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私と先生と愉快な日常  作者: 月嶋ゆう
【過去編①】世にも奇妙な猫物語
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第九話 楽あれば苦あり

 愕然とするわたしを尻目に、優斗は紅茶に口をつけた。

 すると、事情を知らないわたしを不憫に思ったのか、これまで口を挟まなかった充が話し出した。


「麻衣子は夏休みの間、ほぼ大学に来てた。それはお前も知ってるだろ?明」

「ああ。聞いている」


 実は、麻衣子は大学で声楽を専攻している。

 だから、声楽の練習を毎日欠かさず行っているのだ。

 麻衣子の家は防音使用にはなっていないため、大学の練習室を使って練習しているそうだ。

 麻衣子曰く、一日でも練習をしなければ最低でも三日は遅れるらしい。

 常に最高の状態をキープしておくためには、日々練習を積み重ねることが何より重要になってくるとのことだ。

 わたしはこのことを知った時、そんな麻衣子の一面に驚くと共に、一生懸命努力するその姿に尊敬の念を抱いた。

 一度、麻衣子は恥ずかしそうにしながらもわたしに歌を聴かせてくれたことがあり、その歌声の素晴らしさは今でも耳に残っている。ちなみに、麻衣子は近畿圏内のコンクールではよく入賞しているらしく、来年は全国規模のコンクールに挑戦するようだ。


「麻衣子は練習の息抜きも兼ねて、午後によくここへ来ていたんだ。そこに、優斗も顔を出すようになれば、自然と二人は会うって寸法さ。ま、優斗がどこまで分かっていて麻衣子がいる時間帯に来たのかは、直接本人から聞いたこともないし、俺には分からないけどな」


 そう言って、充は優斗の方に視線を向けた。優斗はまるで他人事のようにすまし顔をしている。


(絶対、全て分かっていて、麻衣子と会うために時間を合わせたんだと思いマス)


 やはり、麻衣子は、どんな人でも引き寄せてしまうのかもしれない―――わたしが実際そうだったように。


 あの日、あの優斗が珍しく他者に対して興味をもった時に、こうなることを気付いておくべきだったのかもしれない。

 きっと、優斗はわたしより厄介だ。

 麻衣子は本当に厄介なヤツに好かれてしまうのだな。


(麻衣子、守れなくてゴメン)


 わたしはそっと心の中で麻衣子に手を合わせた。

 ささやかなる抵抗をッ、と、わたしは恨みがましい視線を優斗に送ってみたが、案の定、優斗は何のダメージも受けず、涼しい顔をして紅茶を嗜んでいる。


「それで、今日は何故、麻衣子がいないのです?」

「麻衣子ならバイトだ」

「バイト、ですか」

「もう知っていると思うが、麻衣子は母子家庭だ。あまり母親に負担をかけたくないらしいから、定休日の木曜日以外は家の近くの喫茶店で働いているぞ。夏休みは多分授業がなかった時間を練習に充てて、その後にバイトにいっていたらしいから、ここへ来る余裕もあったんだろうが、もう大学が始まってしまったからな……授業が終わるとすぐバイトへ行ったよ」

「なるほど。今日は火曜日ですし、だから来ないのですね。では、授業が始まったら、練習はどうしてるんですか?」

「昼休みにしたり、木曜日に集中的にやったりしているみたいだぞ。それから、朝やバイトが終わった後に、鴨川の河原に出て歌ってもいるみたいだ。麻衣子が言うには『声楽の練習なんて、大きな音が大丈夫な場所なら、身体一つあればできるから』とのことだ」

「そうですか…鴨川で。バイトが終わってから、ということは……夜遅くなりますね。いくら練習が大事だと言っても……―――チッ。今度会った時に止めさせます」

「……」

「麻衣子のことは分かりました。私の方でも動いてみましょう――――…先ほども話していたように、近頃、どうやら物騒な事件も起こっているようですし、明も気を付けるようにしてくださいね」






「ああああああああ!わたしの癒し!!」



 場所は変わって、わたしは日課となりつつある尾崎家へ今日も訪れていた。

 玄関の門をくぐれば運よく目に飛び込んできたキンを見付けると、わたしはキンをそれはそれは大事に抱き上げ、頬をスリスリした。


「ああ~、癒されるぅ。どっかの魔王と会っていたから、わたしのHPはもう赤い点滅がつきっ放しだったんだ!」


 できれば、ずっとこのまま、キンの姿だけを目に映して、キンの声だけを耳にして、キンの艶毛だけに触れて、キンだけの……キンのみと……キンと共に……ああ!想像するだけでハアハッ「そろそろ戻ってください。明さま」


 このまま異世界にでも飛んでしまいそうだったわたしを、耳に心地よいバリトンボイスが引き止めた。


「あ、黒崎さん。こんにちは。またお邪魔しています」

「こちらこそ、こんにちは。明さまはいつもとお変わりのない様子で、何よりでございます」


 この穏やかそうでとても丁寧な御方は、尾崎さんのお家で家事などのお世話をしている家政婦さんみたいな人―――黒崎幸人くろさき ゆきとさんである。わたしが尾崎家を訪れる際に尾崎さんがいない時は代わりに対応してくれ、今ではすっかり世間話をする仲である。わたし的には、是非、セバスチャンと呼ばせていただきたい―――全力で断られたが。


 お世話をする人がいるなんて、尾崎さんはどこぞのお坊ちゃまかと思ったが、尾崎さんはこの家に一人らしいし、このように立派な日本家屋の屋敷を維持するには、尾崎さん一人では手に余るだろう。

 それに、そもそもあの人の性格上、黒崎さんほどきちんと家事や家の手入れを行えるかと問われれば、甚だ怪しいものである。


 ちなみに、あんなふわふわして詐欺の一つや二つにでも遭っていそうな尾崎さんだが、なんと京都市の役所に勤めている公務員サマだ。

 本日は火曜日――――公務員サマは本日もご出勤されているため、帰宅してくるのはもう少し後になりそうである。


「黒崎さん。今日もブラッシングセットは持参してきました。もうバッチリ光り輝くキューティクルが眩しい毛に仕上げて見せる自信がありますよ」

「そうですね。明さまは本当にブラッシングがお上手ですからね。キンもきっと喜ぶと思いますよ」

《ニャー》


 嬉しそうに鳴きながら、キンがわたしの首筋に頭を撫でつけてきた。もう、ホンットに愛いやつめ。


「そういえば、本日、主様は出先から直帰されるとのことですから、そろそろ帰宅するかもしれませんよ」

「へ?そうなのか。今日は早いんだな……じゃあ、今日は門が見える方でやろう。黒崎さん、また縁側を使わせてもらっても構いませんか?」

「ええ、どうぞ」

「ありがとうございます」


 そうして、わたしとキンは玄関門が見えるところでブラッシングをしたり猫専用のおもちゃで一緒に遊んだりして至福の時を過ごしている、と。


「あら?ここはどこかしら?」



 一陣の風と共に、透き通った女性の声が、耳に届いた。




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