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鬼哭啾啾3 ~溟海の鬼姫~  作者: 灰色日記帳
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其ノ四拾弐 ~決別ノ刻 其ノ六~


 睨み合いの後、炬白は鎖をその手に携えたまま焔咒に向かって駆け出した。

 空中から、焔咒が呪符を放って迎撃してくる。炬白は蛇行するように走り、それを避けながら距離を詰めていく。

 射程内に踏み入ると同時に、炬白は焔咒目掛けて鎖を振り抜いた。

 薙ぎ払うような軌道で放られた鎖は紫色の光の軌跡を残し、闇を裂きながら焔咒に向かう。


「こざかしい!」


 しかし、滞空する能力を持つ焔咒は容易くかわしてしまう。

 地上にいる炬白とは異なり、彼にとっては前後左右だけでなく、上下もまた逃げ道なのだ。


(簡単には捕らえられないか)


 放った鎖を手繰り寄せながら、炬白は分析する。

 鎖を用いた炬白の攻撃は、確かに速い。しかし大きな予備動作を伴う為、簡単に見切られてしまうのだ。

 溟海の鬼姫の時は体が大きかった為、簡単に捕まえられた。だが体が小さい上に素早く動け、更に飛び道具まで持っている焔咒は天敵と言えるだろう。


「そこだ!」


 機を見計らったかのように、焔咒が呪符を投げ付けてくる。

 炬白は一旦鎖を手繰り寄せるのを止め、後方に飛び退いた。しかし即座に新たな呪符が放たれ、炬白には鎖を手元に戻す暇も与えられない。

 

(くそ、この武器の弱点を見切られた……!)


 炬白は、鎖という武器を扱う技量を持ち合わせている。射程内であれば、彼は正確に標的へ攻撃を命中させる事が可能で、外す事はまずありえない。

 しかし、一度放った鎖を手元へ手繰り寄せる隙だけは、どうしても消す事は出来ない。

 焔咒は、その欠点を見破ったのだ。

 完全に優位に立った、そう確信したのか、焔咒は呪符を次々と放って波状攻撃を繰り出してくる。


「終わりだ炬白、お前ごときに俺を止められる筈などあるものか!」


 立て続けに放たれる呪符をひたすら避ける、それが炬白に出来る唯一の事だった。

 一時、攻撃が止む。

 自身に言い聞かせるかのように、焔咒は言う。

 

「他者の情けに頼って生きていたお前に、俺が負ける訳がない……そうだ、負ける事などありえない」


 炬白には、焔咒が平静を装っているように見えた。

 鎖を手放し、炬白は彼に語り掛ける。


「焔咒、お前は本当はもう気付いてるんじゃないのか」


「何?」


 炬白は、


「怜俐様はお前を助けなかったんじゃない……助けられなくなったんだ。生前、怜俐様がまだ人間として生きていた頃……彼女は大名の差し金で殺されてしまったのだから」


 焔咒の表情に、確かに驚きの色が浮かび上がった。


「何、だと……?」


 炬白は、憐れむような瞳で焔咒を見つめる。


「怜俐様はお前を見捨ててなんかいなかった、本当にお前の事を助けようとしていたんだ。だけど、それは叶わなかった」


 焔咒はまばたきもせずに、炬白の言葉を受け止めている。

 その口が微かに動き、絞り出すように小さな声が発せられた。


「嘘だ……」


 それまで優しく語っていた炬白は、打って変わったように感情的になり、焔咒の言葉を否定した。


「嘘なんかじゃない!」


 焔咒が、無数の呪符をその手に持った。

 炬白を完全に消し飛ばす気だ。


「そんな出鱈目を信じるか、気休めにもならん……俺を惑わせるとでも思っているのか!」


 狂乱状態に陥った焔咒。初めの頃の、知的で冷静な様子は影も形も無かった。

 炬白が武器を手放したのを見て、もう呪符を防ぐ手段は無いと思ったのかも知れない。

 そんな彼の瞳を真っ直ぐに見つめ、炬白は言った。 


「焔咒、お前は本当は怜俐様を憎み切れていないんだろ、お前が命を落としても鬼にはならず、理性を保ったままでいられている……それが証拠だ」


 焔咒は鬼ではない。鬼とは記憶も感情も全てを失い、ただ負念に突き動かされて生者を襲い、その命を喰らう存在だ。

 しかし、焔咒は鬼でなければ精霊でもない。言うなれば、『鬼に近い精霊』と称するべきだろうか。

 炬白は諭すように、説得するように続ける。


「こんな事はもうよせ、まだ遅くない筈だ!」


 しかし、炬白の言葉は血を吐くような叫びにかき消される。


「黙れ! ならば炬白……お前は赦せるのか、あの炎の中、自分を見捨てて逃げ出した姉を……雪臺世莉樺の事を……!」


「っ!」


 炬白は息を呑んだ、焔咒は全てを知っているのだ。

 動揺はした、しかし炬白はすぐに冷静さを取り戻し、


「……赦せるさ、姉ちゃんはオレを想い、大事な事を沢山教えてくれた……オレが姉ちゃんを憎む理由なんか、あるわけがない!」


 自分が死んだ時の事、『雪臺悠斗』として生きていた彼が命を落とした時の事を、炬白は鮮明に覚えている。忘れようにも、忘れる事など出来ない。

 失火による火事が起こり、悠斗は倒れてきた食器棚の下敷きになった。抜け出す事など不可能で、火はどんどん燃え広がり、彼に迫って来た。

 その最中、彼の姉が――当時まだ小学生だった世莉樺が駆け付けたのだ。

 苦しむ弟を見つけ、彼女は懸命に助けようとした。だが、数十キロもある食器棚を動かす事など、出来る訳が無かったのだ。

 このままでは、世莉樺までもが火に巻かれてしまう。

 そう思った悠斗は、姉に逃げるように促した。もう自分の事はいい、だからここから離れて欲しい……そう告げたのだ。

 当然、世莉樺は葛藤した。しかし最終的に彼女は、


“悠斗、ごめん……!”


 そう言い残し、去っていった。

 熱気と苦しみに苛まれる中、離れていく世莉樺の後姿を見て、悠斗は安心した。

 もしも立場が逆だったら――それを考えなかったと言えば嘘になる。

 悠斗ではなく世莉樺が食器棚の下敷きになり、自分がそこに駆け付ける立場だったのなら、どうなっていたのだろうか。

 同じように助けを求める世莉樺を断腸の思いで振り切り、逃げ去っていたのか。或いはその場に留まって彼女と運命を共にしていたか……分からない。

 だが少なくとも、もしも立場が逆だったのならば、悠斗が命を落とす事は無かったのかも知れない。

 あの火事を生き延び、その後何年にも渡って生き……小学校を卒業して中学生に、次は高校生になり、痛みを抱きつつも、それでも人間として幸福な人生を送っていたのかも知れないだろう。

 ――世莉樺が今、そうしているように。 


「もういい……消えろ!」


 焔咒はそう言い放つと、その片手を天へ伸ばした。

 すると彼を中心に十数枚もの呪符が出現した、あの呪符を全て炬白に向けて放つつもりなのだ。


「鎖を引き戻す暇など与えない、これならば逃げ場もない……終わりだ!」


 勝ち誇ったように焔咒は言う。

 次の瞬間、焔咒がその右手を振り下ろすのを炬白は見た。






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