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鬼哭啾啾3 ~溟海の鬼姫~  作者: 灰色日記帳
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其ノ拾弐 ~遭遇~

 

 我が目を疑った。しかし、世莉樺の瞳は紛れもない事実を映していた。

 旅館の廊下には、溢れるように人が倒れていたのだ。世莉樺と同じ高校の制服を着た少年少女達が多く見受けられるが、教員や中居の姿もある。皆僅かも動く様子を見せず、意識を失っているように見えた。

 仰向けに倒れている者も居た。その者達は、世莉樺の友人達と同じように目を見開いていた。


「え……えっ……!?」


 多くの人間が、同時に、全く同じ様子で倒れている。未だかつて遭遇した事のない状況だった。

 一体何故、こんな事になっているのだろうか。世莉樺は困惑したが、数秒の後に自分が取るべき行動を見出した。立ち尽くしているだけでは、何も変わらないのだ。


「大丈夫ですか、大丈夫ですか?」


 手近に倒れていた若い中居の女性の肩を揺すりつつ、世莉樺は問いかけてみる。返事は無かった。女性は返事をするどころか、世莉樺と視線を合わせる事すらも無かった。

 次に駆け寄ったのは、世莉樺と同じ高校の制服を着た少年。彼も同じく、世莉樺の言葉に反応を示す事は無かった。

 その後も、世莉樺は倒れている人々に手当たり次第に声を掛けてみた。そして誰も返事をせず、全員の体が死んでしまったかのように体温を失っている事を確認した。


「そんな……そんな……!」


 倒れている者の中には、朱美や日和と同じような世莉樺の友人の姿もあった。

 絶望感が世莉樺を覆い包む、そして困惑する。何故このような状況になったのか、そして何故、自分だけが無事なままなのだろうか。

 皆一斉に何かの病気にかかった、という仮説を立てたが、それでは世莉樺だけが健常である事と矛盾する。


(とにかく、助けを!)


 理解出来ない事が山積していたが、考えている暇など無かった。今はとにかく、皆を救う事だけを考えなければならない。

 世莉樺は駆け出し、旅館の入口へと向かった。その最中にも幾人もの倒れた人の姿を目にし、自分が異常事態の中に居る事を再認識する。

 とにかく助けを、人を呼ぼう。そう思っていたが、それ以上に他の人に会いたかった。自分以外で、無事で居る人の姿を見たい。凄まじい孤独感に苛まれている今の世莉樺には、その気持ちの方が強かったのだ。

 旅館の戸を開ける、そして世莉樺は想像もしない光景を目の当たりにした。


(霧……!?)


 周囲が、世莉樺がこれまで見た事もない程に濃い霧に包まれていたのだ。

 白く染まった水鷺隝、地面からはゆらゆらと水蒸気の靄が浮かび、どこか不気味で異様な雰囲気を作り出していた。湿ったような独特な匂いが世莉樺の鼻を撫でる、恐らくこの霧が原因なのだろう。


(何だか、すごく嫌な感じ……)


 これは、ただの霧じゃない? 世莉樺は思わず表情をしかめつつ、何の根拠も無くそう思った。だが、立ち止まっている暇は無い。

 全身に霧がまとわりつくのも厭わず、世莉樺は駆け出した。

 そして水鷺隝の集落にて、彼女は想像を絶する状況を目の当たりにする。


「っ、そんな……!」


 旅館の中だけに、留まっていなかったのだ。

 男性に女性、子供に、大人に、老人――水鷺隝の住人であろう沢山の人々までもが、際限なく倒れていたのだ。


(何で、何でこんな……!)


 氾濫するように孤独感が溢れ出し、不安が恐怖へと変じる。

 何故、こんな事になったというのだろう。大勢の人が倒れ伏す中、どうして世莉樺だけが平気なのか。そして、一体どうしたらいいのか。

 世莉樺はふと、思いついた。


(そうだ、携帯……!)


 どうして気付かなかったのかと思った。

 人々が集団で気絶するという異常事態は、水鷺隝でしか起きていない(確証など無かったが、世莉樺はそう思いたかった)。ならば、携帯で外部の人間に連絡すればいいのだ。

 何よりも、世莉樺は他の者の声を聞きたかった。それ以外に、彼女の孤独感と恐怖を取り去る事が出来る物は無いのだから。

 ポケットから携帯電話を取り出し、操作しようとする。その時、木の枝を踏むような物音が世莉樺の鼓膜を揺らした。


「っ!?」


 弾かれたように振り返ると、霧の中に人影が浮かんでいた。

 

(誰か居る……!)


