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鬼哭啾啾3 ~溟海の鬼姫~  作者: 灰色日記帳
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其ノ弐拾八 ~炬白ノ虚実~

「炬白、ちょ……待って……!」


 世莉樺は、必死に炬白を追い続ける。

 炬白はゆっくりと歩いているようにしか見えないのに、彼の後姿はどんどん遠ざかり、引き離されていく。幾度も世莉樺は彼を呼び止めたが、炬白はただ振り向きもせずに、『こっちだよ』、『早く来て』などと促すのみだ。

 今までの炬白とはどこか違う、様子がおかしい。世莉樺はそう思わざるを得なかった。

 けれど、世莉樺には炬白を追うしかない。


 どれ程走り続けたのだろう。炬白が足を止めた時、世莉樺は水鷺隝の一画、木々が鬱蒼と生い茂った林の中に居た。歩を進めるたびに、伸びきった雑草が足や腰に触れるのが分かる。


「ここは……」


 そう呟くと、炬白はようやく彼女を振り返った。


「さあ姉ちゃん……あそこに」


 少年が指差した先を視線で追う、そして世莉樺は絶句した。

 その場所には木々も雑草も無く、隕石でも落ちたかのような大穴が空いていた。穴からは血のような赤い光が発せられ、闇に満ちた林を禍々しく照らしている。

 その光を見ているだけで絶望感に心を支配されるような気がし、世莉樺は瞳を背けた。


「どうしたの姉ちゃん、早くあの中に入るんだ」


 命令するように言う炬白。

 

「何なの、あれ……?」


 炬白は応じた。


「あれは黄泉の世界への入口さ、姉ちゃんの友達や他の水鷺隝の人達の魂は……あの中に捕らわれている」


 その言葉に、世莉樺は息を呑んだ。

 炬白が次にどのような言葉を発するのか、何となく想像がつく。


「あの中に入らなければ……皆を助ける事は出来ない」


 唾を飲み込んだ。しかし、それでも世莉樺は決断に踏み切る事が出来ない。それ程の不気味さ、邪悪さを、あの穴は、そしてそこから漏れ出る光は帯びていたのだ。

 眉間にしわを寄せつつ、本音を吐露する。


「っ、入りたくない……」


 炬白は、何も言わなかった。代わりに風が吹き、木々をザワザワと揺らした。

 一時の沈黙の後。


「ふーん、じゃあ皆を見殺しにするんだ」


 氷のように冷たい言葉が、世莉樺に向けて投げ付けられる。一瞬、誰が発した物なのか分からなかった。けれど否応なく、思い知らされる事になる。

 世莉樺以外には、そこには彼しか居ないのだから。


「えっ……!?」


 信じたくなかった。受け入れたくなかった。彼がこんな事を言うなんて。

 二年前の怪異の時には命を救われ、さらに今度も折れそうだった世莉樺の元に現れ、大きな助け舟となってくれた少年が、こんな冷酷な一面を持っていたなんて。

 だが彼は容赦なく、言葉という不可視の刃物で世莉樺の心を抉り続ける。


「悠斗の時みたいに」


 ――それまで。

 それまで世莉樺は、炬白の事を味方だと思っていた。命を救われた恩人であり、大切な人(厳密には人ではないのだが)だと思っていた。

 聞き間違いだと思っていたけれど、まるで歌い上げるかのように楽しげに、炬白は確かにそう言った。

 

「……どうして」


 声が震えていた。溢れ出る涙に、視界が潤むのが分かる。

 それでも炬白は顔色の一つも変えずに、軽蔑するような眼差しで世莉樺を射抜いていた。


「どうしたの、炬白……どうしてそんな事言うの……!?」


 炬白は、何も言わなかった。張り裂けるような声で、世莉樺はさらに続ける。


「炬白、今まで何度も私を助けてくれたじゃない、二年前の時だって……私が折れそうになった時、抱きしめて励ましてくれたじゃない!」


 二年の歳月が過ぎた今でも、世莉樺はその時の事を鮮明に覚えている。

 そう、あれは世莉樺が自らの罪の告白をした時。幼き頃、燃え盛る炎の中で自身の弟――悠斗を見捨てて逃げたしたという、辛く忌まわしい過去を打ち明けた時。悔恨と罪悪感に泣き崩れた世莉樺を、炬白はそっと抱き締め、励ましてくれた。

 人間と何ら変わらない暖かみに満たされ、傷ついた心が癒える感覚に包まれた事を、世莉樺は覚えている。

 しかし、今の炬白が世莉樺にしているのは、真逆の事だ。いきなり豹変した彼、一体何故なのか。

 震えるような声で、問いかける。


「私、何かしたの……? 炬白に、何か……!」


 世莉樺には勿論、そんな心当たりなどない。しかし、炬白は顔色一つ変える事もなく即答した。


「うん、したよ」


 いつもの穏やかな口調の陰に、怒りと憎しみが宿っているように思えた。

 まるで喉を塞がれてしまったように、世莉樺は言葉を発せなくなる。すると炬白は、先んじて発した。


「姉ちゃん、あの時オレを見捨てて……一人で逃げていったよね」


「えっ……?」


 彼の言葉の意味が分からずに、頭が真っ白になる。

 

「あの時、あの火事の時……食器棚に押し潰されたオレを見捨てて、逃げ出した」


 言っている意味が理解できない。

 しかし、まるで水面から引き上げられるかのように、世莉樺は何かが頭の中で掘り起こされるのを感じていた。それは、『記憶』だ。

 火事、食器棚、見捨てて逃げ出した――そこから連想されたのは、


「それって……悠斗の……」


 そう、悠斗の記憶。幼き頃に火事に遭い命を落とした、世莉樺の弟の事だ。

 それでも世莉樺にはまだ、炬白の言っている意味が理解できない。胸元で拳を握り締めて、縋るように言う。


「でも、どういう意味なの!? どうして炬白、貴方が……?」


 そこで、そこまで言って、世莉樺の脳裏に何かが引っ掛かった。

 思わず言葉を止める。そして、彼女は改めて彼を、炬白という少年を見つめる。

 

(まさか……?)


 思い返せば、似てると思った事は幾度かあった。

 やんちゃそうな所、それでも優しい所、甘いお菓子が好きな所。自覚していなかっただけで、世莉樺は既に気付いていたのかもしれない。

 ――炬白という少年は、雪臺悠斗を思わせるという事に。


「その顔……気付いてくれたかな?」


 世莉樺は何も言わなかった、言えなかった。

 風が吹き、周囲に生い茂った木々がザワザワと合唱する。


「そうだよ、姉ちゃん」


 瞬きすらも忘れ、世莉樺は視線を釘付けにする。

 そして、炬白の口から――その言葉が発せられた。


「炬白というのは仮の名……オレは、雪臺悠斗さ」






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