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六話

 数日後、僕は隊の訓練を終えた後の昼休みを使って、兵舎の隣にある軍病棟に向かった。兵士になって二年経つが、この建物に入るのはこれが初めてだ。きつい訓練をしても、幸い怪我や病気とはまったくの無縁で今までやってこれたのだ。でも、丈夫な体でよかったと思う反面、同僚がこの建物に運ばれていくのを見て、ああ、次の訓練休めるのか、と羨ましく思ったこともある。ここは健康と引き替えに、一日中休めるところ――僕はそんな印象でこの建物を日々眺めていた。

 扉を開けて中に入る。すると、すぐに病院独特の臭いが漂ってきた。これは街の病院でも同じだが、一体何の臭いなのだろう。薬なのか消毒液なのか、とにかく日常では嗅ぐことのない臭いだ。

「どうしましたか?」

 右にある受付の奥から、軍服の女性が聞いてきた。ちなみに、軍医や衛生兵は普段白衣を着ていない。患者の治療に当たる時だけ白衣を着るので、素人から見ると軍医と兵士の違いはよくわからないだろう。

「あの、体調がよくなくて……」

 僕はわざと具合の悪そうな顔で言った。まさか死に方を聞きにきたとは言えない。

「そうですか。では、一番奥の部屋で診てもらってください」

「わかりました……」

 僕はうつむき加減に受付を後にする。街の病院だと、緊急でない限り患者は待たされるが、ここは軍関係者専用だから、毎日込み合うこともなく、すんなり医者に診てもらえる。

 外からの光が差し込む長い廊下を進む。その反対側には、第一診察室、第二診察室と順番に部屋が並んでいる。言われたように一番奥の部屋にきた。そこには第五診察室と書かれていた。僕は扉を叩く。

「失礼します」

 ゆっくり開けて中をのぞいてみた。部屋はしんと静まり返り、誰もいなかった。ここで待っていろということなのか? 僕は部屋に入り、中央に置かれていた丸椅子に腰かけた。診察室だからか、部屋はあまり広くない。奥には長い机がある。その上には大量の書類が重ねて置かれていた。多分医者の書いたカルテだ。他にも分厚い本や薬の袋、新品のガーゼなんかが無造作に置かれている。忙しいからなのか、それとも性格なのか、机の上は物で溢れてお世辞にも綺麗とは言えない。でも部屋を見回すと、その他は整頓されている。ごみも落ちてないし、清潔だ。こんなに綺麗にできるなら、机の上もできそうなものだけど……。

