無常の鬼菱
死人注意
闘争による身体欠損あり
壁など残らぬ陋屋(ボロ家)の中、砕けた鋼の欠片が顔をかすめた。
闇雲に突きかかる男の太刀を避けて夜烏はひょい、と身を移した。
相手が体勢を整えなおす前に左手に持った太刀を無造作に振るった。三本の指しか残らぬ手ではあるがその勢いは激しく、男は咽喉から血を吹いて倒れた。
それを見て駆け寄る男がいたが右手にも持った太刀で胴をなぎ払う。背後から襲う相手は明烏が倒した。
この夜は夕月の姿はない。が、海賊たちは充分にその覇気を見せつけていた。あっという間に対する相手の数は減っていく。
頭らしい男はなかなか手強かった。けれど守りが薄くなり傍に隙を作った瞬間、夜烏が飛んだ。
獲物を狙う鳥の一閃。鴉よりむしろ鷹のようだと目にした手下は思った。
「おまえらの頭は取られたぜえぇぇっ!」
猛る声が叫ぶ。夜烏はにやにやと動揺する男たちを眺めた。
「………続けるか?」
奇声をあげながら一人が突きかかって来た。それを軽く避けた夜烏は太刀を振り下ろした。血しぶきとともに腕が飛ぶ。
膝をついて泣き声をあげる男を蹴り飛ばすと、左の太刀を床に投げ、その腕を拾って高く掲げた。
「選ばしてやる。死ぬか、こうなるか、それとも俺につくかだ」
息を呑んで静止した男たちに夜烏の手下たちが口々に声をかける。
「名の売れた盗賊はけっこういるがうちのお頭にかなうやつはいねぇ」
「死にかけたじじいについてもいいこたぁないぜ。最も若く最も強い男について来いや」
「従う男も都育ちばかりじゃねえんだぜ。頭の腕にほれ込んだやつらは千里の道も気にしねえ。ほれ、こいつらの色を見ろよ。ここらの生っ白い野郎どもとは違うぜ」
「公卿の袍を分捕って、内裏の酒をかっぱらい、役人どもさえ飯の種。それが河原の夜烏さまよ」
「敵に対しては鬼より怖いが情がないわけでもないんだぜ」
「こないだの獲物はなんと宮さまだ。脅えて哀れなガキだったんで、逆に衣を一枚恵んでやった。嘘だと思うのなら聞いてみな。宮さまは否定はしねえはずだ」
頭を失った盗賊たちはその言葉に反応した。
「その噂は聞いたことがある。本当か。ただの与太じゃねえのか」
「神も仏も信じねえがこの三本の指にかけて誓ってやらあ。まじりっけなしのほんとのこった」
夜烏は男たちを睨め付けた。その鋭い眼光に、敵対していた盗賊たちは身を震わせる。
「で、どうする?つくのか、つかねぇのか」
太刀や棒の切っ先が自然と下に落ちていく。年配の男が床にその太刀を投げた。
「…………あんたにつく。好きに使ってくれ」
それを契機に次々と男たちが握った太刀や棒を投げ、恭順の色を露わにした。夜烏は口の端を歪めた。
「命拾いしたな、おめえら」
すでに相手を仲間と認めた手下の一人が声をかけた。が、それにかぶせるように静かな声が外から、闇を隔てて響き渡った。
「さすがですね、河原の夜烏」
手下たちは身構えた。明烏はさっと声に対した。けれど夜烏は慌てる様子もなく声に向かって握った片手を振った。
「……よう、鬼菱。久しぶりだな」
遠くで一つだけ燃える篝火に七人ほどの男の影が映える。そのうち一つはすらりとした長身で自然と人目を集める。
「随分と羽振りがよさそうですね」
「そっちにはなかなかかなわねぇな。大物掴んだようじゃねぇか」
視線を長身の男に向けると声はわずかに苦笑した。
「いっぱしの盗賊としてふるまっても性格は変わりませんね」
「わりぃな。その美声、つい別のやつかと思っちまうんでね」
長身の横に立つ四角を重ねたような壮年の男が声の主だ。罰当たりにも僧形姿である。巷を騒がす群盗の頭で最近急に力をつけている。
「また人数を増やしましたね。怖い怖い」
