見敵無謀
空は黄金の雲を抱きながらその日最後の光を放ち、しだいに紅の色を失って藤色を濃くしていった。
やがて藍の色が全て覆う。それが搗色(ほぼ黒に見える藍色)にまで色を深めた時、さしもの水運の要衝山崎の津も眠りについた。立ち並んだあまたの倉や商家も今は静かだ。荷を積んだ舟を引く牛馬も今はその身を休めている。
対岸の石清水八幡宮も心細い程の灯りを一つ残しただけで、仕える者も下がろうとしている。
ましてや山崎の奥にある荒れ野には灯り一つないはずだが、その夜は四方の立て明かしに人相の悪い男たちの影が照らされていた。
「で、俺たちにつく気はねえんだな」
夜烏の下につく男たちはふてぶてしい面構えの男らに、最後通牒を突きつけた。二十を超すが三十には満たない数の男たちが倍の数の男たちに囲まれている。
眉間や額に飾りのように向こう傷をつけた四十がらみの男が不敵に笑った。背こそ高くはないが、鍛えにきたえた鋼のような体だ。
「あたぼうよ。この司馬法のたちはきを知らねえな。祖先はなんと本物の帯刀(皇太子SP)だったんだぜ。ぽっと出のガキの下なんかにつけるかよ」
凄んでみせると名に合わず野生のケダモノのような闘気がにおう程に立ち上る。
「数は足りねえが手下になるよりゃ殺られた方がマシだ。おまえらもそうだな」
自分たちの頭を信じる男たちは意気軒昂に大声をあげた。それに混じって夜烏の手下の声が「司馬法ってなんだ」と聞こえた。たちはきは耳聡くそれを聞きつけて男たちを静まらせた。
「学のねえヤツらだな。唐国の兵法よ。どうせ闘いが始まったら俺が背中なんぞ見せるわけがないから今のうちに目ェかっぽじって見ておきやがれ」
さらされた広い背中を包む白っぽい衣の真ん中に、見敵無謀と書いてある。たちはきの手下は得意そうに「敵を見たら何も考えず全力で闘えって意味よ」と威張った。たちはき自身は表情は出さず渋くかまえている。
「いや、ちげーし」
夕月の代わりに参加していた海賊の一人が突然口をはさんだので、全員いっせいにその男を見た。たちはきも首をよじって見ているので男はわずかに怯んだが、すぐに気を取り直して言いつのった。
「うち、学者いるからなんかかっけー言葉もらうってコトがあるんだが、わかりやすいもん一つって頼んだらこれ書いてくれたんだけど、それ、敵を見て謀るなかれ、で敵にあってから作戦を考えるな、あらかじめ用意しとけって意味だぞ」
「え、本当か」
手下たちは焦ったが、さすがに頭は動じた様を見せず「海を渡れば意味も変わらあ」とうそぶいた。
だが士気はいくらか下がったのでこの間に打って出ようとしたその場の中頭の腕を誰かが引いた。
見れば、出陣の予定のなかった夜烏だ。かってに京からやって来て音も立てずに近づいていたらしい。彼は片手を軽く上げた。
「すまん。くさくさするからつい来ちまった」
「大人しくしといてくだせえよ」
「そう言うなよ。今度別口設けっから、やっぱ譲ってくんねえ? なんか面白そうじゃん、こいつ」
すかさずたちはきが表に向き直り相手の首領の顔を見た。聞いていた年頃より更に若く見えるが、面がまえに現れたふてぶてしい覇気と茶目っ気は気に入らないでもなかった。
「おまえが夜烏か」
「おうよ。たちはきの旦那、以後お見知りおきをってか。きへへへっ、やりそうな面じゃん。やるか?」
「その前に答えろ。なぜわしらのじゃまをする。競い合うならともかく盗みも奪いもせずに同業のじゃまだとは貴様、盗人の風上にも置けねえ男だな」
たちはきが詰め寄ると夜烏は「そういじめるない」とガシガシ頭をかいた。
「深い事情があんのよこっちにゃ」
「しったことか」
「ま、こっちにつけば教えてやらんでもねえ。来ねえか」
ふん、とたちはきは鼻で笑った。味方の少なさに不安を感じている様子はない。
「誰が。拳も交わさぬヤツの元に下れるわけがない。おまえだってそうだろ」
