表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/12

七話

「やあ」

 僕はひとまず軽い挨拶をしてみた。

「……よお」

 目をそらしながらも、向かいのオグバーンは照れたように挨拶を返してくれた。

「あんまり、変わってないみたいだね」

「たった半年くらいじゃ、何にも変わんねえよ」

 この酒場でオグバーンと喧嘩別れしてから、年をまたいで半年が経っていた。紅葉の秋から、もう花の咲き乱れる季節になっている。時間が経つのは早い。でも、オグバーンはオグバーンのままだ。

「変わったのはお前の方じゃねえか?」

「え? そう?」

 自分じゃよくわからないけど。オグバーンはじろじろと僕を眺める。

「なんつーか……明らかに痩せたよな?」

 言われて顔や腹を触ってみる。うーん、確かにぜい肉は落ちたかな。

「ちゃんと食えてんのか?」

「節約はしてるけど、一応食べてるよ」

「節約ってのが気になるが、食べれてるんなら、まあいい」

 オグバーンはコップの酒を一口飲む。

「……軍やめて、今何してんだ?」

「働きながら勉強してるんだ。衛生兵になるために」

 オグバーンが驚いた顔を向けた。

「お前、そのためにやめたのか?」

「うん」

「初耳だな。お前が医療に興味あったなんて……。で、何の仕事してんだ?」

「日雇いの仕事だよ。荷物運びとか、家畜の移動とか」

「日雇い? それだけじゃなかなか食っていけねえだろ」

「だから節約してるんだよ」

 オグバーンは心配そうに眉間にしわを寄せる。

「どんな生活してるんだよ、お前。まさか、野宿とかしてないだろうな」

「してないって。借りた家に住んでるよ」

 街の外れで僕は、タダ同然の家賃の家を借りて住んでいる。まともな部屋の家賃は今の僕では払い続けることは難しく、やっと見つけたのが今住む家だった。格安すぎる家賃ということで、家の外も中もぼろぼろで穴だらけだ。その当時は冬の初めで、野宿して風邪でもひいて、試験に行けないような事態は避けたいと思い、仕方なくこのぼろ家を借りることにしたのだ。穴だらけでも、それなりの雨風は防いでくれるから、今のところ風邪はひいていない。

「そうか。ひどい生活じゃなきゃ、いいけどよ……」

 呟くように言って、オグバーンは酒を飲む。愛想はないけど、その言葉には優しさを感じる。もしかして――

「心配してくれてるの?」

 聞いた途端、オグバーンは戸惑った表情で弾かれたように僕を見た。でもすぐに険しい目付きに変わり、睨んできた。

「死にたがりの心配なんかするかよ! お前なんか――」

「冗談だよ、冗談。そんな大声出さなくても……」

 僕を睨む鋭い目が、最後に会ったあの日を思い出させる。オグバーンは僕に対して苛立ち、怒り、そして離れていった。そう簡単には元通りにならないことはわかっている。でも、できればあの日以前のように戻って、話を聞いてもらいたかったんだけど、それは無理かもしれない……。

 ふと見ると、僕を睨んでいたはずのオグバーンは、頭を抱えるように机に突っ伏していた。コップの酒はまだ大分残っている。酔うには早すぎる。

「……どうかしたの?」

 返事はない。僕の顔すら見たくないということだろうか? 一体どうしたらいいのか。何もできず、不安になりながら黙って帰ろうかと考えていると、向かいから低いうなり声が聞こえてきた。突っ伏しながらオグバーンがうなっている。声をかけようにもかけづらい。じっと見つめていると、急にオグバーンは顔を上げた。

