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火を点ける女

 内大臣は寝殿(しんでん)御簾(みす)を女房に上げさせて娘の居場所に入り込んだ。

 内裏(だいり)でしばらく過ごし、久々に自邸に戻った領子は以前よりも無口になっている。

 不似合いな大役を押しつけられて萎縮していた彼女は最近開き直ったかのように態度を変えたが、父親に対する畏怖(いふ)の念が強すぎるためか目を合わせない。ところが今日は平然と視線を向ける。こしゃくな、ととがめたい気分だが予定された入内(じゅだい)前に気落ちされてもそれはそれで困る。敵の多い立場なのである程度の気概は必要だ。しかし、親である自分に従順であろうとしないのならしつけ直さなくてはならない。間違っても女院のように自分を圧する立場にしてはならない。

 そう決めて娘をにらんだが、目を伏せようとさえしない。血が頭に上るのを感じたが、言葉は穏やかに口の端に上った。


「最近は多少の成長があるようだな」

「亡き姉上の名を辱めないように努力はしています」


 ひた、と正面から見据える目はまるで内大臣が自分自身と対峙しているかのように鋭い。言葉通りなのだろうが、気の流れを矢に変えて射ち込んでくるようだ。


「いい心がけだ。いっそう精進するように」

「............はい」


 逆らうわけではない。むしろ状況は好転している。なのになんだか胸の動悸が少し速くなった。


————もしかして、女院に何か吹き込まれたのではないだろうか


 恩ある相手だが内心不満を抱えている。女などは後見を定めたら後は引っ込んでおれと言いたい。めんどりは玉子を産むことが仕事だ。ときの声を上げるのはおんどりにまかせておけばいい。


————だとしたら慎重にやらねば。あの方に何か言われても困る


 心底領子を見くびっているので、それ以上のことは思わなかった。まさか自分の罪が暴かれているとは考えない。ただ娘に仕える少将が最近里に戻っていることは思い出してそのことを彼女に尋ねた。


「あまりに態度が目に余るので里に戻らしています」


 大人しいと思っていた娘の答が意外すぎて、しばし耳を疑った。領子は真面目な顔でわずかに小首を傾げてこちらを見ている。その様はなかなか愛らしいが言っていることは可愛げがない。


「その判断はこちらでする。おまえは従っておればよい」

「お姉さまと較べられるのは荷が重すぎます。あんなに素敵な人には私、なれません!」


 瞳が潤み始め涙があふれる。内大臣はその様をただ不愉快だと思った。あの優れた姫を一番失いたくなかったのは自分だ。嘆くだけで先の苦労を知らぬものは楽だ、そう言ってやりたかったがどうにか思いとどまった。彼女以外に残された玉はない。


「あの水準は求めていない」そう告げると領子は安堵どころか傷つけられたような顔でうつむいた。女の考えはまるでわからぬ。が、わかる必要などない。内大臣はそう決め込む。


「まあ戻したものは仕方がない。そのままにしておいてやるから代わりにその分励むがよい」


 娘は黙って頭を下げた。その際に一瞬、刃で刺すように睨まれたと思ったのはその後の従順な返答からするとたぶん気のせいだ。

 内大臣は娘の顔を見ないようにして立ち上がり、その場を去った。父親が御簾の外に出て行くのを見送る領子の目はひどく冷えていた。



 弓の練習のために外出(そとで)していた明烏(あけがらす)は、日がくれて戻るや否や夜烏(よがらす)の小家に呼び出されて驚いた。

 まだ桜さえ咲かぬのに桃の花のように華やいだ色合いの桃染(つきぞめ)被衣(かづき)をかぶり、薄紅や萌黄(もえぎ)などを鮮やかに重ねた小袖姿の女が二人、扇を掲げてなまめかしくしなを作っている。弥生の姿はない。


「おう、来たか。ほら上がれ上がれ。遠慮するな」


 兄は機嫌よく彼を招き、女たちの間に座らせた。明烏はなんとなく居心地が悪かったが、いつもと変わらず無表情だ。


「このお姉さん方はただの遊び女じゃないんだぜ。(よし)ある男の落し種で、世が世なら貴いお姫さんだ。その証拠に歌は詠むわ琵琶(びわ)は弾くわでそりゃもう大したもんだ。普通なら会ってもらうに通いづめでなきゃ無理なんだが、女気のない弟を心配した兄心に免じてやって来てくれた。大事に扱わなきゃバチがあたるぜ」