「やあ、待たせたかな」

 部屋の奥の扉を開けて、初老の男性が笑顔で入ってきた。奥にも部屋があったのか。

「昼飯を食べていたところでね。一気にかき込んできたよ。私はイビン少将だ」

 僕も挨拶をしようと立ち上がると、少将は手で制した。

「座ったままでいい。そのままで」

 そう言いながら少将は机の前の椅子に、僕と向かい合って座った。

「そう、ですか。では……第十一歩兵部隊所属の、ウェルス・バイデルです」

 机の上から紙とペンを取り、少将はすらすらと何か書いている。

「ふむ……所属は言わなくていい。制服を見ればわかるから」

「あ、はい……」

 毎日軍人相手に診てるんだ。それもそうか。

「で、今日はどうしたんだ?」

 少将の真っすぐな眼差しが僕を見つめる。嘘を言っても仕方がない。ここは単刀直入に聞こう。

「あの、聞きたいことがあるんですが」

「ふむ、わかることなら答えよう」

「医者である少将なら、わかると思うんですが……」

 僕は緊張のつばを飲み込み、言った。

「痛みも苦しみもない死に方を、教えてほしいんですけど」

 少将の顔を恐る恐るうかがう。案の定、穏やかだった表情から、いぶかしむような曇ったものに変わっていた。

「……そんなことを知って、どうするんだ?」

「それは……」

 適当な理由でごまかそうかとも思ったが、ぼろを出して嘘だとばれたら、方法を教えてくれなくなるかもしれないと思い、僕は正直に言った。

「自分で死ぬために、知りたいんです」

 少将の目が、明らかに見開いた。

「君……正気なのか?」

「もちろんです。僕は真面目です」

 正気とわからせるため、僕は少将の目をじっと見た。少将も何か思案するように、僕から視線を外さずに見ている。

「……よければでいいんだが、君が死にたい理由を話してくれるか?」

 僕は躊躇することなく話した。呪いに悩まされ、いろいろ手を尽くしたことを。これに少将の表情は、さっきよりも曇り、険しく変わった。

「――なので、今日はこうして教えてもらおうと思って――」

「もういい」

 少将は手元の紙とペンを机に放り投げた。

「君は私じゃなく、精神科の医師に診てもらったほうがいい。すぐに連絡して――」

「僕は正気です。それは必要ありません」

「私には、正気とは思えないが」

「僕はただ、死にたいだけなんです。それだけで何でおかしいと決めるんですか」

 少将は頭をぽりぽりとかき、困った顔を浮かべた。

「それだけで決めたんじゃない。君は呪いのせいで死ぬと言っている。そんなことは現実的にあり得ないことだ。つまり、妄想ということになる」

「妄想は病気じゃありません」

「そうだ。でも、行き過ぎれば精神に異常を来す。そうなる前に治療を受ける必要がある」

「必要ありません!」

 何で教えてくれないんだ……僕は椅子ごと少将ににじり寄った。

「な、何だ」

「じゃあ、呪いのことは聞かなかったことにしてください」

「何?」

「僕は安らかに死にたいんです。何の苦しみもなく。だから――」

 近付いた僕を、少将は両手で押し離した。

「呪いを忘れても、君が死にたがっていることには変わりない。私はそんなことに協力はできない。帰りなさい」

 椅子から立ち上がろうとするのを、僕は強引に押さえ込んだ。

「何をする!」

「すみません。でも、僕にはもう方法がないんです。唯一の方法を知っているのが、医者である少将なんです」

「医師なんて他にも大勢いる。一人ずつ聞いてきたらどうだ」

 再び立ち上がろうとするのを、僕はまた押さえ込む。

「僕はいつ死ぬかわからないんです。いつひどい死に方をするか……安らかな死を、どうか僕にください!」

 必死に懇願した。頼みの綱は医者の知識だけなんだ。

 すると、押さえていた少将の体から、反発していた力が抜けていくのがわかった。

「……離れなさい」

 厳しい目つきだが、口調は優しい。僕は言う通りに離れた。少将は少し乱れた制服を直しながら僕を見る。

「自殺を、考え直す気はないのか」

「そんな余地はありません。呪いは確実に僕に迫っていますから」

 少将は小さく息を吐いた。

「じゃあ、仮にその呪いがあるものとしよう。そして君に死が迫っているとする。それでも私は君の望みを叶えるつもりはない」

「なぜですか。むごい死に方をしろと言うんですか!」

「私は医師だ。人の命を助けることが使命なのだ。それと真逆のことをしてしまっては、もう私は医師ではなくなる」

「患者の望みを叶えるのも、医者の仕事じゃないんですか?」

 少将が言葉に詰まった様子で僕から視線をそらした。何気なく言った言葉だけど、少将には何か響いたらしい。しばらく沈黙が続いた。

「……それは、私には決断できない」

 決断? 何でそんな言葉を使うんだ? 僕が不思議そうな顔をしていたのか、少将はこっちをいちべつしてから話し出した。

「以前、末期の患者を診たことがあるんだ。彼は病による全身の痛みを訴えてね、早く死なせてくれと毎日のように言ってきた。その様子を見兼ねた上官が、独断で彼を安楽死させてしまったんだよ」

 ……安楽死! そんな方法が……。

「上官は死なせた彼の遺族から訴えられ、医師の資格をはく奪され、軍から去っていった。遺族の怒りを買った時点で、これは決していいやり方ではないが、すべてがそう言い切れるものでもない。遺族は遠く離れたところに住み、彼の苦しみを知らなかった。一番理解していたのが、去った上官だった。上官は彼にしてあげられることをすべてしてあげただけなんだ」

「じゃあ、少将がその上官の立場だったら、同じことをするでしょう?」

 少将は唇をきつく結び、思考する。

「……それでも私はできない」

「なぜです!」

「私は、医師とは人の命を救うものと教えられてきた。それを信条として、今さら覆すことはできない。それに、人はあらゆる病に打ち勝てると信じている。時間はかかっても、いつか必ずそんな時代が来るはずだ」