心底嬉しそうに夜烏が笑う。邪気のない子どものような顔だ。
「いいねえいいねえ、漢だねえ。おい、おまえら手を出すな。俺にやらせろや」
途端に手下が不満の声を上げる。この人数差なら簡単にしとめられるのに、よりにもよって頂点に立つ男が無謀な闘いをする意味が分からない。さんざん騒ぎ立てると彼も少し譲歩した。
「わかったわかった。じゃ十人。それならいいだろ」
それでも不満そうな手下に片手をひらひらさせてなだめる。しかし同時にとんでもないことを言い出した。
「おい。てめえらが勝ったら下についてやるからがんばりな」
仰天する一同に軽い調子で言いつのる。
「十人程度でバテてるようで頭張れるかよ。大丈夫、大丈夫」
「野郎ッ!」「なめてんのかこいつっ」
「三つの川で産湯をつかい八幡様にことほがれ、この大山崎のその土地にこの人ありとうたわれた、頭と言えば司馬法の、たちはきかついで幾とせか、喧嘩支度も板につき、身のなりわいも御厨の、贄かっさらいあれこれと......」
「そういうの、いいから」
敵側の長台詞を途中で止めると、夜烏は両の刀をひょいと両脇の男に渡し、堅そうな棒を持った男からそれを取り上げた。
「あー、これでいいわ」
「野郎ッ、なめんなっ!!」
憤った男が勢いのある一の太刀を打ち込むが、棒さえ使わずひょいと避け、片手でその背をすかさず押して地面に倒した。いっせいに殺気立った男たちに「今のは数に入れねえよ」と告げた。
「たちはきの旦那は後でいいわ。年寄りは体力温存しとけ」
一瞬たちはきは手下まで腰が引ける程の凶気を放ったが、すぐに抑えて凄みのある笑いを見せた。
「若造の気づかいありがとよ。言葉に甘えておまえのオトコがどれほどのもんか見せてもらおう。せいぜいあがいて死にっぷりを上げやがれ」
「きへへへへへっ、悪くねえな、くそジジイ」
笑った夜烏は棒を握った腕を上げた。
今宵は晦日で月もなく、うら寂しい荒れ野を立て明かしの乏しい灯りのみが照らしている。
山の雪も谷々の氷もとけそめて、川から離れたこの地さえ夜霧が微かに流れてくる。
静かだ。男たちは口を閉ざし、わずかな息づかいのみが静寂に響く。
「きやあああああーーーーっ!!」
沈黙に耐えられなくなった男の一人が突然飛びかかっていった。
夜烏は振り上げた腕をさっと下ろした。
頭部を打たれた男が倒れる。それと同時に左右から仕掛けた男二人には下げたままの棒がぐるりと回され、腹を打たれて転倒する。
三人ほどが飛びついた。だが地に水平に振られた棒の頭と尻でその二人は地に倒れ、一人はしたたか蹴り飛ばされた。
「一気に行くぜっ!!」
残りの五人がいっせいに夜烏に襲いかかった。みなぎる殺意が弾ける。
倒したい。殺したい。引き裂きたい。
が、稲妻のような速さで夜烏は飛び、その体を宙でしならせると三人を一息に打ちとばし残り二人の背に着地した。
ひどく踏まれて男の顔が地にめり込む。先に蹴られた男が果敢にも起き上がってかかってきたが、瞬時にもう一度蹴られて腹を出してのびた。
どっ、と夜烏の手下が沸く。たちはき側はぎりぎりと歯をかみしめた。
「あー、なんかいけそうだから残りみんなヤっていいか?」
夜烏が尋ねるとだいたいはやんやとはやし立てたが、何人かが大声をあげた。
「大頭ッ、頼む俺も使ってくれ!」
「ざけんなてめッ、ここはわしだろっ」
「俺俺ッ、俺だよっ」
急に火がついたかのようにいっせいに相方に志願する。夜烏は棒を自分の背にあて両手でもてあそびながら「えー、一人でやりてえんだけど」と渋ったが、一人が「そらいけませんぜ大頭」と諭した。
「相手の気持ちも考えてやってくだせえよお。たった一人に全員ヤられたってんじゃ後々生きてくのも辛いでしょ。ここは一つあっしに命じてくれればこいつらも、仕方がねえとあきらめもつきます」
