添い伏す巫女
邸の高欄の下にひれ伏す相手の顔を上げさせ、自分も隠そうとはせずに右大臣は不機嫌な顔で鬼菱に向かった。
「その色黒の男たちは見つけたのか」
「は。さすが内府殿は用心深く関わりを一切見せません。それどころかたまたま見かけて後をつけると伝えてきた手下は殺されました」
「なに、調べはついておらぬのか」
気色ばむ右大臣に鬼菱は静かに答える。
「申し訳ありませぬ。が、代わりに面白い話をつかみました」
「話せ」
「内府殿は十年ほど前から、添い伏す巫女と申す巫に通っておられると」
「何者だ、その女は」
「東国で名の知れた巫女だそうです。わざわざ都に呼び寄せております。予言はなかなかあたるそうです」
「添い伏すとは」
「占いを頼む相手の傍らに寝て神おろしをするようです」
「美女か」
「昔はそうであったのかもしれませんが、今は七十を越えております」
興をそがれた右大臣は顔をしかめた。が、そのまま尋ねる。
「信頼しているのだな、その者を」
「はい」
「なら殺せ。いや、会ってやってもよい。つれて来い。こちらになびくのなら仕えさせてやらんでもない」
「承知いたしました」
「男たちの探索も続けよ。内府の話は全て伝えよ」
「はっ」
うやうやしい辞儀に鬼菱は、軽侮のこもった視線を隠した。
「まったく今時の高貴なやつらときたら、貧乏人から奪うことしか考えていやがらねぇ」
弥生の膝に頭を乗せた夜烏が、その小家に入ってきた明烏に愚痴る。
「普通は逆だろ。慈悲の心で何か下さろうとは思わねえのかよ」
「施しは受けないのじゃなかったか」
「相手がどうしても受け取ってくださいと頼めば断らねーよ」
言いながら明烏の手に握られた文に目をやる。
「夕月からだ。先日の件は互いに遺恨をのこさないことにしようと言ってきている」
「へえへえっと」
「鬼菱については策を立てたが、よかったら使ってほしいと下手に出ている」
「どんな手だ」
明烏の説明を聞き眉をしかめる。
「判断に困るな。あの女が考えたのか」
「先生と呼ばれる学者らしい。都をよく知っている」
「ふぅむ」
少し考え込んだ。
「弓って手は打てねえから考えてみるか。とすると先にあそこに押し入らねぇとな」
「内部はその学者が詳しい。だが守りは並みじゃないだろう」
「と聞くと腕が鳴るねぇ。やってみるか」
急に身を起こしかけ、身体を戻し唸る。
「あったまいてえ。おい、弥生、水」
土器を渡そうとした女を叱る。
「ばか。こぼれるだろ、口移しだ」
途端に弥生は朱に染まり、傍らに投げてあった布を丸めて、ふいに抜いた自分の膝の代わりに枕として夜烏の頭の下に押し込むと、そのまま家から飛び出ていった。
残されて夜烏は驚く。
「なんでえ、あの女。明しかいねえのに」
「おれがいるからだろう。あれは商売女とは違う」
「そんなもんなのか。………わかんねぇな。素人女なんて初めてだし」
困惑した声でつぶやいた。
「実に面白い。予想以上です」
楽しそうに男は語る。
「正式な装束で現れたのも素晴らしい。そんな姿を見たこともない盗賊たちは圧倒されますね。そして言葉で男の矜持を刺激する。その上で自分の特性を生かして打って出る。勝ってなおかつ憎まれない。完璧です。もっとも、あなたは助けがこなくても困る人ではありませんけれどね」
「そうね。別に減るものじゃないし」
夕月はさらりと応える。学者は首を横に振った。
「ですが、あなたが無事で私はほっとしましたよ。人が増えた後に夜烏が立場を誇示することは想定していましたが、まさか千虎戦の直後とは思いませんでした。うかつでした」
「例の鬼菱という男の手下があいつを探っていることに気づいたらしいわ」
「彼もなかなか鈍くはないですね。まるで『尉繚子』でも読んだみたいです。けれど相手が悪すぎましたね。三日月ではないですが、あの姫様は調子を狂わす。思考がかなり読みにくい」
「どういうこと」
