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盗賊たちの宴

 死の穢れに触れたことで物忌みを命じられている。せっかく自邸よりも雅やかな女院の御所にいるのに、西の対に足止めされて動けない。

 ここを先途と女房たちは領子に和歌三昧の日常を送らせる。女院に仕える者たちは忌が明けるまではとあまり近づかない。


「それでは今宵はここまでに」


 侍従(じじゅう)の言葉に安堵して少し息を吐く。女房たちが髪を梳き、寝支度を整えてくれる。それを黙って受けながら、 領子は御帳台(みちょうだい)の中で考える。刻限と道すじを漏らしたのは誰かと。


――――いっしょに乗っていた弁のおもとではないわ


 あの脅え様はことを知ったものの様子ではなかった。


――――だとすると身内の法事であの場にいなかった侍従?


 権高な顔を思い浮かべる。確かに領子をひどく侮っている。しかしその父には誰よりも忠実だ。どの女房より怖いが諸事の指導は適切で真摯だ。そして当日の法事は早くから皆に知られていた。


――――あの人だとは思えない。苦手だけど、たしなみを必死に教えようとしているし


 更に考える。道筋を知っていた者は少ない。


――――少将だったらわかるわ。あの人は私を傷つけることを楽しんでいる。そこが侍従とは違う。だけど、母である弁のおもとがいる時に狙わせるかしら


 しかし知るはずの者は他にはいない。思考をあきらめようとした時に一つの名前が思い浮かんだ。


――――日向(ひゅうが)は知っていたわ


 慌てて打ち消そうとするがその名は消えない。危険に陥った時、いつも彼女はその場にはいない。

 疑いを捨てようとするとそれは急に大きくなる。自分に騒ぎのあった当日の夕暮れに身をやつした使者が日向を訪れたこと幾人かの女房が話していたことを思い出す。


「想い人かしら。若いのにお安くないわねぇ」

「そんな感じじゃなかったけど。私ならあんなみすぼらしい老人に恋文託されたら断るわ」

「身内の人の使いなら見慣れているけれど、あの人は初めてよ」


 見慣れぬ使いが女房のもとを訪れることはよくある。日向が新参者だからいくらか目を引いただけだ。話していた者たちもすぐに別の話題に移った。


 胸が苦しい。気持ちが乱れる。領子は胸に手を当ててしばし痛みに耐えた。


――――だけど、もしそうだとしたら私は日向を嫌いになれる?


 気兼ねなく笑った懐かしい日々。立場が変わってもいつもかばってくれた。もし、漏らしたのが彼女なら余程の事情があるのだと思う。


――――きっと違うわ。それに、もしそうだとしても私は日向を恨まない


 そのことで辛い羽目に陥ったとしても。そう決意して目を閉じた。



 眠りの底に落ちかけたとき、誰かの手がしきりに彼女を揺さぶる。ぼんやりと目を開くと女房姿の一人がそこにいる。


「……夕月?」

「違うよ。おれだよ」

 三日月の声だ。


「姉さんの身代わりなんだ」

「そう。果物でも食べる?」

「それどころじゃないよ! 大変なんだ!」


 驚いて目を見張る領子に三日月は勢い込んだ。


「姉さんは自分の手の内を全部は見せない。だけど今回は数が圧倒的に足りないからと懇願されて仲間をみんな出せって言われてた。でもどうにかごまかして一人は隠しておいた。そいつが知らせに来たんだ!」

「話がわからないわ。順を追って説明して」


 三日月が必死に状況を説明する。よくはわからないが夕月がひどく危ないことだけは理解した。


「今から先生のとこに行っても間に合わないし、巌六だって遠すぎるし、どうしよう、どうすればいい?」


 必死になっている三日月に領子は告げた。


「私が行くわ」



 最初の荒野から少し奥に入り、林めいた場所に来た。灯りも一つしか灯さない。その火影は木に縛り付けられた夕月を照らし出す。


「なかなか拝めない姿だな」

 夜烏(よがらす)がにやにやと笑う。


「河原の夜烏は一度定めた約定を破る男ではないと聞いていたけれど、買いかぶりすぎたかしら」


 他の海賊もそれぞれ木に縛り付けられているが、夕月に脅えの色はない。視線を反らさず言葉を投げる。夜烏は口を更に歪めた。


「そのとおりだぜ、夕月。俺は約定を違えない。破ったのはおまえの方だ」

 射るような女の瞳から男も逃げない。


鬼菱(おにびし)に手を出すのは後だ、と伝えたはずだよな。聞いてないとは言わせねぇぜ。きっちり文の返事があった。ま、俺は読めねえけどよ、明のやつがちゃんと証拠に持ってるぜ」

