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鬼哭啾啾3 ~溟海の鬼姫~  作者: 灰色日記帳
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其ノ弐拾弐 ~鬼狩ノ夜 其ノ九~

 化け物が、巫女の顔がグルリと翻り、私を捉える。邪魔者は消えた、次はお前の番だ……そう言っているように思えた。

 炬白を瞥見する。彼は地面にうつ伏せになったまま、僅かも動かない。さっき受けた一撃が、致命傷になったのかも……。


「さあ……あとは君だけだね」


 容赦なく投げかけられる、無垢で冷たい声。

 獲物を一撃で仕留めず、じわりじわりと痛めつけ、そして弱っていく様を楽しむ獣のようだった。


「ぐっ……!」


 炬白を、守らなきゃ。助けなきゃ……! 私は天照を握る手に力を込めて、空に浮かぶ焔咒を睨み付けた。


「へえ……生身の人間の癖に、『溟海の鬼姫』を前にして逃げ出さないとはね」


 感心したように言う焔咒。

 ――本当は、怖い。逃げたい。私だけで、あんな化け物に立ち向かえる筈がない。

 だけど私には、立ち向かう以外の選択肢は無かった。炬白を置いて逃げられないし、それに私が助けないと、皆が……第一、逃げる場所など無いのだ。逃げた所で、あの化け物の前ではすぐに捕まる。確証など無いけれど、私にはそれが分かった。

 そして、何よりも大きな理由は……。


「私は、もう逃げない……そう決めたから……!」


 小さかった頃……家が火事になったあの時。

 食器棚の下敷きになった弟――悠斗を見捨てて逃げ出した、あの時の記憶。二年前に『傷』は多少癒えたかもしれないけれど、今もなお私を縛る、罪の呵責。

 もう、大切な人を置き去りにして逃げたりしない。私は、そう決めたから。それが、私が自分に課している掟だから。

 だから私は……立ち向かう。


「……気に入らないな、その目」


 焔咒の様子が、変わった。

 それまで、どんな時も楽しげで……目の前の惨状を嬉々として見つめていた、悍ましさすら垣間見える無邪気な感じが消えた気がする。代わりに現れたのは、まるで眼前をうるさく飛び回る羽虫を見るかのような……憎々しさの込められた眼差し。


「最初見た時から思ってたけど、『あの女』に似てるんだよね。君」


 焔咒が思いもしない事を言い始める。

 あの女……? 一体、誰の事……?