「その間も、苦しんでいる人がいるんですよ。手の打ちようがないと言われた人はどうすればいいんですか」

 これに少将は苛立ったように奥歯を噛み締めた。

「だから、私には決断できないんだ」

 苦しんでいるのを見守るのか、それとも安楽死させてやるのか。時間が経っても答えが出せない難題を少将は抱え続けている……。それなら、すでに答えを出した人に会うしかない。

「わかりました。それじゃあ、お話に出た上官に会わせてください」

「……会ってどうするんだ」

「その方なら、僕の不安、苦しみをわかってくれるに違いありません。どこにお住まいですか」

 少将は無言で頭を振る。何だ? 教えてくれない気か?

「お願いです。教えてください」

「無理だ」

「どうしてです。僕は――」

「今は土の下だ」

 ……え? ってつまり――

「亡くなられてる……?」

「軍を去った後、医師の仕事ができなくなり、張り合いがなくなったせいか、その二年後に亡くなられた」

「そんなあ……」

 やっと望みを叶えてくれそうな人に会えると思ったのに……。

「たとえ上官がご存命だったとしても、おそらく君の願いは聞いてもらえないだろう」

「何でですか」

「君は重い病でもないし、身体的痛みがあるわけでもない。ただ妄想からくる不安から逃れたいというだけのことだ」

「違います。僕には確実に死が迫っているんです」

「人は皆、死に迫られているものだ。君は例外ではない」

「あなたの死と、僕の死は違うんです! もう、わからない人だな――」

 この人は僕の中の苦しみをまったく理解してくれそうにない。医者のくせに、そういうことがわからないなんて致命的だ。それより、苦しまずに死ねる安楽死という方法があることはわかった。この方法を知れば、自分で楽に死ねるかもしれない。

「じゃあ、安楽死について教えてください。安楽死とはどういうことをするんですか?」

「私は書物で読んだだけだが、まず患者の意識と感覚を奪うために薬を……」

 少将はふと言葉を止めた。そして僕をじろりと見る。

「君は、こんなことをするつもりか」

「これはまさに、僕の望んだ方法です。続きを教えてください」

 腕を組んだ少将は、僕を睨み付ける。

「悪いが、君に教えることはできない。……まあ、教えたとしても、君には実行できないだろうが」

 僕には、できない?

「……どういうことですか」

「患者に投与する薬は、当然市販されているものではない。つまり、君では手に入れられないということだ」

 専門家しか扱えない薬、ということか。なるほど――

「そうするとその薬は、ここにあるということになりますね」

 僕は診察室の棚やタンスをぐるりと見回した。外見ではさすがに何が入っているのかはわからないが、まさかここに保管しているとは思えないし……。

「まさか君は、よからぬことを考えているんじゃないだろうな」

 疑いの眼差しが僕に向く。よからぬことって、窃盗ってことか?