「……………」

「おまけに弓まで使いやがって。その手で行こうと思っていたのによ。あいつらは貧乏所帯のこちらと違って、その気になりゃあなんだって用意できる。今頃盾でもそろえてるぜ」


 月は未だ出ない。雪はすでに降りやんでいるが木々の梢にまだ宿っている。

 夕月は無表情に尋ねた。


「殺すの?」

「いや、それはつまんねぇしな」


 ぐるりと視線を巡らし海賊たちを眺める。どの男も動揺を見せてはいない。


「せっかくここまでたどり着いたのにお別れするのは残念だ。出来れば最後まで付き合ってほしいねぇ」

 指先で女の顔の線をなぞる。


「だからあんた一人が耐えればチャラにしてやるよ。頭なんだから当然だわな」

 口々に止めようとする海賊たちを盗賊たちが黙らせる。


「てめぇらのことはけっこう気に入ってるわけよ。命は惜しまねぇし、湿っぽくもない。腕もいい。それにこの女が何であれ従うって決めてるんだろ。少々傷がついた程度じゃ揺るがねぇよな」


 夜烏は女の胸もとに手をやると無造作にそこを押し広げた。形のいい胸がこぼれる。男たちは息を呑んだ。


「楽しませてもらうぜ、夕月」



 夕月の顔色はやはり変わらない。嬲るような言葉にも反応を見せない。むしろ手下たちのほうが青ざめている。

 夜通し楽しむつもりの夜烏は、焦らすように女の体を撫で回している。


「少しは怖がってくれたほうが盛り上がるんだがな。どうもあんたは周りに対する気遣いが足りねえな………ん?」


 手を離して夜烏はいぶかしむ。馬の足音だ。

 さっと身構えるがその数は少ない。それでも気を抜かずに音のする方を見つめる。手下どももそちらに顔を向けた。

 現れたのはわずか二騎。しかし男たち全てが驚愕した。片方の馬には美々しい装束を身にまとった愛らしい姫君が騎乗している。


「今晩は、盗賊の皆さん」

「も、物の怪?」

「違うわ。海賊さんたちの友達よ」


 そういって弓懸(ゆがけ)めいたものを外すと白い指先が現れる。紅梅がさねの衣に映えて輝くようだ。足元は(はかま)をくくり上げ、ほんのわずかにくるぶしが見える。


 案内に従った海賊の一人はうやうやしく領子が馬から下りるのを手伝う。他の男たちは声もなく彼女を見守る。姫君らしいおっとりとした様子で静かに歩む彼女を誰も止めようとはしない。


