第十七話 惚れた病に薬なし
「やあ!明ちゃん、こんばんは!」
見慣れてしまった笑顔で尾崎さんは、いつもの気さくな感じでわたしに挨拶をした後、猫又に向かって歩み始めた。
「いやいやいやいや!意味が分からない!何故、尾崎さんがここにいるのだ!?というか、行ってはダメだ!怪我をしてしまうっ」
「彼と明は顔見知りなのですか?……ハア。明、貴女は本当にバカですね」
いつの間にか、優斗がこちらに寄ってきていた。
充に結界を解き休むように言いながら、麻衣子の顔に触れ、呼吸に乱れがなく傷一つない無事な様子を確かめた後、麻衣子の体にソッと自分の上着をかけた。
その、優斗の、何と柔らかい表情か…――そんな新たに見る幼馴染の顔に、内心驚いていると、先ほどとは打って変わった顔をした優斗が、わたしに言った。
「これでも、明には、私自ら修行をしてあげたというのに…何故、彼の事に気付けなかったのでしょう。どうして、こうも出来が悪いのか」
「悪かったなッ」
「明。彼をよく見てみなさい。貴女の力なら分かるはずですよ」
「!」
優斗に促されたわたしは、己の目を尾崎さんに向け、驚愕した――その姿に。
「彼は、コチラ側のモノですよ」
頭に生えた耳と、下半身にはヒトならば存在しないはずの尻尾…そして、彼を取り囲むように空中で浮かぶ青白い炎……その姿はまさに。
「…妖狐」
「ええ。彼はきっと、妖狐の血を引いています。それから、彼の毛の色は『白』です。恐らく、彼は『白狐』――人々の幸福をもたらすとされる『善狐』の代表格……安倍晴明の生みの母と云われる『葛の葉』も白狐とされています。ただ、彼からは、どうやら純粋なヒトとしての気配も感じます……彼は、もしかしてハーフなんでしょうか…」
「いや、僕はクウォータだよ。まあ、僕のことは、きちんとまた話すから、今はこの猫又に集中させてもらってもいいかな?」
五感が敏感になっているのだろうか。
距離も十分離れ、ヒトならば絶対に聞き取れないような声量で話していたというのに、こちらに背を向け、猫又と対峙している尾崎さんは、わたしたちの会話に普通に応えた。
「さあ、始めようか」
一気に、尾崎さんの妖力が跳ね上がった。
「そこの陰陽師の彼。一応、コイツは単独みたいだし、他にも仲間がいる可能性は低いみたいだから大丈夫だと思うけど、明ちゃんやその友達を守ってね」
「ええ、もちろんですよ」
「黒斗!」
尾崎さんが短く叫ぶと、彼の側に影が寄った。
わたしは、よく目を凝らして観察した。すると、その影の正体が、わたしにとっても馴染み深い人物だということが分かった。
「黒崎さん!」
「黒崎さん?」
「ああ。彼は、尾崎家の全てを任されている人…そう、執事みたいな人だ」
(まさに、セバスチャン!)
「そうですか…――まあ、その執事さんは、正真正銘、ヒトではないみたいですけどね」
「ハ?」
そう、優斗が言いきった瞬間、黒崎さんは、黒い炎に包まれた。そして、その炎から出てきたのは、もはやヒトなどではなかった。
そこには、辺りは闇に包まれているというのに、黒曜石を彷彿させるかのような、輝かしい黒い毛並みを持ち、隣に立つ尾崎さんの肩に届くまでに大きい体を堂々と君臨させた、四本足の生き物がいた。
「アレは、『黒狐』ですね」
(まさか、黒崎さんが妖狐だったなんて!)
あの、素敵で丁寧な物腰のお方は、執事でも、悪魔でもない――妖怪でした。
「あのクウォータ―の彼は、人間の気配が濃いですし、気付かなかったのは、明がバカで未熟だったからとしても、あんな、完璧妖怪でしかないモノに、上手く化けているとは言え、全く察知していなかったなんて――…もう一度、修行し直す必要があるかもしれないな、俺自らの手で」
「優斗……それしたら、マジで明が再起不能になるかもしれないから止めておいてくれ…――おい、明。始まるぞ。……それに早く戻ってこないと、お前の運命が、突然生き生きし始めた顔の優斗に握られちまうぞ」
黒崎さんの正体に軽くショックを受けていたわたしは、充の一言で覚醒した。
(それは断固拒否を申し立てる!)
