其ノ弐拾 ~鬼狩ノ夜 其ノ七~
真っ黒な霧に身を埋めながら、私に襲い掛かる柚葉。何もかもが、先程までとは変わっていた。素早さも、強さも、そして邪悪さも。
私は彼女の刃を、ただひたすらに受け続ける事しか出来ない。下手に反撃すれば、柚葉を傷つけてしまうと思ったからだ。天照は真剣だ、これが人体に命中すれば怪我程度では済まないだろう。
攻撃を受けないよう、防ぎ続ける事。今の私に出来る事は、思いつく限りではそれだけだった。
「柚葉、目を覚まして!」
鬼と化した友達に呼び掛けてみる、勿論返事は無かった。彼女から発せられるのは、憎悪の念のみ。
《憎い……憎い……うぐうううッ……!》
頭の中に届く柚葉の意思、それは耳が聞くよりも余程私には辛く思えた。赤い瞳が、私を見つめる。そして、黒い刀が私に向けられた。
私は、柚葉が苦しんでいるようにも思えた。彼女はきっと、自分に植え付けられた鬼の力に抗っている、自分が自分でなくなる事を恐れているのだ。
助けたい……鬼の力から、解き放ってあげたい。心の底から、私はそう思った。
《あんたばかりが、何で……何で!》
柚葉を覆う黒霧が、増大する。それはまるで、彼女の憎しみや怨みが可視化された物のようにも思えた。
もう、言葉だけで彼女を救うのは無理だ。そう思いたくはなかったけれど、どうしても認めざるを得ない。ならばやはり、戦う以外に道は無い。柚葉だけではなく、他の皆の命も掛かっている。
どうすればいいのか、そんな事も分からないまま、私は天照を構え直した。
次の瞬間、柚葉がビクッと身を震わせた。
《ぐっ……!》
黒霧から形成された彼女の刀が手から滑り落ち、地面に落ちる。それはやがて煙のように、徐々に消滅していった。
柚葉を包む黒霧が刃のような形を無数に形作る。
「っ……?」
あれが全て、私に向かってくるのかと思った。
けれど違ったのだ。身構える私を他所に、黒霧の刃がまずは一本、柚葉の胸を突き刺した。
《ぐあっ……》
苦悶の声が、頭の中を支配する。状況を理解する事も出来ずに、私はただ目を背けるのみ。
そしてまた一本、今度は柚葉の白い太ももが貫かれる。
《ぎっ……!》
私はようやく、状況を判断できた。
どういう事なのか分からないけれど、柚葉が危ない!
「柚葉っ!」
駆け寄ろうとして、私は即座に足を止めた。柚葉の周囲の空気が、まるで肌を凍らせるような冷たさを帯びていたのだ。
背中に冷水を流し込まれるような、心臓を鷲掴みにされるような……恐ろしくて、気味が悪くて、近付いてはいけないような感覚。間違いない、これは鬼の発する雰囲気だ。それも、二年前や先程のまでの柚葉が纏っていた物とは比べようもない程の……!
それ以上は近付く事も、後退する事も出来なかった。黒霧で串刺しにされていく柚葉を見つめている事、それが私に出来る全てだったのだ。柚葉の悲鳴が耳に飛び込んできて、それがまるで私への糾弾のように思えた。
「柚葉……!」
何の意味もなさない呼び掛けは、届く事なく消えていく。
体中を突き刺される柚葉から目を背けようとしたけれど、出来なかった。標本箱に磔にされる昆虫のように、焚き火に炙られる魚のように扱われる友達の姿を、私は瞳に映し続けた。
そして、次の段階に移るかのごとく、状況は一変する。
柚葉を中心として、黒霧が球体を形作り、柚葉の姿を覆い隠していく。
◎ ◎ ◎
弾かれるように振り返ったオレが目にしたのは、黒霧の球体だ。
あれは……あれは!
「くく、これで第三段階。ついに始まる……いよいよ復活の時だ!」
嬉々とした焔咒の言葉になど耳も貸さず、オレは姉ちゃんの元へと駆け出した。
◎ ◎ ◎
世莉樺達の戦いを見つめるかのように、水鷺隝大彌國神社の境内に佇む、銘文の刻まれた石碑。
闇に浮かぶ明かりの如く、そこにボウッ……と青白い光が纏った。そして次の瞬間、風も無いのに周囲の柳の木が揺れ始め、木々から生えた葉がザワザワと合唱し始める。
「っ……!?」
霊界にて池を見つめていた怜悧は、自身の脳裏をかすめた感覚に頭を上げた。
何が起きているのか、何が起ころうとしているのか、神霊たる彼女には考える必要すらも無かったのだ。
(この感じ……焔咒、やはり貴方は……)
怜悧はその場で踵を返す。腰よりも長く伸びた黒髪や白い着物が空を泳ぎ、その頭飾りが音を奏でた。