとろりと注いで土器の中を満たした。


「え、え、これ食えるやつっしょ、もったいなくないっすか?」


 土器は水気を吸うので少々マシな家では油入れには使わない。だがこの男は他に持ち合わせがなかった。

 夜烏は皿に指を突っ込んでぺろりとなめ「えごまだな」と不審げな顔をした。

 夕月はにこりともせずに「以前借りた分を返すわ」と告げた。


「ありゃ椿だったな。まああれも食えるっちゃ食えるが。こんな上物どうした」

「もらったわ」


 瓶子を手下に渡すと夕月は板間に敷かれたどこかで借りてきたらしい円座(わろうだ)の上に座った。すらりと伸びた背がなんとも艶で美しい。けれどうかつに触れそうな隙はない。夜烏はちらりと視線を流したがすぐに油に戻した。


「誰から」

「神に仕える者たちよ。いくらでも貢いでくれるそうだわ」


 どういうことだと尋ねると「(かんなぎ)が死んだのよ」と答えられた。


「添い伏す巫女と呼ばれた女で、彼らに言わせるとホンモノだったそうよ」


 刺し貫かれて野に捨てられた遺骸は獣に喰われることもなく、下級の神職が来るまで鹿や狐や狼やウサギが守るかのように寄り添っていたらしい。


神託(しんたく)(お告げ)があったそうよ。その女の居場所の」

「けっ、バカらしい。神も仏もあるもんか。あるなら殺したヤツらにさっさとバチでもあててやりゃいいじゃん」

「同感だわ。だけど彼らは信じているし、罰があてられない理由があるそうよ」


 夜烏は眉をしかめた。上質な油のせいで狭い小家の板間が妙に明るい。


「なんだよ、そりゃ」

「笑うわよ。巫がそれを望まないからですって」


 誰をも恨まず彼女は死んだ。死をもたらした相手さえも許して。死に際の祈りのために神罰を与えることができない。


「へっ、お優しいこって。じゃあさっさと悼んで葬ってなんならまつってやるだけだろ」

「彼らが言うには、それでも神は悲しんでいるそうよ。だから人が慰めるべきだと」

「どういうこった」



 夕月にあった男は白張(しらはり)雑色(ぞうしき)などの着る白衣の狩衣)ではなかった。目立たぬ色合いの水干(すいかん)を着ていた。


「神は嘆いていらっしゃる。しかし手を下すことはなさらないので人がそれを代わりましょう。手を貸してください。その証として表に出してはいないわれわれの名を明かします」


 男は自分たちのことを神人(じんにん)と名乗った。

 彼らは神社に仕え神事や雑事に関わる下級の神職や贄人(にえびと)(神や帝の贄に捧げる魚や鳥などの供物を用意する人)などの集まりだ。

 検非違使(けびいし)(平安警察)にも裁かれず、(みなと)()(とまり)でも舟を差し止められないなどの特権を持つため伊予の巌六がひそかに声をかけていた相手だが、俗事には関わらないと今までは気を動かすことはなかった。


 だが事情は変わった。添い伏す巫女の惨殺を受けて初めて彼らは動いた。巌六を通して夕月に接触してきた。


 神が告げなかったため巫を殺させた相手はわからない。だが摂関家の誰かであることは知っていた。


「彼女の仇を討つことができるのならどのような形でもかまいません。たとえば......都を火の海に沈めることさえ」


 まるで全てを知るかのように神人は口元を歪めたが、夕月は表情を出さなかった。ただ「上位の神官はどうなの」と尋ねた。神人はそこにいない人物に向けたらしいわずかな嘲りを見せた。


「神意がくみとれるほどの人物はわれわれと意を同じくしていますよ。だが上つ方に朝廷の犬が多いのは確かですね。そちらは適当にいなしておきます」


 身を省みずひたすら神に仕える一族はむしろ自分たち側なのだと彼は告げた。夕月はうかつに信じようとは思わなかったが手を組むことは承諾した。


「ありがたいことです。われわれは少数ではない、無数におります。別々に存在しているようで実はつながっているのです。たとえば私は都の裏鬼門に仕える神人ですが、ここは豊後(ぶんご)におわする神宮からの分霊によって生まれました。よってそちらとも固く結びついております。単体ではただの雑仕(ぞうし)(下仕え)程度にすぎない身でありながらできることは少なくありません。すぐにお役に立ちたいのですが、まずは油などいかがでしょう。いかほどでもご用立てできます」