「心外です! 死が近いと言っても、善悪の見境はありますよ」

「そうか。それならその言葉を一応信じておこう」

 少将の目からはまだ疑いが消えていない。僕にだって人としての誇りはある。死ぬ間際に自分の人生を汚すようなことはしたくない。でも、薬は手に入れないと……。

「……まだ僕を、疑ってますね」

「君は死ぬことを諦めていないようだからね」

「それなら、その疑いをなくすために、僕に安楽死の薬を譲ってください」

「無理に決まっている」

「僕に分けてくれれば、盗まれる心配もなくなるし、それにもちろん、ただでとは言いません。いくらか知りませんけど、金はちゃんと――」

「金の問題ではない。規定として、患者以外の人間に薬等を譲渡してはならないと決められている。破れば君共々、軍法会議行きだ」

「患者にならいいわけですよね? じゃあ僕のことを患者と認めればいいじゃないですか。それなら規定を破りません」

「君は患者ではない! 妄想を続ける厄介な男なだけだ」

「違います! 僕は呪いに捕らわれた患者です。どうか、助けてください!」

 僕は少将の腕をつかもうとしたが、寸前で手を振り払われた。

「来るな! 帰って頭を冷やせ」

 少将は僕を睨み付け、奥の扉へ向かう。

「ま、待ってください……」

 僕は慌てて少将の腕をつかんだ。つかまれた少将はうっとうしそうに僕に振り向く。

「あなたしか僕を救える人はいないんです! お願いですから」

「君はもともと、救ってもらうような状況にはなっていないんだ。救われたいと思うのなら、ただちに妄想をやめることだ。私に言えるのはそれだけだよ」

 少将は強引に扉へ向かおうとする。行かせてしまったら、二度と会ってはくれないだろう。僕は精一杯腕をつかんで引き止めた。

「……離しなさい!」

「嫌です!」

「子供じゃないんだ――」

 すると少将は急に向きを変え、僕の肩をつかむと、押し返すように僕を入り口へ運んでいった。意外に力があって、僕は抵抗する暇もなく、入り口の外に放り出されてしまった。

「怪我や病気でない限り、ここへは来るんじゃない!」

 ばたんと大きな音を立てて扉は閉まった。続いてカチャっと音が鳴った。鍵もかけられてしまった。一応扉のノブを回してみるが、やっぱり開かない。駄目だったか……。仕方なく僕は出口に向かった。

「お大事に」

 受付の女性が優しい声で言った。僕は小さく会釈して外に出た。薬臭い空気から新鮮な空気に変わり、思い切り深呼吸をする。そろそろ昼休みも終わる頃だ。兵舎に戻りながら僕は考えを巡らせた。

 とりあえず、目指す方向は決まった。僕の最後は安楽死だ。これ以外はないだろう。そのためには専門的な薬が必要らしいが、でも、医者に頼んでも薬は貰えそうにない。誰だって軍法会議は避けたいところだ。となると他に薬を手に入れられる方法は何だ? 医者を介さずに手に入れるには……そうだ、薬屋だ。そこならたくさん――いや、一般には売られていないって言ってたな。じゃあ軍はどこから薬を買っているんだ……ああ、薬問屋か。問屋なら専門的なものも扱うだろう。僕の求める薬もきっとあるに違いない。でも、薬問屋ってどこにあるんだ? 街のどこかではあるんだろうけど、歩き回らない僕には見当もつかない。

 兵舎の前まで来ていた僕は、その前を歩く一人の男性に気付いた。あの制服、衛生兵のものだ。僕は駆け足で近付き、呼び止めた。

「ちょっと、すみません」

 男性は振り向き、僕を見る。まだ若そうだけど、襟章は僕のより上だ。

「あの、突然なんですが、教えていただきたいことがあって……」

 男性は怪訝な顔を見せたが、すぐに表情を戻して言った。

「少しならいいけど……軍事部門が医療部門に何の質問だ? 何かの勉強の一環か?」

「ま、まあ、そんなところです。いいですか?」

 男性がにこやかにうなずいたのを確認して、僕は聞いてみた。

「治療で使う薬類は、薬問屋から購入しているんですよね」

「そうだけど」

「その薬問屋は、街のどこにあるんですか? 僕、見たことなくて」

「そりゃそうだろう」

 男性が笑う。どういうことだ?

「薬問屋の所在は機密扱いされてるからな。あ、全部の問屋じゃなくて、軍御用達の問屋だけだぞ。薬だけじゃなく、他にも装備関係、食料関係も機密にされてるものがあったんじゃないか?」

 まったく知らなかった……。

「そ、それはなぜなんですか?」

「万が一のためじゃないか? いつでも必要な量を確保しておけるようにしているんだろう。……それにしても、変わった質問するな、君」

「そう、ですか? あの、じゃあ、薬問屋を見つけることは、絶対に不可能なんですか?」

「おそらくね。運よく見つけたとしても、きっと警備に追い返されるだけだよ」

「薬問屋に、警備がいるんですか?」

「問屋が何者かに襲われるとも限らない。そうなったら軍に薬が届かなくなるから、そんな事態を避けるため、警備は万全にしてるって聞いたよ」

「お知り合いに関係者がいるんですか?」

「いや、問屋の主人が話してるのを聞いただけだよ。……そろそろいいかな」

 男性はそわそわと視線を動かす。何か用事でもあるらしい。

「あ、はい。勉強になりました。ありがとうございます」

「何の勉強か知らないけど、頑張れよ」

 男性は僕の肩を軽く叩くと、小走りで軍病棟のほうへ行ってしまった。その後ろ姿を眺めながら、僕はがっかりしていた。問屋を直接訪れることは難しそうだ。まさか機密になっていたとは……。関係者に頼んで薬を分けてもらうにも、厳重な警備が敷かれているんじゃ、こっそり持ち出すのも困難かもしれない。問屋経路は諦めるしかないか……。

