其ノ弐拾参 ~鬼狩ノ夜 其ノ拾~
炬白に気を配りながら、私は土産物屋に踏み入る。
いつまた、あの化け物に襲われるか分からない状況。呑気に調べ事なんてしている状況じゃないっていうのは分かるけれど、私は知る必要がある。ううん、知らなければならない。
あの化け物……巫女の事を。そして、あの焔咒の事も。そして、この怪異が如何にして引き起こされた物なのか。何が、こんな恐ろしい出来事を招いたのか。
そして、それを紐解く鍵が……ここに存在しているかも知れないのだ。
「あっ……」
土産物屋内を探索する中、意識を失っている女性が横たわっているのを見つけた。
炬白が駆け寄って、女性の頬に人差し指で触れた。彼女はやはり、何の反応も示さない。
「溟海の鬼姫の仕業だね……生者の魂を吸い取って、それを源に生魂鬼を生み出す能力を持っているんだ」
その言葉で、私は再確認する。朱美や日和や、他の人達が倒れたのも、倒れた人達を模した生魂鬼が現れたのも……あの化け物、溟海の鬼姫の仕業だと。
「あの姉ちゃんの友達、柚葉って人を媒体にして溟海の鬼姫を復活させ、そしてその力を発揮させて水鷺隝の人達の魂を抜き取った……そんな所だろうね」
炬白が立ち上がる。
その時、ある疑問が私の脳裏を掠めた。
「炬白、そういえばどうして……どうして私には、溟海の鬼姫の力が効いてないの? どうして私は、魂を抜かれていないの?」
どうして、その事に気付かなかったんだろう、って思った。
溟海の鬼姫の、人の魂を抜く力が水鷺隝に居る全ての人を対象とする物ならば、私だって今頃は朱美達のようになっている筈だ。だけど私はこうして健在のまま、何ら異常は現れていない。一体何故?
炬白は顎に指を当てて、考え込むような面持ちを浮かべる。
「恐らくは、姉ちゃんが天照の加護を受けている通霊力だからだね」
私が片手に提げている霊刀、天照を指さしながら炬白は言った。私は鞘から抜いたままになっているこの真剣を見つめる。銀色の刃が、鏡みたいに私の顔を映す。
「天照はかなりの霊力を持つ霊具だから、溟海の鬼姫の呪いも打ち破る事が出来たんだと思う」
私は、天照から炬白に視線を移した。
「天照のお蔭……?」
炬白は、こくりと頷いた。
溟海の鬼姫によって水鷺隝の人々の魂が抜かれても、私だけが平気だった理由がこれではっきりした。そして改めて、使命感を取り戻す。私だけが平気だからこそ、私だけが活動可能な状態にあるからこそ、皆を助けなければ。
その為に私は、今するべき事をする。私は炬白に頷き返して、
「朱美達と一度ここに来て……ちょっと気になってた物があるの」
商品が陳列されている棚を、私は探り始める。
シラスやスルメ、昆布の佃煮、鰹節……この辺は食品ばかり、ここじゃない。『あれ』は、どこにあっただろうか。
「お菓子でも探してるの?」
炬白の言葉で、気勢をそがれた気分になる。
「違いますっ」
口をとがらせて反論する。炬白がぽかんとした表情を浮かべた。
「お菓子だなんて……悠太じゃないんだから」
そう呟きつつ、私は捜索を再開した。
思わず口に出した『悠太』というのは、私より十歳下の弟だ。今は八歳で小学二年生。お菓子がとにかく大好きで、家にいる時はしょっちゅう戸棚を探ってる。
……いけない、今はこんな事考えてる場合じゃない。
と、その時。さっきの冗談めいた言葉とは打って変わった雰囲気の言葉が、炬白から発せられた。
「そういえば姉ちゃん……オレとの約束は、守ってくれてる?」
思わず、炬白の方を向く。彼の表情は、ごまかしを許さない真剣な物だった。
「約束……」
炬白の言葉の意味が分からなくて、目を丸くする。
「そう、二年前にオレと交わした約束。忘れちゃった?」
炬白と交わした約束……私は思わず、考え込んだ。思い出すのに、さほどの時は要しなかった。
はっとして顔を上げた瞬間、先んじて炬白が発する。
「思い出してくれた?」
彼に言われた通りだった。思い出した、そして同時に……すぐに思い出せなかった自分を戒めた。
忘れもしない、二年前のあの怪異の時の事。全てが終わった後、夏祭りが行われている公園で、別れ際に炬白と交わした約束。
“真由と悠太の事……これからも守ってあげて欲しい”
それが、私の命を救った見返りとして、炬白が私に申し出た事。私の弟と妹を守る、それが、彼の私への望みだったのだと思う。
どうして、炬白がそれを私に約束させたのかは分からない。炬白と、私の弟妹……どんな繋がりがあるのか。あれから何度も考えたけれど、どうしても分からない。
でも、それでも私は、
「うん……真由の事も、悠太の事も、私は守ってるつもりだったよ」
嘘偽りなく、しっかりと炬白と目を合わせて、私は答えた。
あれからも沢山、私は真由と悠太に手を焼く事があった。悠太が小学校でクラスメイトの男の子に怪我をさせた時は、私はその子のお母さんに謝りに行って、真由が勉強を教えて欲しいとせがんできた時は、自分の勉強そっちのけで真由についた。
私の家庭はお母さんが留守にしがちだから、その分私があの子達の世話をしなくてはならなかった。ご飯も掃除も、時には送り迎えとかも。
私だって自分の時間はもっと欲しい。欲しいけれど、私は真由と悠太の世話をする事に嫌気が差した事は無かった。確かに大変だけれど、それでも私は『楽しい』と感じていたから。
時に、自分が雪臺家の長女に産まれなくて、私の上にお兄ちゃんかお姉ちゃんがいて……世話を焼いたり、 甘えたりできればって思う事もあったけれど。
炬白は無言で私の目を見つめていた。しかし数秒後、彼はくすりと笑みを浮かべる。
「……そっか、邪魔してごめんね姉ちゃん、続けて」
「うん」
私は再び戸棚に視線を泳がせ始め、そしてついに、目当ての物を見つけ出した。
「あった……」
ざらざらとした質感の紙が数枚束ねられ、味のある筆字で題名が描かれた冊子。
――題名は、『溟海の鬼姫』。
炬白が背伸びをして、私が持つそれを覗き込む。
「これなんだね? 姉ちゃんが探してた物」
「そう、何だかこれ、関係ある気がして……!」
初めて見つけた時は、柚葉に突き飛ばされて読めなかった。しかしこれには、この怪異を解くヒントがある……そんな予感がしていたのだ。
私は冊子をめくり、その内容を読み始める。
「これは……!」