「たとえばあなたが何か仕掛けても私はたぶん気づきません。でも、後から検証すれば、何を狙ってどう動いたかわかります。同じように夜烏も読めます。けれどあの姫様にそれは不可能です」
ねずみに似た男は土器の中の水で口を湿して続けた。
「最初の装束についても策として着たのかもしれない。言葉も、故意に男たちを煽ったのかもしれない。しかし偶然だったのかもしれない」
口もとを緩めて夕月を見つめる。
「まったく何も考えずにあのように話を持っていったとも考えられるのです。そんなことはないでしょうが、もし敵に回ればなかなか恐ろしい相手ですよ」
読めない相手に対策は立て辛い。
「欲望や悪意は動かすことがたやすい。善意であってもそれが型にはまったものであれば道筋は読める。しかしあの姫様は予測不能の存在です」
夕月は否定せず、ほんのわずかに口もとを緩めた。けれどすぐに元の冷たい表情に戻った。
「それより、段取りは整ったの。夜烏は承知したわ」
「ええ。年が明けましたからね。七日には事を起こせます」
「そう」
「抜けが無いといいですが」
「先生の仕事は確実だわ。たとえば私の身元の件は完璧ね。亡くなった中将の忘れ形見として身内の者さえ認めたわ」
「あの方はなかなかの色好みでしたからね。探っても不審な点は出てきませんよ」
学者はそう言って再び水を含んだ。
「身元は全て調べなおしました。少しでも疵のあるものは控えさせ、姫の身近には寄せません。もともと親元の確かな者しか入れておりませんが、この度は特に気を配り、その父が兄上より私に従う者のみを傍に置いております」
「こちらも、下人までも調べた。素行の怪しいものは解任し、兄上に近いものは別邸に行かせた。今、特に不審な者はおらぬ」
内大臣はしたり顔で姉に言葉を重ねる。
「かなりの者がこちらの側についております。今更、あちらに寝返る者は多くはないでしょう」
「うむ。それは重畳。だが、別口から漏れたとは思わぬのか」
内大臣は困惑した顔で答える。
「たとえば、どのような筋から」
女院は真っ向から目を当てた。
「おまえが囲う巫女などはどうだ」
彼はわずかな動揺を見せたがその目を反らせる事はなかった。
「あの者は斯様な手を持ちませぬ。仕える者も私が選び抜いております。その上、この度の道筋などは伝えていませんでした」
「託宣(神によるお告げ)により見抜いたのではないか。もう長く置いているようだがなかなか当たるそうだな。おまえにそんな信心が会ったとは知らなんだ」
「忌みごとが続きさすがに気弱くなることがありまして……」
正妻が亡くなった後、人知れず呼んだその巫女は告げた。「女の呪い」だと。
彼には思うところがあった。若年の時に愛した女は、自らの子を孕んだまま船に乗り海賊のものとなった。彼は探さなかった。自分を置いて父のもとに駆けつけようとした女が憎かった。これほど想っても身内のほうが大事かと恨んだ。
見捨てた女はすでに死んでいる、とその巫女は言った。そしてその呪いは未だ続いていると。女の呪いは女に降りかかる。おまえが大事に思う女は全て失われるだろうと。
以前の彼なら一言で切り捨てただろう。戯言だと。しかしそうは出来なかった。正妻は死に、通っていた別の女も死んだ。その女は女児を産み落として息絶えた。生まれた子も長くは生きなかった。先に生まれた脇腹の男児は今も健やかだ。
彼は巫女にすがった。何とか呪いから逃れるすべはないかと。巫女は答えた。逃れられぬと。
「………だが、たった一人だけは命を救うことが出来るかも知れぬと申しました。ひどく危ういことだがと」
巫女はそれから長い年月を救えるものを救うための祈りに費やした。
「それが二の姫か」
「今はそう思いますが大姫が病を得るまでわかりませんでした。娘二人共に逃れられるのではないかと思ったのですが」
そうはならなかった。内大臣はうつむいた。その肩にわずかな震えが走るのを女院は黙って見守った。