 そのまま夕月の前に立つと、その指先を伸ばして胸もとを直した。

 微笑む領子に彼女は表情を見せない。けれどその傍らの夜烏は、どうにかおのれを取り戻した。


「盗賊たちの宴にようこそ」

 太刀を領子に突きつける。


「獲物が二匹に増えたわけだ」

 領子に脅えた様子はない。小首をかしげて夜烏を見ると気の毒そうに言った。


「やっぱり海賊さんより盗賊さんのほうが暮らしが大変なのね」

 どういうことだと手下どもが見つめる。


「海賊さんたちはご馳走してくれたけれど、盗賊さんたちはそんな余裕はないのね。気にしないで。催促しているわけじゃないの」


 手下たちの顔が微妙に曇る。海賊たちは笑いを浮かべた。


「勝手にやってきた獲物に餌をやるいわれはねぇぜ」

「幼い時に盗賊は物乞いと違って、施されることを喜ばないと聞いたけれど違うの?」


 不思議そうに尋ねる彼女にぐっと詰まる。耐えかねた手下が声を上げた。


「そのとおりだぜ!」

「頭! なんかその姫さんをもてなしてやって下せえ! このままじゃ夜烏一派の名がすたる!」

「どっちが上か思い知らせてやる!」


 口々に叫ぶ手下どもに夜烏は顔をしかめ、領子に尋ねた。


「おまえは施しを喜ぶのか?」

「もちろんよ。海賊さんたちのお魚はすごく美味しかったわ」


 勝ち目はないと、盗賊たちは気落ちした顔をする。が、一人が聞いた。


「魚じゃなくてもかまわねえのか?」

「ええ。だけど一方的にもらうばかりじゃ申し訳ないから……」


 にっこりと微笑む姫君は男たちの毒気を抜くほど可愛らしい。領子は盗賊たちを一渡り眺めると夜烏に視線を戻して言った。


「だから、私と勝負して」


 男たちは呆然と口を開けた。

 最初に気を取り直したのはやはり夜烏だ。鼻で笑う。


「何の勝負だ。姫様らしく和歌でも詠むのか」

「そんなの、私が負けるに決まってるわ。絶対に嫌よ」


 夜烏の目が丸くなる。盗賊たちが語りあう。


「太刀が使えるってわけでもなさそうだな」

「琴弾いたりするのか?」「頭は無理だろ。指が足りねえ」

「碁か双六か」「道具がねえぞ」

「面倒くせえ。おい、姫さん、何の勝負だ」


 彼女は答えた。


「お酒の呑みくらべでいい?」

 途端に彼らは大笑いする。


「言うに事欠いて……うちの頭はざるだぜ、ざる」

「綺麗なべべ着たお姫さん、酒呑んだことあるのかい」

「ええ。あるわ」

 夜烏がねめつける。


「面白ぇ。おい、残りの酒持ってこい。それから誰かそこの馬借りて隠してあるとっときの酒を取ってこい。で、お姫さん、何を質にする?」

「私自身」


 さらりと彼女は答えた。


「だからあなたは夕月と海賊さんたちを賭けてね」

「承知。俺は多少呑んでいるが、その程度の差は無しにしといてやるぜ」

「ありがとう」


 夕月の足もとに腰を下ろす。


「でも、負けたときの言い訳にしないでね」

 声をたてて夜烏は笑った。



 いつの間にか月は昇った。その光に照らされて木に突き刺した太刀が光る。それにとめられているのは手下二人の白い衣だ。その布に消し炭で正の字がそれぞれ書かれている。


 海賊が二人木から離されている。一人は夜烏の横に立って酒を数え、もう一人が衣にそれを書いている。領子の分は盗賊が受け持つ。


「姫さん十一杯」「夜烏の旦那も十一杯」

「つまみがほしくなるな。口が甘くなった」


 夜烏がこぼすと領子が袖から紅絹(もみ)の袋を取り出した。


「そういえば蓮の実を持っていたわ。どうぞ。私もいただくわ」

「炙った干物がほしいとこだが仕方ねぇ」

「持ってますぜ」


 縛られた海賊の一人が口を挟んだ。盗賊が呆れる。


「おまえは干物持って闘いに来るのか」

「闘いの後は酒でしょうが。出す間のないうちに騒ぎになっちまったけど」

「おい、そいつ解いてやれ。おまえ、その干物を炙れ」

「へえ」


 夜烏は十二杯目を口にした。すかさず領子も続いた。二人は蓮の実と干物を肴に酒を呑んだ。

 別の酒を取りに行った男たちが戻ってきた。新たな酒が土器に注がれる。


「旦那、十八杯目」

「姫さん………おお、ここまでっすか?」


 一口含んで止まった領子に男たちはどよめいた。だが彼女は首を横に振った。


「違うわ。このお酒、凄く美味しい。味わって呑みたいの」

 やや呂律の怪しい口調で夜烏が応える。


「そらぁ、そうだ。こいつは鬼菱をやった時に呑もうと取っておいたのに………畜生」

「私は得したわ。もう少し多めについで」


 幸せそうな顔で催促する。目元がやや艶めいているが声にも様子にも乱れはない。

 二十七杯目で夜烏はついに土器を手放した。手下たちが声をかけても動かない。領子は更に口に運ぶ。


「姫さん二十八杯。頭は……起きねぇな。仕方ねえ、姫さんの勝ちだ!」

 海賊たちが歓声を上げる。明烏の指示で、彼らは全て解かれた。



「またな、姫さん」

「今度はゆっくり呑もうぜ」


 盗賊たちが手を振る。領子も振り返した。

 東の空はわずかに白み始めている。夕月の後ろで馬に揺られると冷えた空気が心地よい。自分が寒がりだったことを忘れてしまいそうになる。


「ねぇ、領子」

 手綱を握った夕月が囁いた。


「なぁに」

「前言を撤回するわ」

「?」

「あなたって少し馬鹿ね」


 得意そうに領子は微笑む。


「自分でもそう思うわ」


 暁は近い。夕月は馬の速度を上げた。


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