近くにいる優斗の表情を直接確かめることが、恐ろしくて恐ろしくて絶っ対にできないわたしは、視線を尾崎さんたちに向けた。
尾崎さんは、狐火を巧みに使い、猫又を追い詰め、黒崎さんは、尾崎さんの援護を的確にしている。
《アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァッッッ》
耳をつんざくような悲鳴が、轟いた。
その悲鳴の主は、猫又だ。
あっという間に、猫又は尾崎さんの放つ狐火に囲まれ、跡形もなく青い炎によって焼きつくされた。
隣でその様を共に見ていた優斗が「あんな一瞬で終わらせるなんて……もっとのたうち回るように苦しませてこの世の終わりを感じさせてから葬り去ればよかったのに」とか何とか、恐ろしい発言をしていたが、とりあえず、猫又はコチラから消され、猫又による一連の騒動に片が付いた。
「尾崎さん……」
猫又の最期を見届けたわたしたちに、元の姿に戻った尾崎さんと黒崎さんが近付いてきた。
「明ちゃん……無事で本当に良かった…――君たちも色々訊きたいことはあると思うし、僕たちも一度君たちと話をするべきだと思っている。だけど」
尾崎さんは、わたしに目を向けた後、優斗と充の方を向いて言った。
「今は、『丑三つ時』。一日の中で、魑魅魍魎たちが闊歩する時間であるけど、君たちヒトにとっては、本来、活動を止め眠るべき時であるよね。だから、明日というか、もう今日か…取りあえず、日を改めないかな?」
「ええ、分かりました。コチラにも、全く私たちとは無縁の世界で生きている人もいるわけですし、そちらが申し出なかったら、私の方から提案しようと思っていたところです」
「よかった。じゃあ、みんなで僕の屋敷へ来ておくれ。場所は、明ちゃんが知っているから―――…黒斗、後で、客を出迎える準備をしておいてくれ」
「心得ました」
「なあ、尾崎さん」
話はまとまったようなので、わたしは、尾崎さんの方へ一歩踏み出し、彼の両腕の袖をキュッと掴んだ。
「どうしたんだい?明ちゃん」
いつものお日さまのような顔をした尾崎さんと目を合わせる。
「何故、ここに来たんだ?尾崎さんが妖狐だったとしても、どうして危険なところに自ら飛び込んだんだッ」
「…ッ!―――…ここで上目遣いとかナシだろ……」
「優斗たちが麻衣子に何らかの式神を付けていたのは検討がつくが、そもそも、ここで、貴方が危険を冒す理由などない……もし、尾崎さんが怪我でもしたらと思うとッッ―――尾崎さんが強いのは分かったんだが、それでも心配なものは心配なんだ!」
「明ちゃん…」
「お願いだ!もう、こんなこと、しないでくれっッ」
「…一番、危険だった人が何を言うか……。ねえ、明ちゃん。泣かないで―――…僕の先祖さまでね、ここの和尚さんに助けてもらった妖狐がいるんだ。僕は、その先祖さまを尊敬していてね……僕も、先祖さまのご恩もあるし、この京都、特に知恩院のことを守りたいと決意して、今まで生きてきたんだ――…だから、今回のことは、僕がやるべきことだったと思うんだ。心配してくれて、ありがとう――…でも約束はできないな。これでも、僕にだって譲れないことはあるしね」
一度言葉を区切ると、尾崎さんは真剣な目をして、こう言った。
「だって、僕が、僕の大切な女の子を守るのは当然じゃないか。きっと、また明ちゃんが危険な目に遭ったら、僕はすぐに君のところへ駆けつけて、君を守りに行くよ」
と。
すごくいい雰囲気となっていたこの空間に、何ともこの場にそぐわない声が響いた。
「フアアアアァ~。よく寝た――――――…エ…えっと、何か…うん。取りあえず、ゴメンナサイ」
どうやら、尾崎氏は天然タラシだったようです。
第十七話 別名「惚れた狐につける薬なし」