けっ、と夜烏は唾を吐いた。
「おめえに言われる筋合いじゃねえな。そっちこそ増えてるって話を聞くぜ」
「まぁ、以前よりは多いでしょうよ。なんならここで試しますか?」
夜烏は目を眇めた。目に付く男の数には勝るが、いくらか離れて人を置いているのかもしれない。それにこちらは一戦片付けた後で普段よりは膂力に欠ける。
「どうしても、というんなら付き合ってやらんでもないがな、一晩に二度やりたくなるほどの魅力はかんじねぇな。安っぽい淫売みたいでさ」
挑発にのらずにその男、鬼菱は矛先を納めた。
「物の価値がわからないのは残念ですね。その育ちでは仕方がないことでしょうが」
「きへへへへへっ。違いない。その節は世話にはなったな」
「別に恩義は感じていただかなくてけっこうです」
「ったりめーよ。指二本の釣りがほしいぜ」
「今更な話じゃないですか。あなただって今まで切った人の数など覚えていないでしょう。それにその頃の私の立場じゃそんなものですよ」
「出世したもんだな。後足で砂かけておん出た甲斐があってめでてーよ」
「残って頭の首を取るよりは穏当な生き方だと思いますが」
夜烏は陰惨な笑みを浮かべた。
「徐々に落ちるより本望だろうよ」
鬼菱は再び苦笑した。
「今宵はこれで失礼します。またお目にかかることを楽しみにしておきますよ」
凍りつくような夜風の中男たちは去った。見送ろうともせず夜烏は再び床に唾を吐き、握っていた腕を投げ捨てた。
二条にある左大臣の邸は深夜ではあるが華やいでいる。
やがて、寅の刻(午前四時頃)になった。立后した中宮の供の殿上人が数多く集まり、ことに美麗な廂を持つ黄金造りの青糸毛の車(超高級車。ごく限られた身分の人しか乗れない)に寄り添う。女房たちの乗った牛車も多数つき従う。
長い行列の後方にうんざりとした面持ちの大納言の姿がある。その威勢を見せ付けるためにわざわざ騎馬姿で従うようにと左大臣の厳命があった。意地を通して避けることが出来ないわけでもないが、領子の入内の際の妨害を考えるとここは譲歩すべきである。歯噛みして耐えているうちに、さしもの長い列がゆるゆると動き出した。
牛車に慣れている身には久々の乗馬だ。ぐずぐずと横で構えていたが従者に促されて仕方なく鞍に手をかけた。手伝われて乗り上がり、腰を下ろす。その瞬間だった。
突然、馬は今まで聞いた事もないいななきををあげて暴れだした。驚いた大納言は馬の首にしがみついた。
逃げ惑う人々の中、大納言の乗った馬は何かに取り付かれたかのように荒れ狂い、集った人々をその蹄に掛け、泡を吹きながら速度を上げて走りまわり、よりにもよって青糸毛の車にぶつかって倒れた。
大納言は徒歩で従う男たちの群れの上に投げ出されたせいで怪我はなかった。ただ、あまりに無様なその姿に幾人かは失笑を隠しきれなかった。
「う、馬はどうしたのだ。帝から拝領した名馬のはずだが」
随身(朝廷派遣の平安SP)たちが、倒れてなお身を震わす馬に近寄り検分した。そのうち一人が高価な唐鞍を外してみると鶏の卵ほどの大きさのものがいくつか馬の背に突き刺さっている。
「なんだ、これは?」
再び暴れようとする馬を下人たちに抑えさせてそれを抜くと、棘のあるひしゃげた球体で、鉄で作られている。
「人が乗ると重みで刺さるようにしてあったのだろうか」
「菱に似ていますな」
集まった随身たちはもの珍しいその武具をしげしげと眺めた。助け起こされた大納言は首を振って気を取り直した。
「中宮さまは?」
控えた従者がそれに答える。
「お怪我もなくご無事でいらっしゃいます。が、脅えておられるようなので身近な者どもがお慰めしております」