 自分以外の健常者、今の世莉樺にとっては希望の光と言っても過言ではない。携帯電話をポケットに仕舞う事も忘れて、世莉樺は走り寄る。


「あの、すみません!」


 呼び掛けてみるが、返事は無かった。

 声は届いている筈だった、しかし人影は世莉樺から離れていく。


(あれ? どうして……)


 不審に思いつつも、世莉樺は走る速度を上げる。やがて、人影の様子がおかしい事に気が付く。足取りが落ち着いていなく、不自然に全身を揺らしながらぎこちなく歩を進めるその様子――例えるならば、ホラー映画に出てくるゾンビのような、生気を感じさせない歩き方だ。


(……?)


 酔っているのか、もしくは歩き方に異常をきたす程に体調が悪いのか。


「大丈夫ですか!?」


 再度呼びかけるが、やはり返事は無い。

 けれど、その人物に追いつく事は簡単だった。追っていくとみるみる距離は縮まり、そして世莉樺は気付く。

 その人物が、自分のよく知る少女である事に。


(っ、朱美!?)


 見間違えるはずは無かった。彼女は世莉樺の親友、都留岐朱美だ。


「朱美っ!」


 一際大きな声で彼女の、朱美の後ろ姿に呼び掛ける。

 彼女は旅館で気を失っていた筈だった、それなのに何故ここに居るのか。いや、世莉樺にはそれ以上に、朱美の様子がおかしい事の方が問題だったのだ。

 

「どうしたの朱美、大丈夫!?」


 間近まで駆け寄ると、朱美が足を止めた。そして、彼女が振り返る。


(ひっ!?)


 朱美の顔を見た瞬間、世莉樺は悲鳴を喉の奥で押し潰した。

 親友の顔は異様に白く、目があるはずの眼窩は空洞で、闇が広がっているかのようだったのだ。


「ァ……ァ……ァ……」


 恐怖に凍り付く世莉樺に向かって、朱美は喉を鳴らすような不気味な声を発する。

 そして、彼女の両手が世莉樺の首を暴力的に掴んだ。


「ぐっ!」


 そのまま押し倒され、朱美が世莉樺に馬乗りになる体制になる。全身の体重を掛けて首が絞められ、世莉樺は目を見開いた。


「がっ……う……!」


 危機的な状況にも関わらず、世莉樺は自分の首を掴む朱美の両手に体温が宿っていない事に気付く。氷のように冷たいその手は、正しく死んだ人間の手だ。

 容赦なく世莉樺の首を絞めながら、朱美はあの不気味な声を発し続けていた。


(違う、朱美じゃない……!)


 体温の宿らない朱美の腕を掴み返しながら、世莉樺はその結論を出した。今目の前に居るのは、自分が知る朱美ではなく、全く別の存在なのだ。朱美の姿をした、化け物なのだと。

 一体何なのかは検討もつかない。だが、化け物が自分を殺そうとしている事は明白だった。


「ぐうううっ……!」


 渾身の力で、世莉樺は朱美の、正確には朱美の姿を持つ化け物の両手を自分の首から引き剥がした。そして身を起こし、自分に馬乗りになっていた彼女の体を全力で前に突き倒す。


「あああっ!」


 無意識に声が出て、同時に呼吸が自由になる。

 すぐに世莉樺は身を起こして、先程突き飛ばした朱美に視線を向ける。朱美はのろのろと立ち上がると、再び世莉樺へと歩み寄って来る。


(何なの、これ……!)


 涙を浮かべ、喉に触れつつ咳き込む。そして世莉樺は、次に自分が取るべき行動を見出した。


(逃げなきゃ……!)


 朱美はゆっくりと、しかし確実に世莉樺に歩み寄ってくる。近づかれれば再び、彼女は世莉樺に襲い掛かって殺そうとするだろう。

 それよりも、世莉樺は目の前にいる朱美が、朱美の姿を持つ化け物が恐ろしかったのだ。恐ろしくて、見ていられなかった。一刻も早く、彼女から離れたかった。


「げほっ……くっ!」


 もう一度咳き込んで、世莉樺は地面に手を付いて立ち上がった。そして朱美に背を向けて駆け出す。

 行き先も考える事なく、とにかく走った。

 そして、数分程走った後、世莉樺は水鷺隝の集落の一角で足を止めた。


「はあ、はあっ……っ……」


 霧と汗の水分の所為で、前髪が額に張り付いているのが分かる。

 朱美の姿をした化け物は、もう居なかった。


「はー……っ……」


 僅かばかり安心感が芽生えるが、それ以上に今の状況に困惑していた。

 一体何がどうなっているのか。先程自分が遭遇した化け物は一体……様々な出来事が頭を巡り、さらに世莉樺を疲弊させる。

 ふと、携帯を落としてきてしまっていた事に気付く。しかし、取りに戻ろうとは考えなかった。また、あの朱美の姿をした化け物に遭遇する危険があるからだ。


(どうしたら……)


