其ノ六 ~迷走~
夜九時を回る頃、旅館内は騒然としていた。
広間に多くの教員や旅館の関係者が集まって何かを話しており、側には数十人程の生徒達が野次馬を作っている。
「何だろ……?」
騒ぎを聞きつけた世莉樺は部屋から出てその場に向かい、人混みを掻き分けるようにして進む。教員に話を聞こうと思ったが、その前に生徒達の中に見知った顔を見つけた。
「あ、世莉樺!」
世莉樺が声を掛けるよりも早く、朱美が言う。朱美の側には日和の姿もあった。
「どうしたの朱美、これ何の騒ぎ?」
喧騒ざわめく中、朱美に歩み寄ると同時に世莉樺は尋ねた。
「それが世莉樺……柚葉が、戻って来てないそうなの」
朱美の言葉に、世莉樺は驚きを隠せない。
「えっ……?」
世莉樺が驚きの言葉を発すると、補足するように日和が言った。
「柚葉、さっき飛び出して行ったきり帰ってなくて、携帯鳴らしても出ないんだって。もう大騒ぎだよ」
世莉樺は辺りを見回す。
教員の数人が生徒達に柚葉の行き先に関して心当たりが無いかを尋ね、他の教員が焦燥に駆られた様子で、旅館の関係者に何かを言っている。
(……まさか)
心当たりがあると同時に、世莉樺の心に言いようのない不安が湧き出る。
柚葉が飛び出したのは、宗谷に一喝された事が理由だ。そこから元を辿っていけば、宗谷が柚葉を怒鳴ったのは世莉樺が柚葉と喧嘩をしたから。
しかしあれは、明らかに世莉樺に原因がある喧嘩では無く、どう考えようとも原因は柚葉にある。だが世莉樺には、それで自分に何の関係も無い事であるとは思えなかった。
自分の所為で柚葉は乱心し、失踪した。考え方を変えれば、そうも思えたからだ。
ブレザーのポケットから携帯電話を取り出し、時間を確認する。柚葉が飛び出して行ってから、恐らく一時間半は経過している。
――何かが、あったんだ。そう思わざるをえなかった。
「大丈夫だよ世莉樺、世莉樺には何の責任も無いんだから……」
考え込んでいる世莉樺の顔を見て、朱美が声を掛けてくれる。しかし、自らを慮る言葉も、世莉樺には耳に入らない。世莉樺の思考は、柚葉の身の事で埋め尽くされていたのだから。
(柚葉にもしもの事があったら、私の所為かも知れない)
その時、教員と旅館関係者の会話が世莉樺の耳に入る。
「探しに行かなくては……生徒にもしもの事があれば、責任問題になります!」
そう言ったのは、教員の男性だ。
「分かりました。しかしもう暗いし、この辺りは入り組んでいる。我々地元の人間を同行させた上での捜索として下さい」
旅館の男性が、教員に条件を提示する。
確かに昼間水鷺隝を散策した際、世莉樺も『入り組んだ街だ』と思っていた。地図が無ければ迷っていた可能性も十分に考えられる程で、この土地の地理に関する知識に乏しい者が下手に歩き回れば、迷う危険性が高い。
加えて今は夜なのだ、昼間以上に視界が限られており、注意する必要がある。
「了解です、それでは早速……!」
「あの、先生!」
旅館の男性と共に玄関に向かおうとした教員の背中を、世莉樺は呼び止めた。
教員が振り返り、
「何だ、雪臺?」
その教員は世莉樺の世界史の担当教員で、学年主任でもある。世莉樺のクラスの担任では無かったが、比較的関わる事の多い間柄だった。
世莉樺は教員の目を見つめて、
「柚葉を探すの、私にも手伝わせて下さい!」
恐らく、反論されるだろうとは思っていた。
「駄目だ雪臺。もう陽が堕ちてるんだ、お前まで行方知れずになったりしたらどうする!」
教員の返事は、やはり世莉樺が望む物では無かった。
しかし、至極真っ当な意見である。行方不明になった者を探しに行った者が、さらに行方不明になる、そんなミイラ取りがミイラになるような状況に陥っては、意味が無い。
十分に承知していた。けれど、世莉樺は引き下がらない。
「分かってます。だけど、柚葉が飛び出したのは私にも責任がありますから、私の所為でもありますから……」
本当ならば、世莉樺に非がある事では無いのは明白だった。
しかし、世莉樺自身はそうは思っていなかった。責任の一端は自分にもある、そう感じていたのだ。
さらに言葉を続ける。
「それに柚葉は剣道部の仲間なんです、黙って待ってるだなんて事、出来ません!」
例えどれ程辛い当たり方をされても、先程のように暴力を振るわれる事があっても、世莉樺は柚葉を剣道部の仲間だと、そして友人だと思っていた。柚葉の自分への接し方が真反対に変わってしまっても、世莉樺が柚葉を想う気持ちは揺るがなかったのだ。
だから世莉樺は、この状況の中何もせずに居る事など出来ない。
「雪臺……」
自分の言葉が、微かでも教員の心を動かしたのを感じる。
「先生、お願いします」
頭を下げ、世莉樺は今一度頼む。
すると、後ろに居た朱美、そして日和が前に歩み出た。
「世莉樺だけじゃ危ないって言うなら、私も協力します」
「私も」
先んじて朱美が言い、日和がそれに続く。
「朱美、日和……」
思わぬ友人二人の助け舟に、世莉樺は驚く。
「私、記憶力には自信あるんで……昼間歩いて、この場所の地理は大体頭に入ってます」
朱美が言う。彼女の言葉に偽りは無く、朱美は優れた記憶力の持ち主だった。暗記が鍵となる科目の試験では毎回高得点を記録しており、学校行事の百人一首大会では札の配置された場所を一瞬で覚え込み、対戦終了時にはいつも大量の札が彼女の手元にあった。
歩く記録媒体、いつか朱美がそんな呼ばれ方をしているのを聞いた事がある。
「旅館の人達は他のお客様の事もあるでしょうし、ここは私達が」
「確かに、だがしかし……」
日和が提案すると、教員の男性は考え込む。
「良いんじゃないでしょうか? ここは彼女達の力を借りては」
旅館の男性が、教員に提案する。
彼は世莉樺達の方に向きつつ、続けた。
「こうして自ら名乗りを上げてくれるとは、とても仲間想いな子達だ。良い生徒さん方をお持ちですね」
「……そうですね、分かりました」
教員が、吹っ切れたような表情を浮かべる。
「雪臺、都留岐、そして印南、お前達の力を借りる事にする。ただし、三人とも離れずに捜索する事。何かあったら俺の携帯電話に連絡するんだ。いいな?」
「分かりました先生」
三人を代表して、世莉樺が応じた。