其ノ拾八 ~鬼狩ノ夜 其ノ五~
「くく、後はもう一つの『器』を手に入れるだけ……」
焔咒の身がふわりと浮かぶ。
私は柚葉に注意を払い、焔咒も完全に視界の外に出さないよう努めつつ、炬白に言う。
「炬白、皆が気を失ったのも、生魂鬼が現れたのも……あの焔咒が原因なの?」
ジャラリと鎖を鳴らす音が、私の鼓膜を揺らした。
「そう。何もかも、あいつの仕業だよ」
炬白が即答する。私はどうしても疑問が拭えなくて、質問を重ねた。
「あの子も、焔咒も炬白と同じ精霊なんじゃないの? どうして人を傷つけるような事を……」
私の知る限りでは、精霊と鬼は人智を超えた存在であるという点では共通している。だけど本来は全く対極をなす存在で、精霊は人を守り、反対に人を殺めたり災いをもたらすのが鬼の筈。
だけど、焔咒は見る限り鬼には見えないし、炬白も彼とは面識がある様子だった。外見的には精霊に見えるけれど、焔咒は鬼という事なのだろうか。
「確かに焔咒も精霊だよ、だけどあいつは……焔咒はオレ達みたいな精霊とは、違うんだ」
「違う……?」
なんとなく、そんな気はしていた。
炬白も、二年前に会ったもう一人の精霊の女の子――千芹ちゃんも、焔咒のような邪悪さは帯びていなかったから。
「とにかく姉ちゃん、焔咒に気を許したら駄目だよ。何をされるか分かったもんじゃない」
釘を刺すような、炬白の言葉。疑問は尽きないけれど、問い返している場合ではなかった。
柚葉が地面を蹴り、私に向かって一直線に突っ込んできた。
「うあああああああああッ!」
血を吐くような叫びと共に、黒霧の刀が振り下ろされる。
その速さは人間業とは思えなくて、気を抜いていたらまず防げなかったに違いない。炬白の言葉を借りれば、『鬼の力』がもたらしている強さなのだろう。
「うぐっ!」
天照で受け止めた瞬間、衝撃が私の腕から肩を……そして全身を走り抜ける。それよりも何よりも、友達から憎しみを持って刃を振るわれているという事実の方が、私には痛い気がした。
「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる……!」
壊れた機械のように発せられる、私への殺意の言葉。その最中にも柚葉は力を込め、私の身に刀を命中させようとしてくる。
その力はいつもの柚葉とは段違いに強くて、さらに私はある事に気付く。
天照の刀身に触れているのに、黒霧の刀は形を崩す事すらしていない。先程の生魂鬼の時も、二年前の怪異の時も、天照の力があれば鬼を撃退できていた。だけど、今回は違うという事なのだろうか。
柚葉に宿された鬼の力とは、そこまで強大な物なのか。
「ほら、隙ありだよ!」
場違いな程に明るくて、無邪気に弾んだ声。誰が発したのかは、すぐに分かった。
この怪異を引き起こした張本人、焔咒だ。柚葉の刀を押し返しながら視線を横に泳がせると、呪符を片手に何枚も持ち、焔咒が空を泳ぐように迫ってきていた。
今、私には彼の攻撃を防ぐ術がない、いけない――そう感じると同時に、見知った後ろ姿が私の前に歩み出た。
「!」
ブレーキをかけるかのように、焔咒が空中で止まる。その理由は、彼と私の間に割って入った炬白だ。
「姉ちゃんには、手を出させない」
柚葉の刀を押し返しながら、私は炬白と焔咒のやり取りを見守る。
「分からないなあ……炬白、どうしてそんなただの人間の女の子を守る為に必死になるの?」
炬白は、何も言わなかった。すると焔咒は笑みを浮かべ、さらに続ける。
「ああ。そうか、そういえばその子は君の……」
焔咒の言葉を遮るかのように、炬白が鎖を振るった。
顔は見えないけれど、炬白の動作にはどこか焦りのような感情が垣間見えていて、焔咒の言葉を何としてでも食い止めたい、そんな意思が感じられる。
どういう事なのか、私は思わず気になってしまう。焔咒は何を言おうとしたのだろうか、私が炬白の……何だと言うのか。
「だああっ!」
クールな炬白に見合わない、切羽詰まった声。
彼が振るった鎖は空中の焔咒に向かっていくが、空を舞う能力を有している焔咒は容易く避けてしまう。目標を失った鎖は紫色の光の軌跡を残しつつ、そこに生えていた大きな柳の木をかすめ、細長くて緑色の葉を辺りに撒き散らした。
「炬白……?」
あれ程必死になってでも焔咒の口を塞ぎたいだなんて、炬白は私に何かを隠している……?
しかし、私は微かに芽生えた炬白への疑念を必死になって打ち消した。何か事情はあるのかも知れないけれど、彼は私の味方だ。二年前には命を救われ、そして今も共に怪異に立ち向かってくれているのだ。
さらに今は、考え事をしている暇は無い。目の前には柚葉が居る、私は彼女と戦わなければならない。戦って、彼女も助けなければならない。
そして、鬼の力によって意識を奪われた私の友達や、他の水鷺隝の人達を救わなければならないのだ。
「くく……分かったよ炬白、少し遊んであげるよ!」
焔咒が後退して、炬白がそれを追っていく。
柚葉と私、焔咒と炬白。それぞれの相手と対峙する形になった。少しだけ心細い気持ちを覚えたけれど、炬白は呼べば助けに来てくれる程度の距離に居るし、彼に頼り切る訳にはいかない。
私は再び、注意を全て柚葉に向けた。
「柚葉……!」
生きたまま鬼と化した友達は、私の呼び声に応じる事は無かった。彼女の刀と私の天照が擦れ合う音が、耳に入ってくる。
とにかく、このままでは力で押し切られるのが目に見えているし、柚葉が黒霧を利用した攻撃を仕掛けてくる危険があった。
膠着状態を破るため、私は全身の力で天照を押し出し、柚葉を前方に突き飛ばした。
「ぐっ!」
柚葉がバランスを崩し、その身が後方へと下がる。同時に私も後方へと飛び退いて、天照を構え直した。
今一度、彼女の出方を伺ってみる事にした。二年前にも、鬼の黒霧を退けた経験はある。注意深く見ていれば、柚葉の攻撃は防ぐ事が出来る……頬を伝う汗を感じながら、私はそう考えを巡らせていた。
しかし次の瞬間、予想だにしない事が起こる。
突然、柚葉がビクッと身を震わせたと思った瞬間、両手で頭を抱え、そして――。
「うぐっ、あああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああッ!!!!!」
喉が裂けるような絶叫を放った。そして同時に、彼女の身を包む黒霧が一気に増大する。初めは瞬く程度だったそれが、まるで爆発したかのように大きくなり、柚葉の亜麻色の髪や制服を激しく靡かせる。
「柚葉!」
返事などある筈がない、そう分かっていても私は、呼びかけずには居られなかった。
黒霧の渦の中、落ち着きを取り戻した柚葉が次第に顔を上げ、そして私と視線が重なる。赤い瞳が私に向けられたと思った瞬間、
《殺してやる……》
耳が聞き取った声ではなかった、だけど私は確かに、柚葉が発した意思を受け取った。