「……俺っちも、お人好しだよな」

 ぼそっと言うと、オグバーンは上目遣いに僕を見た。

「俺っちはまだ、お前のことを馬鹿だと思ってる。でも、馬鹿なやつほど構いたくなるっつうか……何となくわかるだろ?」

 わかるような、わからないような……とりあえずうなずいておく。

「やっぱり、お前とは腐れ縁なのかな」

 オグバーンは椅子に座り直し、腕を組む。

「お前が俺っちを呼び出したのは、またあれ関係のことなんだろ?」

 見透かされていたのか……オグバーンは鋭い。

「その顔見りゃわかるって。話してみろ。聞いてやる。何か思い付いたら、妙案も言ってやるよ」

「……馬鹿に、付き合うのか?」

「友人のよしみだ」

 オグバーンは苦笑を浮かべた。僕もつられて笑顔になっていた。久しぶりに人の温かさに触れた気がした。

「あ、でもな、俺っちはお前が死ぬのには反対だからな。そこだけは勘違いすんなよ」

 語気を強めてオグバーンは言う。それだけはかたくなな気持ちらしい……。それでも、こうして話を聞いて意見してくれるだけで、僕にはありがたい。

「それで? 今回の話は何だ」

「うん。さっき言った衛生兵のことで、その試験なんだけど……」

 これにオグバーンは目を丸くしてこっちを見る。

「試験って、今回は呪い関係のことじゃないのか?」

「これも一応、その関係なんだけど――」

 僕は安楽死に使う薬を手に入れる道筋を簡単に説明した。するとオグバーンは呆れたように言った。

「衛生兵になるのは、そのためだったのか……最悪の動機だな」

「盗み取るよりはいいだろ。……それで、昨年末の第四次と、今年の第一次の試験を受けたんだけど――」

「合格点が取れないっていうのか? そんなの勉強しろとしか言えねえぞ」

「違うんだ。筆記試験はちゃんとできたんだよ」

「なら普通、合格だろ。医療部門には実技なんてないんだろ?」

 軍事部門には武技の腕を見せる実技試験があったが、戦わない医療部門にはそれがない。でもその代わりに――

「実技じゃなくて、面接試験があるんだ」

「へえ……で、それの何が問題なんだ?」

「面接官が二人いるんだけど、昨年末の試験でその一人が、イビン少将だったんだ」

「……誰だそれ」

 首をかしげるオグバーンの目を、僕はじっと見た。

「少将は、僕が安楽死したいことを知っている人なんだ」

 オグバーンは息を吐きながら、二度うなずいた。

「なるほどな。死にたがりと知ってて、合格にするやつはいないってことか」

「できるだけ取り繕いながら質問に答えてたんだけど、はなから疑われて……最後は僕が薬目的だと、少将は完全に見抜いてた」

「本当の目的を知られたんじゃ、望みはねえな」

「でも、僕だって諦められないから、今年も試験を受けに行ったんだけど――」

「また面接で落ちたか?」

 僕は首を横に振った。

「筆記試験の入り口で門前払いだった」

「はあ? 受けさせてももらえないのか? 初めて聞くぞ、そんなこと」

 試験の受付で名前を告げた途端、急に相手の表情が曇ったかと思うと「あなたはこの試験を受けることができません」と言われて、その理由も教えてもらえず僕は帰されてしまったのだ。

「多分、少将が言ったんだ。ウェルス・バイデルという男が来たら追い返せって。もう試験も受けられなくなって、僕はこれからどうすればいいのか……」

 道がまったくわからなくなってしまった。安楽死という目的地が見つかった矢先に、突然の暗闇に襲われて身動きができなくなってしまった状況だ。行く先は照らされて見えるのに、肝心の道がわからない。一人じゃ切り開けそうにもなく、ふと頭に浮かんだのがオグバーンだった。これまで数々の案を出してくれた彼にすがる他なく、今日こうして呼び出したのだ。

 そのオグバーンは、コップの酒を飲みつつ、宙を睨んで思案してくれている。どうか、いい案が出ますように……。すると、オグバーンはコップを机に置き、こっちを見た。

「もうさ、死ぬの諦めろよ」

 思わず溜息が出た。またこのやり取りか……。

「ずっと前にも話したことだよ。僕の死にたい気持ちは動かない。それは自分のためなのと同時に、周りの皆のためでもあるんだ」

 オグバーンの眉間にしわが寄る。

「だからさ、お前が死んだって……」

 まくし立ててくるのかと思いきや、オグバーンは言葉を切り、難しい顔でうつむいてしまった。

「……駄目だ。これじゃ前の時と同じだ。言い合ったって意味はねえ」

 僕はうなずく。オグバーンも喧嘩はしたくないという気持ちは同じようだ。せっかくこうしてまた話せているのに、前と同じことを繰り返してもしょうがない。もっと違う角度から切り込みたいのだけど、残念ながら僕にはそれが思い付かない。