「おまえ考えてるねえ。どうも俺は人の気持ちに無頓着すぎるわ。わかった。でも相方は明!......はいねえんだった。じゃ、やっぱおまえだろ」
中頭を指差すと得意そうな顔で立ち上がった。他の手下どもが失望の声を上げる。夜烏はたちはきに笑いかけた。
「じゃ、来いやたちはきの旦那」
「若造ッ! 後悔させてくれるわっ」
「そんなモン喰ったこたねえよ」
「これから喰らわせてやるわ」
「無理無理。おまえはこれから地べたに頭をこすりつけて『おまえの下に置いてくれ』って泣くんだぜ」
それ以上ものも言わずにたちはきが白刃をきらめかせる。棒で受け止めようとすると交わす瞬間相手は引いた。
残りの男たちも我先にと打ちかかってくる。
夜烏は男の本能に火を点ける。
こいつを倒して名をあげたい。
気に喰わねえそのニヤニヤ顔をたたき伏せてやりたい。
なんでもいい、ぶっ殺したい。
おとしめたい傷つけたい抗いたい闘いたい。
美女より強く男心をくすぐる。
負けた男たちは知っている。
この男の下につくことがどれだけの誇りをもたらすかを。
共に背を合わせて闘うことの幸福を。
役に立ちたい頼られたい従いたい崇めたい。
先にそれを知った男たちは口元を歪めてその名を叫ぶ。
夜烏! 夜烏! 夜烏の兄貴ッ! 大頭夜烏様ッ、と。
彼の動きは単線でもなければただの円でもない。中心を支点とした円形を期待するとたちまちいなされる。しなやかで流動的で読みにくい。
「くそっ!」
額から血を流した男が戦線離脱する。すでに座って観戦していた敵側の男たちが愛想よく手招きして、竹筒の水で傷を洗ってやる。
「ほい、酒だ。まあ飲みな」
「お疲れさん。サカナもあるぜ。ま、食いな」
「あ、こらてめえらかってに始めるなっ」
「大頭——っ、がんばってくだせーーよ!」
「おい海賊っ、俺の干物とっとけよ......うひゃっ」
間合いを詰めてきた男の一撃を危うい際で避け身を反らしたまま片足を腹に入れる。
当然のように別の男が仕掛けるが、片手を地に着き蹴った足を振り上げて車輪のように後ろに廻り、一瞬後には空中から相手の顔めがけて別の足で蹴りつけて、同時に運悪く近くにいた一人に棒をぶつける。
「終わったか。酒だ、酒!」
「待てこら、わしが残っとる!」
たちはきの叫びに面倒そうな顔すると、すい、と信じられないほどの速さでそのくせ静かに懐に入り込みそのまま顎に一発入れて彼を倒した。
トンでしまってぼやけたままのたちはきを起こすと「ジジイ、泣かんでいいからさっきの言えるな?」と尋ねると、さすがに一介の頭だった男だけあって見苦しくあがく様も見せず地面に額をこすりつけた。
「......おまえの下に置いてくれ」
「よっしゃあ! 山崎は落ちたぜーーーーっ!!」
夜烏側全員が大声でわめき勝利の雄叫びをあげると、たき火に薪をたして宴が始まった。
「淀は千虎と明が行ってるからもう落ちてるだろ」
「後は難波津を残すのみですね」
「咲くやこの花冬ごもり、っと。もちろんぱーーっと花開きますぜ」
「海賊たちは物知りだねい」
あたりが悪くてまだ目覚めない者もいるが死人は出なかったのでみな明るく酒を注ぎあっている。たちはきはまだ憮然とした顔だが酒や干物を勧められているうちにいくらか和んできた。みなも無礼講の楽しさで歌う者あり踊る者あり大変な騒ぎである。
はしゃぐ夜烏に一度だけ中頭がほんの少し不安を出した。彼はニヤリと笑って肩を叩いた。
「巫が殺されて怒ってるヤツらがいるわけだ。そいつらが手を貸してくれる」
「どういうこってすか」
「気にするな。いいから呑め呑め」
焔は高く上がり月のない夜を焦がすほどだ。夜風はわずかに甘くまだ咲かぬ花の予感に潤っている。
未だ闘いの余韻冷めぬ男たちは大いに笑い大いに呑んだ。酒と干物のにおいがあたりに漂い、寂しかった野はひとときだけ人を宿らせてにぎわった。




