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鬼哭啾啾3 ~溟海の鬼姫~  作者: 灰色日記帳
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其ノ参拾四 ~怒リノ焔咒~

 巨体に見合わない速度で襲い掛かってくる溟海の鬼姫。それは正しく、猛スピードで追い迫る恐怖そのものだ。

 だが、炬白は引き下がろうとはしない。引き下がる事など出来ない。彼の大切な人を、雪臺世莉樺を助け出さなければならないのだから。

 水上広場の木面の床を蹴り、炬白は駆け出した。突進を避けて、彼はすぐさま鎖を振りかざす。

 戦いを傍観しているであろう焔咒が、どこからか言った。


「無駄さ、そんな物では止められない!」


 鎖で溟海の鬼姫に立ち向かおうとしている、焔咒はそう思ったらしい。

 だが炬白の考えている策は違った。焔咒の言葉など意にも介さずに、炬白は鎖を放つ。


(確かに真っ向から当たっても、オレの力じゃ太刀打ちできない。だけど……!)


 炬白の放った鎖は、まるでそれ自体が意思を持っているかのように溟海の鬼姫の体に絡みついた。人間の少女の胴体や、その腕や、そして大蛇の下半身を縛り上げた。そう、炬白の狙いはあの化け物を退ける事ではなく、動きを封じる事だったのだ。

 作戦は成功し、捕縛された溟海の鬼姫は奇声を上げながらもがき始める。その身を捕らえている炬白の鎖が、ジャラジャラと楽器のように鳴る。

 しかし、全く気は抜けなかった。炬白はすかさず、怜俐に叫んだ。


「怜俐様、今です!」


 炬白がそう告げる以前から、怜俐は既に行動を開始していた。

 その黒髪や純白の着物をたなびかせながら、彼女は溟海の鬼姫へと走り寄り、そして無防備にさらけ出された額にその右手をかざす。

 

「何をする気だ……?」


 焔咒の言葉になど反応せず、怜俐は錫杖で水上広場の床を叩き、呪文を唱え始める。

 溟海の鬼姫はなおも、自由を取り戻そうと暴れ続けていた。大蛇の身が叩きつけられるたびに水上広場が揺れ、その振動は炬白にまで伝わってくる。嵐でもないのに、海の水面は激しく波打っていた。

 鎖を手放し、炬白は怜俐の側へと走り寄る。

 怜俐は呪文を唱え始めた。それが何の為の呪文か、炬白にはすぐに分かる。

 炬白が間近まで接近すると同時に、怜俐は唱え終えた。詠唱が終了した瞬間、怜俐が手をかざす先、溟海の鬼姫の額の直前に白く眩い光の壁が現れた。

 そして、吸い込まれるかのように炬白はそこへ向かう。彼が光の壁に触れたその瞬間、怜俐は叫んだ。


「開!」


 その瞬間、炬白の視界は光で満たされた。



  ◎  ◎  ◎



「へえ……何をするのかと思えば。まさか炬白を溟海の鬼姫の精神世界に送り込むとはね」


 焔咒のそれが独り言なのか、それとも自分自身に向けられた言葉なのか、怜俐には分からなかった。

 もう、怜俐の側に炬白は居なかった。彼は怜俐の手によって溟海の鬼姫の魂の中――焔咒の称するに、精神世界へと送り込まれたのだ。

 このままでは溟海の鬼姫に勝つのは困難に等しい、ならばまずは核である彼女、雪臺世莉樺を奪い返す事。それがこの場における、最善の策だった。

 炬白を溟海の鬼姫の中へ送り込んだ、ここまでは作戦通りである。

 しかし、それには大きな危険が伴う。焔咒は笑みを浮かべながら、言った。

  

「くく、いいのかい? もしも炬白まで取り込まれれば……それこそ取り返しのつかない事になるよ?」


 そう。

 もしも炬白が失敗したら、彼まで世莉樺同様に取り込まれて、溟海の鬼姫の一部になってしまったら。正しく最悪の事態だ。

 通霊力である世莉樺を取り込んだ時点で、それまでとは比べ物にならない力を発揮した溟海の鬼姫、その上炬白の霊力まで我が物にすれば、最早手の施しようは無いだろう。

 勿論、怜俐はその危険を承知していた。しかし、それでも彼女は、


「私は炬白を信じている。あの子の優しさを、そして強さも……何より、炬白と世莉樺との『絆』があれば、絶対に世莉樺を助け出せると」


 焔咒を見つめ、怜俐は断言した。

 まるでそれを引き金をするかのように、焔咒の表情から笑みが消えていく。

 眼前を飛び回る羽虫を見るような、忌々しげな面持ちで怜俐を見下ろし、焔咒は吐き捨てるように言った。


「何度聞いても虫唾が走る……お前のそういう言葉は」


 それまで空に浮いていた焔咒が、ゆっくりと水上広場に降り立つ。裸足の足が、木目の床を踏む。

 焔咒は続ける。


「昔から何度も何度も聞かされたな。優しさだの絆だの、そういう上辺だけの戯言に過ぎない言葉……お前が俺にした事を、忘れたとは言わせないぞ」


 怜俐は何も言わなかった。

 憎しみに満ちた言葉を矢のように投げつけられても、身を覆うような殺気を向けられても。ただ口を真一文字に結び、焔咒と視線を重ねていた。

 焔咒が一歩、歩み出る。


「怜俐、いいや、凛……やはりお前は、俺の手で葬ってやる」


 焔咒の手に、数枚の呪符が出現した。あれは彼の霊具だ。

 いつ攻撃を仕掛けて来るか分からない、怜俐は錫杖を構え直した。焔咒はまた、笑った。まるで狂人のようだった。

 けれど次の言葉を発する時、もう焔咒の顔に笑みは無かった。まるで鬼のような、怒りと憎しみに満ちた表情だ。


「あの時の恨み……今こそ晴らさせてもらう!」


 直後、溟海の鬼姫が自身を縛り付けていた鎖を破り、自由を取り戻した。耳を聾するような咆哮が発せられる。

 けれど怜俐は怯む様子も見せずに、凛とした面持ちで向いていた。二対一の不利な状況に立たされても、彼女は一歩たりとも逃げようとはしない。

 

(炬白……必ず戻って来て)


 焔咒が溟海の鬼姫を伴って襲い掛かってくる最中、怜俐はただ、炬白を信じる言葉を心中で発した。

 その思いが通じるか否かは、彼女には想像もつかない。






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