「そうだ……澄んでいて、慈悲深そうで……悪意の欠片も無い目だ」


 自分に言い聞かせるかのように、囁く様な小さな声で発する焔咒。

 けれど次に発せられたのは、憎しみそのものを吐き出すかのような、怒声だった。


「そんな風に感じたからこそ……俺は騙されたのかもな!」


 それを合図にするように、化け物が巨体に見合わない速さで迫り来る。

 完全に油断していた。敵は焔咒だけではないのだ、しかも今は炬白も居ない、天照を持っていても、丸腰の状態とそう変わらないのだ。


「……!」


 戦う事も、逃げる事も出来ない。私が出来た唯一の事、それは両腕で顔を覆い、化け物と少しでも距離を取る――そんな無意味な行動だけだった。

 けれど、次の瞬間に聞こえたのは、予想もしない声だった。 


「お前には、分からない!」


 間違いなく、それは炬白の声だった。

 気付いた時、倒れ伏していたと思っていた炬白が私の目の前に居て、私に背中を向けたまま、彼は鎖を振り抜く。

 彼の攻撃は化け物には通じない、そんな事をしても、突進の勢いを弱める事すら出来ない筈。しかし炬白の鎖が向けられていたのは化け物ではなく、神社の石畳だった。

 鎖が石畳を砕き、轟音と同時に大きな砂煙を上げる。それは化け物と私達を隔てる壁のように、視界を遮った。

 ――化け物が突進して来ない。炬白が作り出した砂煙で、怯んだのだろうか。


「姉ちゃん!」


 鬼気迫る声と共に、炬白が私に手を伸ばす。返事をする間もなく私の腕が掴まれて、同時に炬白が目を閉じる。

 そして、彼の口から呪文が発せられる。僅かも理解出来ない、けれど何かの力が秘められているような、そんな言葉が。

 途端、私と炬白の周囲に真っ白な霧のような、煙のような物が渦巻き始め、次第に視界が純白一色に満たされた。



  ◎  ◎  ◎



 気が付いた時、私は先程とは全く別の場所に居た。

 そこは神社ではなくて、焔咒も、あの化け物も居ない。静けさに包まれていて、潮風が吹く音だけが、周囲を支配している。

 ここは、どこなのか。周囲を見渡して、私は側に居た炬白に気付いた。


「姉ちゃん、怪我は無い?」


 炬白が先んじて発する。

 

「炬白……!」


 彼の名を呼ぶと、炬白は鎖を片手に握り締めたまま、続けた。


「オレの力であの場から離れたんだ、まあすぐ追って来るだろうけどね」


 逃げる事、それが炬白の選択した最善の策だったらしい。私も賛成だ。

 私は、先程まではしたくても出来なかった質問をする事にした。


「炬白、さっきのは何なの? あれも……鬼なの?」


 炬白は、「そうだよ」という返答と共に頷いた。

 その手に持った鎖を両手でビンッと張りながら、彼は言う。


「だけどあれは……姉ちゃんが二年前に遭遇した鬼とは格が違う。古代からこの水鷺隝に封印されていた負念、人間離れした霊力を持った巫女の怨念から生み出された、『溟海の鬼姫』なんだ」


「巫女……?」


 炬白の言葉に何か引っ掛かる物を感じた直後、私は視界に、見覚えのある文字を捉えた。

 土産物店の看板の文字で、『みづや』と書かれている。


「あ、ここって……!」


 私はすぐに思い出した。昼間、朱美と日和と一緒に訪れた土産物店だ。炬白が偶然、この店の前に自分と私を転位させたのだろう。

 そして私はもう一つ、ある事を思い出す。


「そういえば、ここには……」


「姉ちゃん、何か思い当たる事でもあるの?」 


 私は炬白と視線を重ねて、頷いた。


「じゃあ、寄ってもいいよ。今は焔咒達の気配は無いから大丈夫」


 いつ、また焔咒やあの化け物が来るか分からない状況にあるのは分かってる。だけど私は、突き止めなくてはいけない気がしていた。

 この怪異が、どうして起きたのか。何が、真相なのか。そのためには、前に進まなくてはならない。

 

「ごめん炬白、すぐ済むから」


 炬白に告げて、土産物屋に踏み入ろうとしたその時。


「うぐっ……!」


 後方からドサリという音が聞こえて、振り返る。

 そして私は驚愕した、炬白が膝を崩し……胸を抑えて呼吸を荒げていたから。


「炬白……!? どうしたの!?」


 私は彼に駆け寄って、その小さな体を助け起こした。炬白は絞り出すように、


「さっきやられた痛みがちょっと……大丈夫だよ姉ちゃん、大した事無いから……」


 そう言っていても、炬白の表情は苦しげで、辛そうだ。

 なんとか助けたい――そう思っても、私には何もできない。炬白は人ではなく精霊、彼の怪我を癒す術なんて、私は持っていないのだから。


「炬白……!」


 そういえばさっき、炬白はあの化け物の攻撃から身を挺して私を助けてくれた。彼は私の代わりに跳ね飛ばされて……それを思い出して、罪悪感が込み上げる。


「ごめん、私のせいで……!」


 炬白は、首を横に振った。


「姉ちゃんのせいじゃないよ、気にしないで」


 地面に手を付いて、重たげな仕草で炬白は立ち上がった。


「さ……行こう姉ちゃん。急がないと、またあいつらが来る……」


 よろけた歩調で土産物屋に入る炬白、私は何も言わずに、その小さな後姿に続くしかなかった。






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