 僕は兵舎に入りながら、さらに考えを巡らせる。正面から手に入れるのが難しいのなら、回り道でもして裏から手に入れるしかないか。と言っても法に触れるようなことをするつもりはない。裏からでも正々堂々と手に入れたい。じゃあどんな経路があるだろうか……。

 兵舎の階段をゆっくり上がりながら、僕は考えてみた。まず、裏とは何か。それは正攻法じゃないということで、客として薬を買ったり、誰かに頼んで貰ったりすることがそれに当たるだろう。つまり裏の経路とは、僕が客の立場じゃないということか?

「……あ」

 僕は足を止めた。……閃いてしまった。そうだ。売る立場になれば、薬はいくらでも手に入るんじゃないか? 保管場所もわかるし、探す手間もない。よし、この方法だ。

 売る人間というと、まずは問屋だけど、警備が付いているのが邪魔だ。一つ買いたいと言っても許してくれそうにないな。何となく問屋は危なそうだ。やめておこう。他に売っているところというと……あるのか? 専門的な薬を扱う店なんて問屋以外には思い付かないが。

 二階から三階に上がりながら僕は悩んだ。問屋じゃなければ何だろう。そもそも問屋は薬をどうやって手に入れているんだ?

「……あ」

 また、閃いてしまった。問屋は薬工場から手に入れているんだ。製造場所に入れば、薬の作り方もわかるし、手に入れる機会もあるかも――でも、工場は薬を作る場所で、売る問屋よりも重要なところのような気がする。そんな場所が機密扱いになっていないはずはない。入れたとしても、また警備が配置されているだろう。それだと問屋とまったく同じだ。工場もやめておいたほうがいいな……。

 僕は自室に戻ってきた。下級兵士は基本、二人で一部屋を使っていて、僕も同僚と同じ部屋で寝ている。その同僚は今はいないようだ。僕はベッドに腰かけ、横の机にある冊子をめくって次の予定を確認した。昼休みを終えたら、武器庫へ行って武器の手入れ。余った時間は自己鍛錬、その次に城周りの巡回……手入れは多少遅れても大丈夫だな。冊子を戻して、僕はベッドに寝転がった。

 問屋も工場も無理っぽい。もう薬を扱うところなんてないだろう。やっぱり、法を犯さないと手に入れられないのか……いやいや、それは絶対に駄目だ。真っ当な人間として僕は死にたいんだ。そんな最後にはしたくない。僕は寝返りを打ちながら自然と頭を抱えていた。脳裏には疑いの目を向ける少将の顔がなぜか浮かんでいた。

 こんなに苦しんでいるのに、何で少将は僕を患者だと認めてくれないんだ。認めてくれさえすれば、僕は薬を手に入れて、すぐにでも楽になれるのに……。

「……あっ」

 僕は上半身を跳ね起こした。と同時に部屋の扉が勢いよく開いた。

「あれ? もう昼休み終わるけど、行かないのか?」

 入ってきたのは同じ部屋の同僚だった。

「え? ああ、行くよ」

「……またな」

 同僚は必要な荷物をかき集めると、さっさと出て行ってしまった。彼とは所属が違うから、予定もまったく違う。活動時間も違うから、同室でもすれ違うことが多く、話もいつも一言二言で終わってしまう。つまりそれほど親しくないということだ。

 閉まった扉を眺めながら、僕は何で起き上がったんだ? と考えた。

「……あ、そうだ」

 少将の対応を思い返していて、三度閃いたのだ。少将が患者だと認めてくれないのなら、自分で認めてしまえばいいんじゃないか? 認める立場、すなわち医者になればいいのだ。それなら法を犯す心配もないし、自分が病気だと正々堂々認めて、薬を処方することができる。これだ。これしかない!

