其ノ拾五 ~鬼狩ノ夜 其ノ弐~
「はああっ!」
襲いかかってくる生魂鬼を、私は炬白と一緒にひたすら打ち払う。
個々の力はそれ程でもないようだけれど、いくら倒してもまた次が来る。油断は出来なかった、前後左右、夜闇と霧に紛れて、どこから襲われるか分からないから。
炬白が鎖を手元に引き戻しながら、告げた。
「よし。姉ちゃん、進もう」
手近に迫っていた生魂鬼は、もう倒した。数メートル先にはまだ何体か蠢いているけれど、わざわざ相手にする必要は感じない。
「うん!」
私は炬白に返事をして、彼の小さな背中を追う。
その時ふと、私の頭に疑問が浮かんだ。炬白の隣で走りながら、私は彼に尋ねる。
「炬白、どこに向かうの?」
猛襲を掻い潜りながら、私達が向かう先。それをまだ、私は聞いていなかった。
「水鷺隝大彌國神社だよ」
炬白に告げられたのは、意外な場所だった。あの世界遺産にも登録されている神社が、この状況と何か関わりがあるという事なのだろうか。
それを炬白に問う猶予は、与えられなかった。
「っ、ここにも……!」
数えるのも馬鹿らしくなる程の生魂鬼が、目の前に現れたのだ。
霧の中でゆらゆらと動く無数の人影は、ゆっくりと、しかし確実に私達に迫ってくる。その光景は、表現する言葉も思い浮かばない程に不気味だった。
「この数……もう始めてるな、あいつ」
鎖を張りながら発せられた炬白の言葉、その意味を問うより先に、言葉が続けられる。
「姉ちゃん、どうやら時間が無いみたいだ。急ごう」
炬白の幼い外見に似合わない、冷静な口調。だけどそこには、焦りの感情が内包されているように感じた。どういう意味なのか教えて欲しかったけれど、その時間は無いらしい。
間違いないのは、今の状況に重ねる形で、更に何かが起ころうとしているという事だ。
「うん……!」
全く恐怖を感じないと言えば嘘になる。だけど一刻も早く皆を助けたい、その気持ちの方が遥かに優った。
私は炬白と一緒に、無数の生魂鬼達へと走り寄る。私と同じ高校の制服を着た男の子や、水鷺隝の住民と思われる老年の男性、小さな女の子まで居た。少なからず躊躇しつつも、私は天照を振るう。
生魂鬼がその姿をしているという事は、元である本物の人々が命の危機にあるという事なのだ。だから、立ち止まってなんていられない。
そう、分かってはいたのだけれど。
「ぐっ……!」
小さな女の子の生魂鬼を前にして、私は思わず手を止めてしまった。私にも弟と妹がいる、思わず目の前の女の子と重ねてしまったのかも知れない。
その時、視界の外から放たれた鎖が、女の子の生魂鬼を打ち抜いて消滅させる。
「迷う必要は無いよ」
鎖を引き戻しながら、私の心情を察した様子で炬白は言う。
彼の一撃を受けた女の子、その顔が不気味に歪み、煙のようにゆらゆらと消えていく。
「生魂鬼は人の姿形を真似て作り出された、言わば『幻影』なんだ。哀れみも良心の呵責も無い、隙を見せるのは命を捨てるのと同じだよ」
私は唾を呑む。
理由はあれど、先程天照を振るうのを中断してしまった事を後悔する。
「ごめん炬白、大丈夫だから……!」
もう、彼に迷惑はかけられない。私は天照を握り直して、再び無数の生魂鬼と戦い始める。
個々の力はそこまででもなかった。けれど倒したそばから、霧と夜闇の中からまた新しいのが現れて、一向に終わりが見えない。
三十体? 四十体? もしかしたら百以上も倒したかもしれない頃、私はある事に気付いた。
「そういえば……」
肩で息をしつつ私がそう呟いた時、生魂鬼の攻撃は一時止んでいた。
「どうしたの?」
そう私に問いつつも、炬白は周囲に気を配り続けている。
「生魂鬼の中に……柚葉が見当たらないの」
「柚葉?」
私が抱いた疑問、それは無数に襲い来る生魂鬼の中に、柚葉の姿が無い事だった。
私の友達、朱美や日和や他の皆の姿を持つ生魂鬼は大体見た気がする。学校の先生や、他のクラスの生徒達も同様、それから旅館で見た覚えのある人も。
だけどただ一人だけ、柚葉の姿を持つ生魂鬼だけは見ていないのだ。あんな事があった後だし、忘れるはずがないから確信がある。
さほど重要な事でもない……そう思ったけれど、
「その柚葉って人は、姉ちゃんの知り合い?」
炬白は表情を曇らせて、そう呟いた。それまで落ち着いていた炬白の声色に、焦りのような感情が滲んだ気がする。
「そうだけど……何か関係あるのかな、炬白」
私は炬白へ問い返す。彼は考え込むような面持ちを浮かべ、数秒後に再び私と視線を合わせた。そして、予想もしない言葉が発せられる。
「その人は、姉ちゃんに恨みを抱いていたりした?」
「えっ……」
頭が真っ白になるような感覚。
そして私は、思い出す。いや、思い出さざるをえなかった。柚葉が怒りを込めて私を叩いた時の事、彼女の怒りに満ちた顔、憎しみそのものを吐き出すような声。
理不尽だとは思うけれど……間違い無く彼女は、私に恨みを抱いていた。
少しの沈黙の後、私は炬白の目を見つめて、頷いた。
「うん」
どう意味に受け止められるかは分からない。けれど、正直に答える以外に道は無かった。
すると、炬白はそれ以上質問を重ねようとはせずに、
「て事は、もしかしてその人を器にして……」
そう呟いた。
どういう意味なのか気になったけれど、霧の中から再び無数の人影が浮かび上がった。
「っ、また来た……!」
天照を構え直すと、銀色の刃が月光を反射する。この真剣を抜いたのは二年前、あの怪異の時以来だけど、汚れ一つ付いていなかった。
「姉ちゃん、急ごう」
炬白の言葉には、切迫した色が垣間見える。
そして、彼の口から続けられた言葉には、危機感が満ちていた。
「早く止めないと、大変な事になる……!」
何も分からない私は、戸惑いに近い感情に支配されていた。炬白がそこまで恐れている物とは、なんなのだろうか。
「炬白、どういう事? 大変な事って……?」
炬白は私に横顔を向けたまま、答えた。それは耳を疑うような、余りにも信じ難い宣告だった。
「……世界が、終わってしまうかもしれないんだ」