「オグバーン、頼むよ」

 僕にはもう、彼の閃きしかないのだ。

「………」

 あごに手を当てて、一点を見つめながらオグバーンは考えていた。それを僕は祈る気持ちで見る。オグバーンなら、いい案が思い付ける。絶対に……。

 時折、深く息を深く吐きながら姿勢を変え、かなり集中して考えてくれていたが、しばらくすると椅子の背もたれに倒れ、あーっと小さな声を上げて天井を見上げた。

「……ないな」

「ええっ?」

 僕は思わず立ち上がった。そしてすぐに力が抜けて椅子に沈み込んだ。そんな……オグバーンだけが頼りだったのに。

「でも、まったくないわけじゃないんだけど――」

 僕は素早く顔を上げた。オグバーンは悩んだような顔を浮かべている。

「これはお前が絶対に嫌がる方法だ。それでも聞くか?」

「……とりあえず、聞かせてくれ」

 他に方法がないなら、聞くしかない。僕の答えにオグバーンは椅子に座り直し、真面目な表情になる。

「お前が、魔術師の弟子になるんだ」

 一瞬、自分の耳を疑った。

「待ってくれ……魔術師は呪いをかけた張本人だ。オグバーン、からかわないでくれよ」

 僕は無理矢理笑ってみたが、目の前のオグバーンは微塵も表情を変えない。これは、大真面目な案なのか……。

「思った通りの反応だな。でも、これしか思い付かなかったんだよ」

 酒をぐいっと飲み、オグバーンは僕の答えを待っている。何で、何で僕が魔術師の弟子にならなきゃいけないんだ? そこに納得できる理由なんてあるのか? 僕は冷静を装い、聞いてみた。

「その、方法を考えた理由は?」

「呪いをかけた本人なら、呪いを解く方法も知ってるかもしれない。まあ、それだけだ」

 それだけって……。

「それなら、弟子なんかになる必要はないと思うけど」

「そうだな。弟子じゃなくても、使用人とか下男とかでもいい。とにかく、魔術師の側に入り込むんだ。親しくなれば相手も気が緩んで、ぽろっと話すかもしれない」

「国にも頼りにされてるような人物だぞ。そんな人間が簡単に気を許すと思うか?」

「気を許さなきゃ、隙を見て本でも文献でも見ればいい。魔術師の家には本が山ほど積んであるんだろ? 掃除してる間に盗み見し放題だ」

 さすがに残った案だけのことはある。行き当たりばったりの内容だ。

「……じゃあ、もし魔術師が弟子も下男もとらなかったら?」

「泣き付け」

「え?」

「同情を引く言葉でその気にさせろ」

 本気なのか? と思うが、オグバーンは至って真面目らしい。

「一日じゃ無理だろうから、そうだな……最低一カ月は通いたいところだな」

「一か月も……泣き付くの?」

「言葉ってもんは、じわじわ染みてくる。何日も通えば魔術師の態度も変わってくるはずだ」

「変わらなかったら?」

「魔術師は冷淡な人間だったってことだ」

「それで、終わり?」

「そうなったら、また一緒に妙案を考えてやるよ。とりあえず、今はこの方法しか思い付かない。やるかやらないかはお前次第だ。どうする?」

 絶対にやりたくない。相手は魔術師だ。僕をこんなに苦しめる犯人だ。そんなやつの側にまた行くなんて、恐ろしくて想像もしたくない。でも、オグバーンが言うように、呪いをかけたなら、それを解く方法も知っている可能性はある。あるが、確証はない。ないけど、もしかしたらということもある。……ああ、でもやっぱり怖い。泣き付いて魔術師の機嫌を損ねたら、もっと強力な呪いをかけられたり、その場で呪い殺されたりするんじゃないだろうか。どうしよう。僕はどうしたらいい? 小さな可能性にかけてみたい気もするけど、魔術師の力も恐ろしいし……。