 僕はベッドから下り、部屋の中を歩き回りながら、これからの大体の道筋を考えた。まずは軍を除隊して……ん? その必要はあるのか? 軍事から医療に移りたいわけだから、やめることはないようにも思うけど。その場合、どうしたらいいんだろう。異動願いでも出すのかな? まあその辺は部隊長に直接聞こう。次に、衛生兵になるには新人でも多少の医療知識が必要だ。早く軍医に昇格するためにも、勉強は始めておいたほうがいいだろう。それに改めて入隊試験があるかもしれない。念には念をだ。衛生兵になったら、そこで医術を猛勉強して、数年で軍医昇格を目指す。そして合法的に薬を手に入れ、僕は念願の安楽死を行う――よし、道筋は決まった。さっそく部隊長のもとへ行こう。

 僕は部屋を出て、部隊長がいそうな部屋を見て回った。三階、二階と回るが、どこにもいない。一階への階段を下りた時、遠くの廊下を歩く後ろ姿を見つけ、僕は叫んだ。

「部隊長、待ってください!」

 振り向いた部隊長目がけ、僕は走った。

「……何だ。そんなに急いでどうした」

 きょとんとした顔で部隊長は僕を見る。

「あの、少しお時間、いいですか?」

「ああ。今から遅い昼だ。食べながらでもいいなら聞くぞ」

「はい。構いません」

 僕と部隊長は一階の奥にある食堂へ向かった。入ると、昼休みが終わったせいか、食べている人間は二人ほどしかいなかった。

「お前は先に座っていろ」

 言われて僕は広い食堂を見渡した。迷いそうなほど席が並んでいたが、僕は手っ取り早く一番近い席に腰を下ろした。部隊長はカウンターに置かれた数種類の料理を、てきぱきと皿によそっていく。最後にコップに水を注ぎ、僕の向かいの席に座った。

「お前、任務は大丈夫なのか?」

「はい。大丈夫です」

 本当はさぼっているのだが、ここは大丈夫だとごまかしておく。

「それで、何の話だ」

 部隊長は豆と肉の炒め物をスプーンですくい、豪快に食べ始める。

「あの、実は……僕、衛生兵になりたいんです」

 一瞬、部隊長の目が僕を見た。

「ほお。やめたいってやつはよくいるが、鞍替えは珍しいな」

「いいでしょうか?」

「いいも何も、私がとやかく言う筋合いではない。お前の意思で決めることだ」

「止めないんですか?」

「二度も同じことを言わせるな」

 てっきり怖い顔で止められるものと思っていたのに、部隊長の意外な態度に僕はほっとした半面、若干寂しい気もした。

「それで、その、おたずねしたいんですけど、医療部門へ行くための手続きなんかは、一体どうしたらいいんでしょうか?」

 部隊長は水で料理を流し込み、言った。

「一度、軍をやめる必要がある」

「えっ、やめないと、駄目なんですか?」

「同じ軍と言っても、軍事と医療はまったくの別物だ。だから、どちらかへ移りたい者は、一度軍をやめ、適性試験を受け、最初からやり直さなければならない」

 やっぱり、試験を受け直さなきゃいけないのか……。

「次の試験って、いつ行われるか、ご存知ですか?」

「今年はまだ人員募集をしていたはずだから、例年通りだろう。だから次は、来月末の第四次試験だな」

 軍では年に四回の採用試験が行われている。でも、定員を見ながらなので、時には三回だったり二回に減ることもある。今年はまだまだ余裕があるみたいだ。長く待たずに済む。

 ポテトサラダを頬張りながら、部隊長が聞いてきた。

「お前は、何で衛生兵になりたいんだ」

「何で……?」

 急に聞かれて、僕は戸惑った。安楽死を目指してるとは言えないし、何て言えばいいんだろう……。

「特に理由はないのか」

「えーと……ちょっと興味があって……」

 それらしく答えてみた。すると、部隊長は何度かうなずいてみせた。

「そうか。それでいいと私は思うぞ」

「……どういうことですか?」

「お前のことは入隊当初から見てきたが、どうも兵士には向いていないような気がしていたんだ」

「え……」

 何か、聞きたくないような……。でも部隊長は話し続ける。

「長年指導する立場にいると、そういうことがわかってくるんだよ。お前は頭も腕も飛び抜けていいわけではないが、ひどく劣っているわけでもない。まあ平凡ってことだ。そんなやつが兵士の大半だし、それだけでも十分兵士として働けるだろう。でも、お前には他のやつらにはあるものが足りないように思える。自分でわかるか?」

