其ノ弐拾九 ~成就~
「うっ……!」
意識を取り戻した時、一番最初に感じたのは後頭部の痛みだった。そこに手を触れようとして、腕を動かせない事に気付く。
腕に木の幹が絡みつき、拘束具のように彼を押さえつけていた。
(これは……!?)
何が起こった、何故自分は今、このような状態になっているのか。
状況を理解しようと視線を巡らせる、そしてすぐに、彼は前方に立つ『自分自身』の姿を目に捉えた。
「!?」
そこには、『炬白』が立っていた。その前には、彼が守るべき少女、雪臺世莉樺の姿もあった。
だが、何故自分があそこにもいるのか。炬白という存在は自分一人だけの筈、ならば……。
答えは、簡単に導き出せた。両腕と両足を拘束されたまま、炬白は言う。
「お前……焔咒だな!」
目の前に居る偽物の炬白――つまり、焔咒が化けた炬白は答えなかった。ただ一瞬、本物の炬白に視線を移し、悍ましく微笑んだだけだ。
パズルのピースを組み上げるように、炬白は状況を理解する。まず、思い出したのは先程の出来事。
洞穴で一旦世莉樺と離れた後、彼は焔咒と遭遇したのだ。攻撃を仕掛けてきた焔咒に炬白は応戦したが、打ち負けて気を失わされた。その間に焔咒は炬白に化け、世莉樺を騙してこの場に連れてきたのだ。
そして、焔咒の狙いを……このずる賢い卑怯な精霊が何をしようとしているのかも、炬白は理解した。
だからこそ、炬白は声を張り上げて世莉樺に呼びかける。
「姉ちゃん、姉ちゃん! そいつは偽物だ、焔咒の声に耳を貸したらダメだ、姉ちゃん!」
しかし、いくら呼び掛けても世莉樺は反応しない。反応するどころか、本物の炬白を振り向く事すらもない。焔咒が何か、炬白の声が世莉樺に届かなくなる細工をしたに違いなかった。
それでも、諦める事など出来ない。
「姉ちゃん!」
喉が枯れる程に叫ぶ、だが炬白の声は何の意味もなさず、虚しく消えていく。
炬白が凄絶に身動きするたびに、彼の両腕両足を縛り付けている木の幹がメキメキと音を鳴らす。力ずくで抜け出す事など不可能、炬白は身をもってそれを知った。
(くそっ……!)
正しく、成す術がない。
木の幹を振りほどく事も、焔咒を止める事も出来ない。炬白に出来る唯一の事、それは赤い光を放つ穴へと歩み寄っていく世莉樺を、ただ見ている事のみだった。
(あれは……あれは……!)
世莉樺がゆっくりと向かっている先にあるその穴――血のように赤く、禍々しい光を放つその穴が何なのか、炬白にはすぐに分かった。そして世莉樺があの中に入れば何が起こるのかも、すぐに察した。
「くく、よく見てなよ炬白……君のお姉さんが、鬼の一部になる所を……!」
興奮したように、炬白に化けた焔咒は言った。炬白は彼を睨み付けたが、すぐに世莉樺へと視線を戻した。こうしている間にも、彼女は刻一刻と穴へ歩み寄っている。
彼女を止めなければ――だが今の炬白にはそんな術は無かった。陸上に打ち上げられた魚のように、今の彼は余りにも無力だったのだ。
穴へと歩み寄っていく最中、世莉樺の口から「悠斗……赦して……」などという言葉が発せられたのを、炬白は聞き逃さなかった。
(焔咒……オレの正体を姉ちゃんにバラしたな!)
炬白はギリッと歯を噛み締めた。
そう、焔咒は炬白の正体を、炬白が世莉樺の亡き弟――雪臺悠斗だという事を世莉樺に明かしたのだ。世莉樺の心を壊す材料として、世莉樺を絶望と罪悪感に沈める鍵として、炬白を、悠斗を利用したのだ。
赦せなかった。
「焔咒……焔咒――ッ!!!!!」
鬼気迫る面持ちで叫ぶ炬白、対する焔咒はそれを嘲笑うかのように笑っていた。
そして、焔咒の策略で正気を失った世莉樺は一歩一歩ゆっくりと穴に近づき、赤い光へと吸い込まれるように穴の中へと転落していった。
炬白は、ただその様子を見ている事しか出来なかった。




