第七話 棄てる神あれば拾う神あり
突然、麻衣子がとびっきりの笑顔を見せながら甘い声で優斗の耳元に囁いた。
「ハッ!?麻衣子?!」
予想だにしなかった事態に、充も驚きを隠せないようだ。
「確か……梨華、さんと呼ばれてましたよね?」
この時、初めて梨華さんの視界に麻衣子やわたし・充が入ったのだろう。
梨華さんは自分と優斗以外にも人がいたことに驚いていたようだった。
「え、ええ。そうよ」
「梨華さん。実は、今日、わたしと優斗と、あとそこにいる二人とで映画を見に来たんです。優斗には、綺麗な恋人さんがいることを知っています。でも、わたし…――一度でもいいから優斗と一緒にお出かけしてみたくてっ!ようやく今日オッケーをもらったんです。だから、お願いします。今日だけはわたしに優斗を譲ってください。優斗と楽しい時間を過ごしたいんです。もちろん、二人っきりではないので、梨華さんが不快に思うようなことはしません。梨華さんから優斗を奪おうなんて思っていませんから…梨華さんにはこれからだって優斗と一緒に過ごす時間はたくさんあると思います。でも、わたしには今日だけですから――だから、どうか、お願いします」
「そ…そ、そこまで言うなら――はぁ、いいわよ」
「梨華さんっ」
「――優斗も大変ね~。こんな普っ通の子からも好意を寄せられるなんて……まあ、今日は私と約束していたわけでもないし、先約がいたなら諦めるわ。ただし、ちゃんと次お詫び入れてね、優斗。それじゃ、頑張ってね~」
こうして嵐は去って行った。
「ま、ま、ま、ま」
「明ちゃん。さっきから『ま』しか言ってないよ?」
梨華さんの背が見えなくなると同時にサッと優斗の側から離れた麻衣子の肩を強く掴みながら、わたしは狼狽えていた。
「ま、まま、まい、こ――今のは、一体…」
「明ちゃん、肩痛いから。落ち着いて」
「こ、これが落ち着いてられるかあー!!何してるんだ麻衣子!!一体何の理由があってこんなことをぉぉぉぉ」
「どうどう、明。これ以上揺さぶったら、麻衣子、絶対気分悪くなるから。それにキャンキャン吠えると周りに迷惑だぞ」
「何、人を犬扱いしてるんだ充!それなら猫扱いがいい!!」
「俺の周りは変人ばかりなのか…」
「いや、何で自分を除外しているんですか。充先輩」
いよいよ収拾がつかなくなりそうになった時、この度の騒ぎの原因、諸悪の根源が口を開いた。
「マイコ、でしたよね――是非私にも聞かせてくださいね、貴女の意図を」
「――ハア」
そう、一度ため息をついた麻衣子は、体を優斗の方に向け、先ほどとは打って変わった攻撃的なキツイ目線を向けた。
「だって、貴方、あの梨華さんっていう人を傷付けようとしたでしょ」
「…と、いいますと?」
「これでもわたしは人を見る目には自信があるんです――母がよく言ってました。目を見ればその人の心の在り様がよく分かる、例えその人が本心とは全く逆の表情を浮かべたとしても…――貴方の目は冷めていたんだもの。あんなに綺麗な人、しかも周りが見えていないとはいえ貴方に好意をもっている人に対して、冷たく切り離そうとしていたようにしか、わたしには見えなかった」
「……」
「だから、貴方から梨華さんを守るにはああするのが一番だと思ったの!だって……」
辺りに緊張感を孕んだ空気が駆け巡る。
「ウツクシイとカワイイは正義!美人さんと可愛い女の子は愛でて守るべき存在だもの!!」
何だろう…。この期待させといて、ああそうか、あの子は麻衣子だったなって感じは。
おそらく、わたしと充が今感じていることは同じであろう。
ハアアッと、わたしと充が肩を落としたのに対して、一人だけ違う反応を示す者がいた。
「アハハハハハ!」
文字通りお腹を抱えて大笑いしている魔王サマ。
そうそう、魔王と書いてユウトと読むので、今後お知りおきを。
「面白い答えだ!俺の想像以上だな、麻衣子!!」
「なっ!そういえば、さっきから何わたしのことを呼び捨てにしているのよ!迷惑です。即刻止めてください」
「俺、麻衣子のこと気に入っちゃった。明が仲良くしてそうなのもよく分かる。麻衣子は、きっとこういうちょっと厄介な輩に気に入られる星の下にあるんでしょう」
「だぁかぁら~!人の話を聞いて!呼び捨て止めて!っていうか、何、先行き怪しくなるような発言をしてるのっ!?そんなのお・断・り、です!」
「そういう麻衣子だって、俺のこときちんと呼んでないじゃないか。俺は、保科優斗。さあ、優斗、と呼んでください」
「ああ!もうっ!ああ言えばこう言う!」
「それはお互い様ですよね?名前を呼ぶなんて小学生でもできる簡単なことですよ?さあ、どうぞ?」
「いやいやいや!何、話の流れを自分のいい方にもっていこうとしているの!?丁重にお断りさせていただきます!」
「麻衣子は意外と頑固ですね。何故、人の名前を呼ぶのにそこまで抵抗されているのでしょうか?」
(それは優斗が麻衣子に敵認定されているからだと思いマス)
おそらく、先ほどの梨華さんに対する優斗の仕打ちを見せられたのがマズかったのだろう。
麻衣子は本能的に優斗の本性を感じ取り、それに対する自己防衛が働いているとしか思えない。本来、麻衣子は大らかで初対面の相手に対してあんな攻撃的な言動を取らないからな。
「……ハァ」
わたしは小さくため息を吐いた。
このままいつまでの言い争っていそうな二人は置いておいてもいいだろうか――…何故なら。
「なあ、麻衣子。このままじゃ映画の時刻に遅刻するぞ」
そして、数時間後。
何故、わたしたちはお茶をしているのだろう。
何故、わたしの目には先ほどまでいがみ合っていた優斗と麻衣子が楽しそうに談笑している姿が映っているのだろう。
ああ、何故……。
「明。そろそろ戻ってこい。現実逃避は止めろ」
「…充」
一体、何がどうなっているのか――…あの後、わたしたちと同じ映画館に入った優斗と充は、魔王の横暴によって魔王たちが見る予定の洋画を見せられることになった。
わたしは某スタジオの映画が見えなかったことに対して大いに不満を募らせているのだが、その洋画は映画に詳しい麻衣子のストライクゾーンを見事打ち抜いたようで、興奮冷めやらぬ様で同じく映画好きの優斗と楽しそうに舞台美術がどうとか、撮影隊のカメラワークがどうとか、ストーリーの展開についてどうとか、エンドロールの音楽についてどうとか……かれこれ一時間くらいは話し込み盛り上がっている。その間、わたしと充は放置だ。空気だ。
ちなみに、話に夢中の麻衣子は気付いてないだろうが、先ほどから店の女子たちの視線が半端ない。もし、視線で人を攻撃することができるとするなら、わたしの息はすでに絶えているだろう。
「なあ、充」
「何だ?明」
「…わたし、もう、カエリタイ」