 わかるなら、今こんなことは言われていないだろう。

「闘争心だ。戦う者として、敵に勝ちたいという執念が感じられない。ありすぎても隊の連係を乱して困るが、少なからず戦う兵士には当たり前に必要なものだ。心当たり、あるだろう」

 闘争心は、確かに僕にはないかもしれない。田舎でのほほんと暮らしていた僕は、誰かと喧嘩したり、争ったりすることとは無縁だった。悔しがることは当然あったけど、それが闘争心に変わることはなかった。あいつに勝ちたいとかいう執念も抱いたことはない。今は安楽死したいという別の執念しかない。こう考えると、部隊長の言っていることは当たっている。その目はさすがだなとしか言いようがない。でも、はっきり言うと、これは僕が兵士としてあまり使えないと言われているわけで、これまで頑張ってきた時間は無駄だったのかと言い返したくもなるけど、僕には闘争心がないからやっぱり言えない。

「何にしろ、お前が兵士をやめるのは自然なことなのかもしれない。医療には正確さと真面目さが必要だ。お前にはその両方があるし、やれるはずだ。頑張れよ」

「はい……」

 落ち込ませて励ますって、よくわからないけど、まあ部隊長なりの言葉として受け止めておこう。部隊長は残った料理をがつがつとかき込み、コップの水を一気に飲み干すと、食器をカウンターに置き、僕に振り返った。

「ああ、そうだ。除隊の手続きをするから、私に付いてこい。いろいろ書類に書いてもらうぞ」

 部隊長に付き、僕は同じ一階にある事務室にやってきた。皆、机に向かって黙々と仕事をしていて、部屋は静まり返っている。軍の中にこんな静かな場所もあったのか。

「除隊手続きを願いたい」

 部隊長は事務長らしき人に頼み、数枚の紙を貰った。

「これに記入して、全部終わったら私の机にでも置いておいてくれ。それじゃあな」

 僕に紙を手渡すと、部隊長はさっさと部屋を出て行こうとした。あまりにそっけない態度に思わず呼び止めた。

「部隊長、あの、これだけでいいんですか?」

「ああ。それに書けば、除隊完了だ」

 僕は手元の紙を見つめた――この薄っぺらな紙だけで?

「何か、もっと話し合ったりとか、許可の申請とかは……」

「やめる者に対して、そんなわずらわしいことをしている時間は軍にはない。お前も早くやめたいのだろう?」

 はいとうなずくしかない。それはそうなんだけど……。

「それなら問題はないだろう。私は行くぞ。……それ、書き忘れがないように気を付けろよ」

 別れを惜しむこともなく、部隊長は行ってしまった。所詮僕はその程度の部下だったのだ。さっきも言われたように、僕は兵士に向いていなかったのだ。……と言うか、やめる人間が一体何を期待しているんだ? こんなにあっさりやめられるのは好都合じゃないか。寂しがる理由はない。安楽死に向けて、いい出だしだ。でもやっぱり、ちょっと寂しい気もする……。

 僕は部屋に戻り、薄っぺらな紙に記入をした。約三分ですべて書き終えた。三分で除隊完了か。入隊する時は大変だったのにな……。

 僕は記入した紙を部隊長の執務室の机に置き、再び自室に戻ると荷物をまとめた。私服に着替え、制服は畳んでベッドの上に置いておく。二年間着たこの制服も、もう僕のものじゃないんだ。やっと体に馴染んできたところだったんだけど。

 僕は制服と部屋に背を向け、駆け足で兵舎を出た。こことはしばらくのお別れになる。次に来るのは、来月末以降か。一回の試験で合格できるように、どうにか頑張らないと。来月末なんてあっという間だ。寝る間も惜しんで勉強しなきゃ――はっ、寝るのはどうする? 兵舎を出た僕には今、家がないんだ。しまった。まったく考えていなかった。街には友人なんていないし、友人と呼べるのはオグバーンくらいだ。その彼は今出てきたばかりの兵舎にいる……。

 僕は溜息を吐いた。早く勉強に取りかかりたいのに、その環境がなければどうしようもない。心は焦るが、仕方ない。まずは部屋探しから始めよう。占い師にぼったくられたせいで、未だに金はないけど、格安で貸してくれるところなんてこの都会にあるんだろうか。苦労している自分を想像して、背中に背負った荷物が急に重くなった気がした。

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