「お前も伊達に兵士だったわけじゃないんだ。厳しい演習の頃を思い出せ。虎穴に入らずんばって、よく言われたろ」

 確かに、本番さながらの部隊演習の時、高い崖から一人ずつ飛び降りる場面で、足がすくんで動けない兵士に、部隊長は口癖のようにそう言って部下を叱咤していた。軍に入りたての兵士は功名心が高いから、その一言が僕らの背中を強く押してくれた。土壇場では、危険を冒さなければ望む結果は得られないと。まさに今がその土壇場だ。魔術師に近付くのはかなりの恐怖だし、危険もある。それでも、望む結果を求めるのか。それとも、危険なものには近付かず、次の案が出るまで待ち続けるのか。僕は――

「やっぱ、お前向きな方法じゃねえな。他の――」

「やってみる」

 僕の答えに、オグバーンはあからさまに驚いて見せた。

「そんなに驚かなくても」

「いや、絶対やらねえと思ったからさ」

 今もやりたくない気持ちはある。でも、やらなかった時、呪いに怯える生活があるだけで、いい変化は何もない。その間に僕の身に何もないとも限らない。呪いの力は予測不能だ。多かれ少なかれ、どっちにも危険があるというなら、僕はそれを覚悟して結果を取りに行こうと決心した。恐怖心はある。迷いもちょっとある。それでも前進しなければ結果は遠いままだと思ったのだ。

「まあ、決めたんなら何も言うことはねえ。後は俺っちが言ったことを参考に頑張ってみてくれ」

 オグバーンはコップの酒を一気に飲み干す。これが彼との最後にならなきゃいいけど。そう思ったら、頭に嫌な想像が浮かんだ。

「……もしも僕が魔術師に会った後、音信不通になったら、オグバーン、僕の骨を探して家族に渡してくれないか?」

 これにオグバーンは、今にも笑いそうな顔で言った。

「お前さあ、前線に送られる兵士じゃねえんだから。悲観的になりすぎだろ」

「僕は悲観的になんか……ただ、万が一のことを考えて頼んでおこうかと」

「はいはい。そん時は俺っちが面倒見てやるよ。だから余計な心配は捨てろ」

 雑な言い方に、これは余計じゃなく、切実な心配だと言い返そうかとしたが、こんなことで言い合っても意味はないと思い、僕は口を閉じた。会いに行く相手は呪いを使うんだ。きっと他にもいろいろ使えるに違いない。命を奪うことだってお手の物なんだ。そんなところに行くのに、心配を捨てられるわけがない。オグバーンの明るい性格が羨ましいよ。

「話は決まったな。俺っちはもう帰るぞ」

 オグバーンは席を立とうとする。

「え? 一杯しか飲んでないのに、帰るのか?」

 いつもの彼なら、最低三杯は飲むのが普通だ。

「明日、お偉いさんが来るとかで、模擬演習があるんだよ。下手な姿は見せらんねえからさ」

 体調管理には無関心かと思ってたのに、意外だな。

「そういうことだから、じゃあな」

 踵を返し、席を離れるところで僕は咄嗟に呼び止めた。

「待って!」

「……ん?」

 オグバーンが振り向く。……何だろう。まだ一人になりたくない。

「……もうちょっと、話さないか?」

 するとオグバーンは、僕の顔をじっと見てくる。

「な、何?」

「もしかして、ビビってんのか?」

 ああ、そうだったのか。僕は怖がってるのか。だから一人になりたくないのか。

「魔術師のことは置いといて……楽しい話を聞かせてくれよ」

 言った途端、オグバーンは大声で笑い出した。

「はっはっはっはっ……ガキじゃあるまいし、怖い話を聞いた夜は一人で便所に行けないのか、お前は」

「僕は命がかかってるんだ。子供と一緒にしてほしくない」

「わかったよ。眠れるまでお話してあげますよ」

「だから、一緒にするな!」

 オグバーンは結局、深夜まで僕に付き合ってくれた。明日は模擬演習だって言ってたのに、話しながら四杯も酒を飲んで、最後は酔ったオグバーンを僕が抱えて、兵舎まで送るはめになってしまった。それでも楽しい話で盛り上がれて、その夜はぐっすりと眠ることができた。これもオグバーンのおかげだ。またこんなふうに飲める時がやってくるといいんだけど……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