 もともと彼らは灯明(とうみょう)の油のことをうけおっていたが、ある神官が『長木』と呼ばれる搾油機(さくゆき)を作り出して後は、特にその方面に強かった。

 それがあまりにかちりとはまることに、さしもの夕月も冷たい汗を感じたがそぶりにも見せず「せいぜい利用させてもらうわ」と男に答えた。「ご存分に」と彼は答え、人にまぎれるように山崎の地に戻っていった。



「で、そいつらに手を貸すのか」

「あんたが承知すればね」


 すでに都を燃したいと打ち明けられている。そのとき夜烏はひどく驚いたがニヤリと笑った。


「おい、まさかエサ場をなくして路頭に迷わせるつもりで言ってんじゃねえだろうな」

「まさか」と夕月は微かに口の端をあげた。

「表のやつらに利を与えるのもバカらしくなったのよ。ねえ、そっちもやってみない。あんたが上についてもいいし何か適当な傀儡(かいらい)を置いてもいいわ。海はつながったし後は重要な津さえ抑えてしまえば都は一度燃やしたって大したことないわ」


 夜烏は測るように女の顔を眺めた。切れ長の瞳は相変わらず読めない。素直に言葉に従ってやるつもりはないがかといって逆ばりしても、それこそが本当の狙いかもしれない。


「都なんて燃したら恨まれちまうわ」

「なんのために海賊と手を組んだのよ。米の輸送はもう私たちを通さなければできないわ。住む場の燃えた恨みはあいつらに、食わしてもらう恩はこちらがいただけばいい」

「気に入らねえな」


 夜烏は目を光らせ女の胸元をつかんだ。彼女はまじろぎもせずに視線を受け止めた。


「自分に利のない話をおまえが持ち出すとは思えねえ。何を企んでる。体に聞いてやろうか」


 夕月はその手に身を預けてくったりと力を抜きうなじを反らした。それは月のように弧を描き喰らいつきたいような色気が滲んだ。


「聞けば? 利はあるけど話は聞きたくないのでしょう。やるのも殺すのもご自由に」


 白い腕をだらりと投げ出したまま目さえ閉じた。つかまれて開いた胸もとには以前見た形のよい胸が息づく。ぬめるような白い膚だ。夜烏はこっそり息を呑んだ。


 ぞっとするほど美しい女だ。だが、造形よりも中にある焔が惹きつける。男の手と意思に自分をゆだねてけだるげに身を投げていても火は消えない。その熱は魂を灼くほど熱くも凍りつくほど冷たくも感じられる。「なんのつもりだ」と問えば口もとだけで少し笑った。


「理由はいろいろあるけれど、どうだっていいわ。私は都を焼きつくしたい。結局はそれが全てよ」


 女は目を見開いた。二つの鬼火がそこに輝く。人を殺して奪い取るほどの玉よりも妖しい色だ。


————世の中は全て無なんですよ


 柄になく、まだ幼さの残っていた頃に聞いた鬼菱(おにびし)の言葉など思い出した。そのことでさすがに気が冷えて女から手を離した。

 夕月は何ごともなかったように胸元を直すと座り直してまた夜烏を向いた。


「説明しろ」

「そうね。なら先に言っておくわ。私は左大臣の娘よ」


 さすがに夜烏が目を見開いた。夕月はさっさと自分の母親の里と身分を明かすと「十年以上前に出奔したけど覚えている人もいるでしょうよ」と裏を取ることを勧めた。


「そのお姫さんが、なんで海賊やってんだ?」


 どうにか気を取り直した夜烏が詰め寄ると「親のせいね」と短く答えた。


 必要な子の数を正妻で満たした左大臣は、二人の子を設けた召人(めしうど)(愛人)に執着を持たなかった。しかし女は評判の美女である。左大臣は有効活用を測り、籠絡すべき相手にその女を抱かせた。


 召人といえども元々はしかるべき身分のしかるべき姫である。その上並ならぬ美貌を誇り心酔する乳母子(めのとご)に日夜賞賛の限りを尽くされている女だ。その扱いに耐えられなかった。

 女は死を望み、それが叶わぬことを知ると海に跋扈(ばっこ)する海賊にさらわれる夢想を抱いた。左大臣の弟の大納言(現在内大臣)の妻が病の父を見舞おうとして災難にあった話を聞き及んだらしい。女は乳母子と子を連れ舟に乗った。