 打つ手が無かった。これから一体どうすべきなのか、考えていた時だった。

 世莉樺は前方に、霧の中に幾つもの人影が浮かんでいる事に気付く。


「え……!?」


 迫り来る無数のそれは、先程の朱美と同じような生気のない歩き方をしていた。数えただけでも数十は居る。

 やがて世莉樺は気付く。人影は全て、朱美と同様の化け物であり、そして。


「ひっ……」


 全員、世莉樺の知る者達だ。

 日和に、宗谷に、他の同級生達、学校の教員。先程倒れていた事を確認した中居や、水鷺隝の住人達。全員が化け物に変じ、合唱のようにあの不気味な声を発しながら、世莉樺へと迫って来ているのだ。


「いっ……やああああああっ!」


 凄まじい恐怖が、世莉樺の心を塗り潰した。

 親しい多くの人達が化け物と成り、自分を殺そうとしている。その事実が恐ろしくて、気が狂いそうになる。

 踵を返したその瞬間、世莉樺の眼前に先程振り切った筈の朱美が居た。


「ァ……ァ……ァ……」


 空洞になった眼窩、しかし世莉樺は朱美の姿をした化け物が自分を獲物として見ている事が分かった。

 再び、体温の無い両手が世莉樺の首を掴む。


「やめて! やめてっ!」


 即座に振り払うが、今度は後方から肩を掴まれた。振り返ると、日和の姿の化け物だった。さらにその後ろから、無数の化け物達が世莉樺に迫っている。


「いや、いやーっ!」


 喉が枯れるような悲鳴を上げて、世莉樺は自身を捕らえようと伸ばされる手を振り払う。前方に居た朱美を押し退けて駆け出した。

 そして走った。呼吸が苦しくなり、心臓が破れるような感覚に襲われながらも走った。あるのかどうかも分からない安全な場所を追い求め、幾度も化け物に襲われそうになりながら、世莉樺は水鷺隝を逃げ続けた。

 どれだけ逃げ続けたのか、何度人の姿をした化け物に襲われそうになったのかも分からなくなった頃、世莉樺は安全を確保出来る場所を見つけた。

 ある民家の庭の端に備え付けられた、井戸の陰。世莉樺はそこにしゃがんで、身を潜めていた。


「はあっ、はあっ……」


 口を覆い、出来うる限り荒い呼吸を押し殺す。もし化け物の耳に入れば(あの化け物達に聴覚があるかは分からないが)、居場所を教える事になる。

 ふと井戸の陰から身を乗り出して周囲の様子を確認すると、大勢の人の姿をした化け物達が蠢いていた。世莉樺を探しているのだろう。

 

「っ、げほっ……!」


 堪えきれずに、世莉樺は咳を発してしまった。先程首を絞められた所為で、呼吸器系が異常を来たしているのかも知れない。

 気付いた時には、遅かった。あの不気味な声が、世莉樺が身を潜めている場所へと迫り始めていた。

 化け物が近寄ってきている。それを認識した瞬間、恐怖が蘇る。


(っ……!)


 身を隠すように両手で頭を覆い、固く目をつぶる。だがそんな行為は何の意味も為さず、不気味な声は容赦なく世莉樺の鼓膜を揺らしてくる。

 立ち上がって逃げ出す事も出来なかった。そんな事をすれば、周りの化け物達から一斉に襲撃を受ける事になるだろう。

 世莉樺に出来る事は、見つからずに済む事を祈る事。そして、


(助けて……助けてよ……!)


 見知らぬ土地で独り、異常体験の中に投じられた自分へ救いの手が差し伸べられる事。恐怖と絶望に満ちた今の状況から、自分を連れ出してくれる者が現れる事。

 そんな、存在する筈もない可能性にすがり付き、ただひたすら耐え忍ぶ事だけだ。


「ァ……ァ……ァ……」


 化け物の声がより近くなる。もう、すぐ側にまで近寄って来ている。

 逃げ場は無いし逃げる体力は残っていない。見つかれば殺されるのみだ。

 恐怖が増幅し、世莉樺の瞳に涙が滲む。


(誰か……誰か助けて!)


 ――次の瞬間、世莉樺は何者かに手首を掴まれた。






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