遅れて参内するはずの左大臣までが現れ、女御を守って邸に移す。この日のために用意された美々しい車は見る影もなく果てた。
「……不吉な」
殿上人の一人が小声でつぶやいた。
「延期になるのでしょうか」
従者の一人の囁きは、再び現れて差配する左大臣の声によって断たれた。
「半刻の後に内裏に向かう。それまでその場で待つように」
大納言は憤然と車宿り(平安ガレージ)に向かった。途中で気づいた左大臣が呼び止める。それを拒否して言葉だけを返した。
「どうやら頭を打ったようです。大そう心残りですがこの状態では差し障りがあるのでいったん戻らせていただきます」
「ならば馬をやめて牛車で供せよ」
「いえ、とても耐えられそうにありません。このまま倒れてまた騒がすことも本意ではないので本日は下がらせていただきます。もちろん後にお祝いに伺います」
左大臣の目が鋭く光った。睨み返したい気持ちを抑えて大納言は丁寧に頭を下げ、白砂を踏んで場を辞した。
「見事だ。さすがは無常の鬼菱。思う以上の手柄を立てた」
右大臣は上機嫌で几帳を越えぬばかりに端近に寄る。自邸の東の対の廂である。対する僧形の盗賊は白砂の上に控えるが、人を介さず直答を許されている。
「晴れの儀式を陰らせる程度しか出来ぬ難題をよくぞここまで見事に仕上げた。天晴れである」
「中宮さまの御車を壊すことまでは予定の範囲ではありませんでしたが」
「いいのだ。実に爽快だ。負傷されては何かと詮議が厄介だったはずだがその様子もなくかえって喜ばしい。忌みごとを認めては后に傷がつくので左府(左大臣)も無かったことにする他はない」
機嫌よく褒美の品を口のきけない下人を通じて渡した。
「まこと野におくには惜しい男よ。わしが位置を改めた暁には手元に使うことを約しよう」
鬼菱は首を横に振った。
「いえ、我らはしょせん小悪党。殿のお名を汚すことになりかねません。今までどおり高貴の方にふさわしくない仕事を片付けるほうが性に合っています。これからも同じようにお使い下さい。そのためでしたらもちろん中宮さまに降りていただくことさえ厭いません」
人払いは済ませてあったが右大臣は思わず辺りを見回した。それから動揺を咳払いでごまかし、ひそめた声でそれを留めた。
「ならばそのように計らおう。だが、中宮には手を出さずともよい」
「時期尚早となされますか」
「いや。あの女は孕むことはないであろう。もはや脅威にはならぬ。それよりも大納言とその娘のほうが厄介だ。中宮が消えればすぐに堂々とやつらが乗り込んでくる。しばらくそれを抑えるためにあの女は価値があるのだ」
「さすがは右府(右大臣)さま。下々の者の脳裏には浮かびもせぬ思慮をお持ちでいらっしゃる。この鬼菱、感じ入りました」
追従の言葉に右大臣は胸を反らした。
「それを解することが出来るとは盗人ながら見上げたやつ。並みの群盗ならぬ逸材と見て間違いではなかった。盗賊全てを憎んだ時もあったが、今はそれを許すことの出来た自分を称賛すべきと考えておる」
それから更に声を潜めた。
「つまるところわしはわが判断を信じておる。それが一見どんなに非情な色を帯びようとも、世の流れを正すためにはいたし方がない」
鬼菱は口もとを緩めた。
「ということは現状をそのまま運ぶためには消えていただかなければならない方がいらっしゃいますな」
「そのとおりだ」
「念のためお聞きしますが、傷つけるだけの意味ではないのですね」
右大臣はきっぱりと頷いた。
「少々の難があろうとも左大臣と大納言の二人が手を組んだならその事実は無かったことにされるに違いない。殺れ。あの姫を」
別人のような凄みに押されるように、鬼菱はただ頭を下げた。