「で? おっかあの恨みをはらそうってか」

「なんの話。足を開くしか能のない女がそう使われたからって恨みを抱く筋合いじゃないでしょ」

「言うねえ、恐え恐え。恐えからまず利について聞くが、おまえらはどうしたいんだ」


 対等の取引相手を彼女は求めた。海賊はただ一部のならず者ではない。米を作るほどの田を持てず、上に締め付けられ奪われる海辺の民全てだ。日頃は漁や塩を焼いて暮らしている者どもも巌六の命には従う。


「都が栄えようが廃れようが知ったこっちゃないわ。どうしてもダメなら唐国とつなげばいい。もう外海のための船さえ持ってるのよ。むやみに貪ろうとも思わないけれど今までのように食い物にされるだけもごめんだわ」


 取りつくろった言葉だったら聞く気はなかっただろう。自分の利を隠して夜烏側の利をどんなに甘く囁いても狡猾なこの男は見破ったに違いない。が、夕月は海賊側の利を隠さなかった。


「あんたたちが都を手に入れるのならそれが一番いい。こっちは本気で手伝う。表をあんたたちの色で染めて、えらそうな顔をしたやつらをたたき落としてくれれば充分だわ。そのために必要なら私の立場を明かしてあんたの女になったっていいわ」


 ごくり、と今度は音を立てて夜烏は息を呑んだ。が、夕月は女を誇示することはなかったので彼はすぐに凄むことができた。


「ありがてえ話だが、俺たちでなくともいいってことだよな」

「仕方がなければ別口も考えるってだけだわ。唐国のやつらはあんたらほど信用できないし、こっちではあんたほどの男はそうそういないし。私はあんたをかってるわ。じゃなきゃたった一人の乳母子をまかせないわよ」


 紅色の小袿(こうちき)をまとったはかない面影が脳裏に浮かぶ。日々を暮らすうちに元々黒いというほどではなかった膚が京の水に洗われて、どんどん白くなってきている。


「まあ表を手に入れればいくらでも派手な女を持てるでしょうけど。着飾らせて堂々と連れ歩けばいいわ。子を生ませて頂きに据えるもよし」


 いつの間にか小袿を着た弥生の像がよく肥えた赤子を抱え、うつむいていた顔を上げて自分に微笑む。翳りのない明るい顔だ。

 夜烏は獣がうなるような低い声で「わかった」と告げた。



 その時の話はそれで終わったが、すぐに夕月の使いが主要な津で暴れるならず者について知らせてきた。そこの商人たちの気を惹く必要があったので、夜烏は手下を分けて対応させることにした。当日参加が難しかいことの代わりなのか、この日の打ち合わせにはまた夕月自身が来た。


「油の他に利点はあるのか」

「そいつらの船は止められないし関料もなし。あちこちの(やしろ)と付き合いがあるの。もちろん唐人の多い筥崎(はこざき)の津にも縁があるわ」


 神人に頼らなくとも海賊側も他国とのつてを持っている。越前(えちぜん)(福井)から若狭(わかさ)(福井南西部)、伯耆(ほうき)(鳥取)に至る道や肥前(ひぜん)(佐賀&長崎の一部)の藤津や蒲田津(かまたのつ)、あるいは陸奥(むつ)十三(とさ)(みなと)と名づけられた場所など色々な海の道筋があるが手は多ければ多いほどいい。


「手ェ貸してくれるのはありがてえが、その神さんとこの使いっぱ、心底わからん事情だな」


 腕を組んだままの夜烏は納得いかなそうに眉をひそめた。神や仏やあやかしは彼の道理の中にはない。板間の隅に小さくなっていた手下は拝む形に手を合わせたが、珍しく夕月は夜烏に大きくうなずき「同感だわ」と呟いた。



 山崎を落とした頃合いに淀津の首領も落ちていた。明烏(あけがらす)千虎(せんとら)の力押しで相手は長くは持ちこたえられなかった。その後難波津(なにわづ)もあっさり落ちた。この地は南都(奈良)が栄えた頃こそ一番の津だったが、淀川の土砂の堆積などで今は山崎や淀ほどの勢いはない。それがそのまま群盗の力に現れて、苦労することもなくこの地を手に入れることができた。

 夜烏一派と海賊たちは更に力をつけて、裏の世界を支配した。




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