 女たちは扇を外して顔を出し、艶めいた流し目を明烏にあてしなだれかかる。どちらも美しい女だ。きめの細かい肌を白粉で、ぼってりとした口元を紅で染めている。素顔のまま家事や仕事に明け暮れるその辺の女たちとは匂いから違う。両側からそそのかすように触れてくる彼女たちに明烏はわずかに眉をひそめた。


「なに辛気くせえ顔してんだよ。姫さん方に失礼だろ。ああ、とりあえず飲め飲め」


 女たちの酌で酒を飲むが少しも酔えない。明烏は子どもではない。遊び女の扱いも慣れていないわけではないが、口とは違い冷めた目で妙にはしゃぐ兄がどことなく恐かった。


「近所のやつらが眠れんだろう」

「小銭つかませてごあいさつしてるわ。一晩ぐらい平気、平気」


 普段遊びごとはよそですます男にしては珍しい。妙な気がしてますます酔えない。


「ああ、じゃどこの家でもやることやろうか。前金は払ってあんだ。残りは姫さんらのがんばり次第で、いくらでも増やすぜ」

「ちょ......」


 明烏の抗議は女たちの嬌声にかき消されてしまった。彼の衣の下に平気で手を伸ばす女たちを夜烏は酒を呑みながらにやにやと見ている。明烏が視線を向けるとおどけた様子で「さっき死ぬほどやってきたから今は無理」と笑った。


 きへへ、と声を立てるが席を外そうとはしない。冷えきったままのまなざしを明烏にあてている。


 同室で女を抱くことがなかったわけではない。まだ使いっ走りにすぎなかった頃は金もなく、安い女を共有したこともある。少しはマシになってからも「お得だから」という夜烏の言葉にのってそれぞれ別の女を同じ部屋で抱き、果てた後に取り替えたこともある。どちらが先に女の気をやるかを競ったことさえある。別に恥じる気持ちはない。


 二人の女にまといつかれて苦い思いで相手をしていると、ふいに板戸がきしみながら開いた。


「煮売り屋が今頃持ってきたわよ......え?」


 弥生(やよい)折敷(おしき)(盆)を取り落としそうになり、いったん強く握ると彼らのいる板間の端に置いて慌てて走り去ろうとした。それを夜烏が地を這うような低い声で止めた。


「弥生」


 彼女は戸口で振り返る。夜烏は顎をしゃくった。


「こっちへ来い」


 しばらく躊躇(ちゅうちょ)し、それでも逆らわずおずおずと板間に寄る。明烏は思わず遊び女を突き飛ばしそうになったが自分に向けられた夜烏の目を見て危うい所で留まった。


「なにやってんの。女外したら剥き身になっちまうだろ。素人の前で晒す気か?」


 軽口を叩きながら明烏の目を覗き込む。彼はただ驚いている風を装って少しの間見返したがすぐに目線を床に下ろした。

 遊び女たちは仕事にいそしむ。巧みな技能で失った熱を再び呼び戻す。いや、彼女たちは関係ない。動きもせず声も出せないもう一人の女が火を点ける。


「目を反らすな。ちゃんと見てやれよ」


 先程と同じ低い声が弥生にかけられるのを聞いて、明烏は思わず目を上げた。潤んだ瞳が自分を見ている。熱の(たかぶ)りを感じた。


 咳き込む女とすかさずすがりつくもう一人を無視して衣を取ると明烏は黙って身に着けた。夜烏も何も言わない。きっちりと身じまいをすると女たちに「金は明日、使いの者をやる」とだけ告げて立ち上がった。


 普段は身ぶりも言葉も多い夜烏はまだ黙っている。明烏は弥生の方を見ないようにして小家の戸を大きく開けて出て行った。


 弥生はへたへたと土間に座り込んだ。そちらの方にわずかに視線を向けると夜烏はようやく口を開き「お姉ちゃん方ご苦労さん」とねぎらった。


「だけどあいつには今ひとつだったみたいねー」


 言い訳をしようとする女たちを手を振って黙らせると「明日じゃなくて今日やるよ」といくらかつかませた。最初の想像よりは少なかったが声さえ荒げないこの男が恐くなって、女たちは不満を述べなかった。


「じゃ、悪いけど今夜はもう帰ってねー。ご近所に手下んとこがあるからそこまで行きゃ送るから」


 あらかじめ聞いていた場所なので確認もせず遊び女たちはさっさと立ち上がった。楽な仕事だったが気持ちはくすんでいる。挨拶もそこそこに小家を出て行った。


 人気が減って妙に静かだ。それでも弥生はまだ立ち上がれずに土間の冷たさを感じていると酒を飲んでいた夜烏がふいに自分の所へ来た。慌てて立とうとすると抱え上げ板間の奥まで連れて行き、信じられない程そっとそこに下ろした。


 

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