其ノ拾七 ~鬼狩ノ夜 其ノ四~
姿形は、確かに私のよく知る柚葉そのものだった。整っていて綺麗な容姿も、背中の真ん中くらいまで伸ばした亜麻色の髪も今までと同じ。
だけど、その目は血のように真っ赤な光を放っていて、更に彼女の肌はそれまでの透明感を失い、制服に覆われていない顔や手の甲には、紫斑とも血管とも思える紫色の模様が浮き出ていた。
化け物。友達をこんな風に称するのは酷い事だって分かってる、でも私には、それ以外に今の柚葉を形容する言葉を考え出せなかった。
どうか、違って。目の前に立っている少女が、私の知っている躑躅宮柚葉ではなく、彼女の姿をした別の何かであって。そんな私の淡い願望を打ち砕く言葉を、彼女は発した。
「ふふ……私を見てよ世莉樺」
不気味な笑みとともに発せられた言葉。それは間違い無く聴き慣れた声で、彼女が柚葉である事の証拠でもあった。
きっと私は今、驚きよりも恐怖に染まった表情をしているに違いない。どうして、柚葉があんな姿になってしまったのか。彼女に一体何が……?
「柚葉……何があったの? 何をしたの……!?」
私が発した震えるような声に、柚葉が歩み出る。霧の中で彼女の赤い目がゆらりと揺れて、まるで人魂のようだった。
「あんたの所為よ……何もかも全部……あんたの……!」
呟くかのように発する柚葉の顔に、もう笑みは無い。
「部長に選ばれなかったのも、宗谷君に捨てられたのも、私がこんな風になったのも……私はあんたが憎い、妬ましい、赦せない……!」
怨恨そのものを吐き出すかのような柚葉の言葉が、私の胸に突き刺さる。
彼女に何があったのかは分からない。けれど、私が関係しているという事だけは明らかだった。いきさつがどうであれ、私の所為で柚葉はあんな風になってしまったのだ。罪悪感が頭の中を塗り潰し、何も考えられなくなる。
しかし、その場に黙って立っている事は出来なかった。
「殺してやる……殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!!!!!」
私への殺意を吐き出す柚葉。風が吹き荒れるかのように、彼女の体を突如黒い霧が覆い始める。亜麻色の髪や制服が激しく空を泳ぎ、さらに周囲に砂埃が立ち、木々がざわめく。
あの黒い霧、あれは……!
「鬼の黒霧……! あの人、鬼の力を宿されてる……」
炬白の言葉で、確信が持てる。見た目も雰囲気も、二年前の時と同じ。いや、あの時以上に冷たくて、邪悪で……そして禍々しく感じた。
間違いない、あれは『鬼』の証だ。
「くく……さあ、存分に怨みを晴らしなよ!」
後方に居た焔咒が、嬉々とした声でそう発する。虫を殺して遊ぶ子供のような無邪気さ、そして残虐さが垣間見えた。
それを合図にするかのように、柚葉が見えない何かを掴み取るかのように、その右手を空に向けて突き上げる。彼女が纏う黒霧が、吸い込まれるかのようにその右手に集まり始め――そして、一本の刀を形作る。黒霧から作り出された、真っ黒な刀だ。
「まさか、あれ程の霊力を……」
あの刀の事を、炬白は知っているようだった。だけど、問うている暇は無かった。
凄まじい叫び声を上げながら、柚葉が神社の石畳を蹴り、私に襲いかかってきたから。到底人間業とは思えない速度で、彼女が黒い刀のリーチに踏み入るまでに要した時間は、たった数秒。
「姉ちゃん、危ない!」
柚葉の信じられない速度に、炬白も反応出来なかった様子だった。
彼が私へ警告を発したのとほぼ同時に、私への怨みや怒り――負の感情を形にしたような刃が、振りかざされる。
「っ!」
考えるよりも先に体が反応し、私は天照で黒霧の刀を受け止める。
柚葉の赤い目が、間近で私を見つめる。彼女の口元には、笑みが浮かんでいた。
「やめて柚葉、目を覚まして!」
両腕に力を込め、天照で黒霧の刀を押し返しながら、私は語りかける。だけど、恐らくその言葉は彼女に届いていなかったのだろう。
「ああああああああッ!」
喉が裂けるような声を上げたかと思った瞬間、柚葉の身を包む黒霧が爆散する。
――危ない!
私が即座に危機感を抱いたのは、二年前の怪異の時の体験を思い出したから。あの時に遭遇した鬼も黒霧を纏っていた、そして、その黒霧で多くの人の命を奪い、私も殺されそうになった。
離れなければ……! そう思った瞬間、視界の端に紫色の光が映る。
「はああっ!」
目線を僅かに右へ向ける。すると炬白が、その小さな外見に見合わない勇ましい掛け声とともに、紫色の光を纏った鎖が放られる。踏み込みの動作と共に投げ付けられた鎖は、一直線に柚葉の元へ向かっていく。
柚葉が私の持つ天照を弾き、視線を鎖の方向へ集中させた。黒霧の刀を振ったと思った瞬間、鎖の先が柚葉に命中する。
「うっ!」
バチッ、という火花が散るような音とともに紫色の閃光が飛散し、私は思わず袖で顔を隠す。
一撃を受けた柚葉が、数メートル後退した。見た所、彼女は今の攻撃でダメージを負ったようには見えない。
「まさか、防がれた……?」
私の隣で、炬白が鎖を手繰り寄せながら呟く。私ははっとして柚葉に、そして焔咒に視線を移した。鎖を手元に引き戻している間は、炬白は無防備になる。その間に攻撃が繰り出されたら、私が守ってあげなくちゃいけない。二年前の怪異の時、学んだ事だ。
けれど、柚葉と焔咒が攻撃をしてくる事は無かった。二人はまるで、様子を見るかのようにその場に立っているだけだ。
「きっと二年前よりも辛い戦いになる……姉ちゃん、気を抜かないで」
炬白が私を鼓舞する。私は天照を握る手に力を込めながら、応じた。
「うん、皆を助ける為に……絶対、負けられないから……!」